第45話 尋問
完全なる独房。
闇よりも深い深淵の中、遠くで鉄の扉が開く音がした。
揺れる灯と足音が近付いて来る。
空気の流れる音で聴覚を、闇そのもので視覚を、冷気の中で全身の気を鍛えていた囚人の青年は、時間の感覚が狂って久しい来訪者に目を向ける。
結跏趺坐のまま、視線だけを鉄格子の外へ。
ランタンを手にした妖艶な青年は、ジャックが最後に光を見た時に目にした男、ヴァル・シュバイン。
隣には自分の愛する少女ではなく、赤い髪を伸ばした美少女が立っている。
幼馴染の一人。
忘れもしない。黒騎士としての任務中に、その姿を見かけることがよくあった。
いつもくれていたその視線に勇気を貰っていたことは、誰にも言わずに墓まで持っていくつもりだ。
そんな彼女の名を呼ぶ。
「ジェルヴェール」
「俺のことはもう無視かよ」
妖艶な顔を半笑いにする青年は、ジャックの視界には入っていない。
「……看守には外して貰ってるわ。ここにいるのは三人だけ」
この美しい声音を聴くのは久しかった。
女性として好意に値しているフィーネとは異なり、この赤い髪の少女は〝身近で信念を支えてくれた女性〟だ。
しかし――。
冷たい牢の中で鎖に繋がれた青年は、より冷たい瞳でジェルヴェールを見た。
「ジェルヴェール。シスター・マチルダを巻き込んだな?」
前回、ヴァルとフィーネが来た時に告げられた、護国卿の決定。
つまり、ジャックが自害した場合、シスター・マチルダを連続殺人事件の首謀者とするという件についてだ。
「……悪かったわ。でも、そうでもしないと貴方自害しかねないじゃない」
「俺の命は俺の物だ」
「だからどう扱おうと勝手ってわけ?フィーネを置いて?」
「……」
高飛車なジェルヴェールの優しい迫力。
ランタンの灯に揺れる空間に沈黙が落ちる。
やがて、この国を支配する護国卿の義娘は、可憐な唇から本題を問いかけた。
「貴方がカマイタチなわけ?」
「……」
「他にもいるっていうの?」
「……」
「だんまり?」
「……」
ジェルヴェールは一呼吸おいて、変わらぬ瞳でジャックを見た。
「私の問いに答えられないわけ?黒の騎士団である貴方が、ローザリア卿の娘である私に言えないんだ?」
「……」
やや見下ろすようなジェルヴェールの強く優しい眼差しに対して、今この王都で最も世間を騒がせている連続殺人犯〝カマイタチ〟は目を合わせようとしない。
ジャックが所属する黒の騎士団は、護国卿の私兵団だ。
その黒騎士であるこの青年が、こんな不祥事を起こしていた理由――。
前回、護国卿がジャックに自決を禁じたことについて、ジャックは己の身を案じたジェルヴェールの口添えだと見抜いた。
それに対して、ヴァルはなぜ事件の真相を捜査されるためだと思わないのかと訊いた。
その質問に、ジャックは答えなかった。
その情報は、既にジェルヴェールも共有しているだろう。
連続殺人事件を犯した幼馴染に対して、批判を含めない真摯な眼差しで訊ねる。
「貴方――キアラヴァ王国との戦争に参加しないみたいね」
「……」
目線を逸らしたままのジャックの瞳には、不動の精神が強く表れていた。
何故そんなものがあえて強く表れるのか。
そこに彼の弱み――本気で隠したいものがあるのだろう。
(分かりやすい奴だ)
横から見ているヴァルは思った。
牢獄には似合わない豪華なドレスに身を包んだジェルヴェールは、牢にて座するジャックを真っ直ぐに見据えて、ハッキリとした口調で続ける。
「もう分かってるわ。キアラヴァ王国と戦争が始まった時の、軍備計画書を見たの。貴方の名前のところには面白いことが書いてあったわ。〝特別任務部隊隊長〟って」
「――」
「特別任務ってフィーネの護衛でしょ?貴方はあの子の専属の騎士になって、戦争でこの王都が攻め込まれた時に、彼女を逃がす役目を負ってる」
「……」
仲良し四人組。
例の事件を期に、その輪から自ら外れたジャックの本当の想い。
それを知りながら、誰にも話さずに一人で彼を見守り続けた少女、ジェルヴェール・ディア・ローザリア。
「私も、護国卿の娘だもの。このグレゼン島がキアラヴァ王国ないし人類王国連盟に落とされたら、西のカイルランド島に逃げる手筈になってる――きっと、フィーネと貴方と一緒にね」
「……」
ジャックは目を逸らしたまま何も言わない。
隠し事が苦手なのは昔からだ。
ジェルヴェールの記憶では、本当に不器用な男の子だった。
それは、〝剣聖の後継者〟と呼ばれる今になっても変わらないようだ。
ジェルヴェールは続ける。
「交換条件なんでしょ?お義父様と」
「フィーネを守る立場を貰う代わりに、カマイタチとして働いたんだろ?」
ここに来て、ヴァル・シュバインが二人の会話に割り込んだ。
「ジェルヴェール、ここからは俺が話す」
それを聞いて、ジェルヴェールは身を引いた。
「外で待っていてくれ。ここに近付く奴は止めてくれ。あと、何かあったらすぐに教えてくれ」
そう言って、男として美しい左手の五指を上へ向けると、その少し上に光が浮かび、立体文様へと変化した。
それは天井まで昇っていくと輝きを放ち、一本道になっている廊下を出入り口まで強く照らし出した。
背中を向けたジェルヴェールが歩いて行く。
まるで神が照らす光の道筋を美しき巫女が歩いていくような光景に、暗闇に慣れていた目を強くしかめる囚人ジャック・シャムシェイル。
男なら目を引くであろう美しい髪を揺らしながら、離れていく少女。
独房の扉が開き、光の中に姿を消す。
扉が閉まった。
続いて、ヴァルの立体魔法陣が消える。
「さてと」
再び落ちた闇の中、薄暗いランタンの光の傍で、ヴァル・シュバインは瞳を囚人に向けた。
そこに宿るのは野生の輝き。
「本題に入ろう」
監獄の独房。
鉄格子に隔たれた、二人しかいないこの空間で、暗黒街の王はその話を始めた。
「よくも俺の可愛い妹たちを殺してくれたな、と言いたいが――護国卿の命令だからな。お前を責めるつもりは無い」
権力に振り回されて生きる者たちに共通する価値観。
強い上下関係において、指示され実行した者を恨んでいてもキリがない。
責任は指示した者にこそある。
湧き上がる怒りを大きく飲み込みながら、暗黒街の王は冷静だった。
「護国卿の目的はなんだ? なぜ俺のところの女たちを殺した?」
「……」
「知らない、か」
ヴァル・シュバインは勝手に答えを出したが、ジャックの表情からは、それが事実だと読み取れる。
「ジャック、お前は〝剣聖の後継者〟だ。今じゃ俺よりも遥かに強い。単純な戦闘では相手にもならないだろう」
先程華麗な魔術の灯を披露した、文武両道の青年は堂々と続ける。
「黒の騎士団の中でも、お前を凌ぐ者はいないと聞く。だが、お前は黒の騎士団全員に勝てるか?」
「……」
二人の眼光が交差する。
ジャックの視界の中で下らぬ問いをするヴァルは、首を振って自らの問いに対して答えを出す。
「無理だ。数が違いすぎる」
至極、当然のことだ。
黒の騎士団が、一体何人いると思っているのか。
「お前一人と黒の騎士団全員では、戦力に差がありすぎる。この国と人類王国連盟でもな」
「……」
囚人は何も言わない。視線だけが交差している。
「お前は護国卿の言いなりになって、フィーネを殺す気か?」
「!」
ジャック・シャムシェイルの全身から殺気が膨れ上がった。
剣聖の後継者――もはやその名を超える気迫。
ヴァルは全身の毛が逆立つ悪寒に襲われ、この囚人と自分とを隔てる鉄格子があまりにも頼りないことを本能で感じた。
暗黒街の王とは言え、人間である。
もし、ここで死ぬことがあればそれで終わりだ。
恐怖という感覚はある。
だが、揺らぎそうな心は揺らがない。
揺らぐことを許さない。
そんな自らの心に炎をくべ、思考に氷塊を押しつけ、引くことを忘れて堂々と話を続ける。
「お前のしようとしていることはそれだ。お前は昔から、目先のことに捉われて大局を見誤るところがある」
囚人の殺気が収縮する。
思い当たる節があったのだろう。
共感が怒りを冷まさせたようだ。
ヴァル・シュバインは話を続ける。
「このまま戦争が起きれば、グレザリア王国はキアラヴァ王国と冷戦状態になる。それが護国卿のお考えだ。お前も聞いているだろう」
そこでジャックが一言、
「我が師は兵法に長けるお方だ。あの方が行う指揮に抜かりは無い」
ヴァルは即座に返す。
「ああ、同意する。〝剣聖〟ディルク・ディア・グレイス公爵の兵法に抜かりは無い。だからこそ、グレザリア王国とキアラヴァ王国は冷戦になる。グレザリア王国は、グレゼン島とカイルランド島という二つの大きな島を中心に形成される島国だからな」
ヴァル・シュバインは、冷静なまま話を続ける。
「そしてグレザリア王国の領土を欲しがっているのは、キアラヴァ王国だけじゃない。他の二国もそうだ。だから、陸続きになっている他の二国を警戒して、キアラヴァ王国は全戦力を投入できず、グレザリア王国を落とせないだろう。他の二国も同様だ」
戦争において、国の総戦力がどれだけ大きくても、そのすべてを戦場へ投入することができるわけではない。
己の領地が大きければ大きいほど、それを守る戦力を待機させていなければ、領土は他の国に占領されてしまう。
グレザリア王国以外の四大王国は、すべて大陸に位置する。
国境を越えればそこは隣国。
攻め込むにあたって、船も何もいらないのだ。
ヴァル・シュバインは続ける。
「戦略としては申し分ない。三国を相手にして、一国が冷戦状態に持ち込めるんだからな。だが、お前もグレイス公爵もローザリア卿もそこだ。発想が〝軍〟だ。〝国民の生活〟じゃない」
「……」
妖艶な青年は、侮蔑に満ちた瞳で囚人を睨んだ。
「お前たち軍人が命を懸けて戦うのは勝手だ。だが、そこに国民の幸福はあるのか? 冷戦になる可能性が高いとはいえ、戦争だ。人は死ぬ。労働力が減り、国力は衰える。国交が途切れる以上、物資も足りなくなる」
遠くを見て、若き王は言った。
「――それじゃあ、みんな飢えるんだよ」
「……」
「お前はフィーネにしか興味が無いかもしれんが。そのフィーネは、自国民が飢えていく様をどう思うだろうな」
「……」
黙って話を聞くジャックに、ヴァルは淡々と続ける。
「マフィアとは言え、俺は商人だ。物を流通させて、利潤を得る。そこに人々の幸福があるから、需要が生まれる。そこに供給するから利益が生まれるんだ」
いつも商会の仲間たちに言い聞かせている台詞。
暗黒街の王の信念だ。
ローザリア卿の庇護の元で、彼はこの信念を基に商会を大きくさせてきた。
そして、街は豊かになった。
ヴァルは今一度ジャックを見て言う。
「分かるか? ありふれた言葉だが、戦争は何も生まない。侵略しない限りな。戦争で利潤が生まれるとすれば、それは相手の領土を侵略した場合だ。冷戦になるようじゃ、相手の領土は奪えない。だから、利潤は生まれない。良くて消耗戦だ。やる価値の無い戦争なんだよ」
「なら、どうすればいいと言うんだ?」
ジャックが静かに問う。
ヴァルは余裕の笑みを浮かべて、
「そのための〝計画〟だ。戦争をやめさせるためのな」
「戦争をやめさせる、だと?」
ジャックが顔をしかめる。
「ああ。俺にならできる。戦争をやめさせることがな」
ヴァルの言葉にしばし思案してから、ジャックは冷静な声音で、
「――無理だ。そんなことをローザリア卿が認めるわけが……」
そう言いかけて、囚人はふと何かに気付いたように目を見開いた。
「まさか、お前……」
ランタンの灯りに、ヴァルの不敵な笑みが揺れていた。




