第42話 幽閉された狂刃
真昼の陽光が照らす、緑が美しい庭園。
大きな屋敷を背景に、笑う三人の歳は十歳程。
だから、こうして皆と遊んでいる自分も、まだ幼い頃の自分なのだと気付く。
メンバーはいつも通りの四人組だ。
去年から仲間になった、高飛車な親友ジェルヴェール。
皆のリーダーだった、黒髪の美少年。
彼と比べて、明らかに冴えない少年。
そして自分、フィーネ・ディア・グレイス。
景色が変わる。
先王主催の大きな夜会で、みんなの両親が王城に集まった夜。
大人たちに内緒で、四人で王城から抜け出したことがあった。
ここからの景色は、その時の記憶だと夢ながらに気付く。
言い出したのは黒髪の美少年。
彼にフィーネとジェルヴェールは強く賛同して、冴えない少年の制止など聞く耳持たなかった。
初めて見る夜の世界は美しく、みんなの心を虜にした。
煌々と輝く満月は、四人を祝福してくれたように思えた。
だが、四人が悪い大人たちに会ってしまった時、月が残酷に笑ったような気がした。
身なりの良い子供たちだ。
拉致することができれば、多くの身代金を請求することができる。
暗い夜の街を徘徊していた悪い大人たちにとって、フィーネたちは極上の食い物にしか見えなかっただろう。
具体的な言葉は覚えていないが、その大人たちは急に怒り出した。
今思えば態度を急変させただけなのだが、当時の自分にはそんなことが分からなかった。
ただ、戦わなければと思ったのは、父と母から受け継いだ誇り高きグレイス家の勇敢な血潮故だったか。
子供四人と、大人五人。
戦力差は目に見えて明らかだったが、黒髪の美少年は剣術も魔術も強かったから、上手く抵抗できていた。
次に強いのがフィーネだったから、必死に抵抗した。
お嬢様育ちでしかないジェルヴェールは戦力外。
また、冴えない少年は身体が小さくて、痩せていて、弱かった。
弱かったのに――その日、フィーネに振り下ろされた悪い大人の怒りの剣から自分を守ってくれたのは、意外にもその少年だったのだ。
結局その夜は、黒髪の美少年の機転と魔術を駆使して、四人で上手く逃げることができた。
次の日の朝、衣服の破れや怪我から抜け出したことがバレて、四人は大人たちから説教を受けることになった。
そして、額から血を流しながらも勇猛果敢にフィーネを庇ったその少年は、その日からみんなと遊ばなくなってしまった。
明確な理由は分からない。
誰が訊いても彼は教えてくれなかった。
あんな目に遭ったのだから仕方がないと、フィーネは自分の浅はかさを後悔していた。
彼の育ちは、王都の修道院に設けられた小さな孤児院。
仲良し四人組の中で、唯一の平民であり、なおかつ孤児だった。
今はもう働いていて、その収入の殆どは育ったその孤児院へと寄付されているという。
彼の職業は――。
「久しぶりだな」
冷たく湿気の多い濁った空気の中、響いた声に目を開けると、視界の中央に黒髪の青年が立っていた。
不敵な笑みは幼い頃より一層独特な貫禄を感じさせ、秀麗だった顔立ちは今や妖艶な色気さえ含んでいる。
当然ながら、背は比べものにならないほど高くなった。
この暗闇に満ちた石造の独房の中で、横に連れた看守の持つランタンに照らされたその姿は、完全なる王者の風格に満ちている。
「――ヴァル・シュバイン」
呼ばれ慣れた名前を、呼ばれ慣れない男に言われ、暗黒街の王は鼻を鳴らした。
他の囚人たちと完全に遮断された、地下遺跡にも似た独房。
両手を鎖で縛られ、結跏趺坐の姿勢で自分を見上げる青年を見下ろしたまま、ヴァルは彼の名を呼び返す。
「黒の騎士団所属――〝剣聖の後継者〟ジャック・シャムシェイル」
暗黒街を統べる妖艶な瞳が、若き囚人の額に残る古い十字傷を映す。
その下に光る瞳は、不動の精神を映したままヴァルを見据えていた。
独房の外に立つ青年と、中に座る青年。牢の格子に遮断された二人の青年たちの間に、異様な空気が漂う。
ヴァルは、体制側の決定を告げる。
「護国卿は、お前の自決を禁じた。もしお前が死ねば、シスター・マチルダが黒幕として裁かれるそうだ」
「……ディア・ローザリア嬢が口添えをしたのか?」
低い声。
ジャック・シャムシェイルと呼ばれた青年の瞳に、冷たい怒りの炎が浮かぶ。
それが、義母を巻き込んだ女への怒りであることは、ヴァルにはすぐに分かった。
だが、
「なぜそう思う?」
ヴァルの問いに、ジャックは冷たく答える。
「護国卿に意見を言える者など、あの方しかいない。そして、俺の身を案じる者も、な」
「なぜ、護国卿の決定がお前の身を案じるものだと思った?」
湿った独房の床よりも冷たいヴァルの問いに、ジャックは顔をしかめた。
ヴァルは訊き続ける。
「護国卿の決定が、お前の口から今回の事件の裏を探るためのものだとは思わなかったのか?」
「……」
視線を外したジャックを見据えたまま、暗黒街の王ヴァル・シュバインは口許を緩めた――その瞳が笑うことはなく。
「相変わらず、頭が悪いヤツだ」
何か意図があったのだろうか、横にいる看守の訝しむような気配を感じながら、ヴァル・シュバインはそれ以上その話をしなかった。
代わりに、
「護国卿に意見を出したのは、ディア・ローザリア嬢だ。だが、お前の身を案じているのは彼女だけじゃない」
ヴァル・シュバインが視線を自らの背後へと送る。
ランタンの灯の影、廊下に満ちる暗闇に隠れていた、一人の少女が姿を現した。
精悍な瞳。
少しクセのある、栗色の長い髪。
女性らしさの奥に高い身体能力を感じさせる身体付き。
今時の貴族令嬢でありながら、騎士として生きてきた少女、フィーネ・ディア・グレイス。
少女は、精悍な瞳に強い怒りと悲しみと疑問を包み隠さず写したまま、苛立ちを足音に変えて鉄格子の前に歩いて来た。
独房の中に座る青年を見据えて、一言。
「開けて」
静かに強い、ハッキリとした口調に看守が慌てる。
「しかし、こやつは連続殺人犯カマイタチの疑いが……」
「いいから開けて」
繰り返すより強い声に、より明瞭な滑舌。
何回も言わすなと、そう言われた気がして看守は鉄格子の鍵を外したが、その扉を開けたのは割り込むように手を伸ばしたフィーネだった。
何かあったらすぐに助けに入れるように身構える看守には目も向けず、フィーネは鉄格子に設けられた狭い扉を潜る。
両手両足を拘束されているとは言え、囚人である青年の胴体は自由である。
両足を揃えて行う飛び蹴りや両手突き、或いは頭突きならいつでもできる状態だ。
それに加えて、この囚人は炎の魔術の心得まであるという。
だが、フィーネは顔色ひとつ変えないまま独房の中へと入り、そんな危険な殺人犯の間合いに入って、手を大きく振りかぶった。
それは、大振りな平手打ち。
ヴァルにも、ジャックにも、フィーネ自身にとっても遅すぎる、大きな動き。
避けるも止めるも簡単にできる女の平手が、カマイタチとされる青年の頬を強く打つ。
乾いた音が、湿った牢獄に響いた。
ジャックは、頬の痛みを感じたままフィーネに視線を戻す。
その目付きが気に入らなくて――怒りも何もない、真っ直ぐで冷たく優しい目つきで自分を見ているのがやるせなくて、フィーネは感情のままに再び大きく手を上げて、振るう。
牢獄にまた乾いた音が響いた。
怒りで少女の呼吸が暴れる。
肺の空気が逃げて、戻って来ない。
逃げていってしまう空気を無理矢理吸い込み――ゆっくりと吐きながら、昂る感情と壊れそうになる理性とのジレンマに耐える。
これだけ怒りを顕わにしているフィーネが珍しいのか、意外そうに見ているヴァルの視界の中で、フィーネの可憐な唇が疑問を溢す。
「……何なの?」
そんなフィーネを見上げていたジャックは、目を逸らし、
「知っての通りだ」
連続殺人犯ジャック・シャムシェイルの冷たい声に、フィーネの顔が再び熱くなるが、自分を強く抑え、一度の深呼吸で頭を冷やしてから、訊ねる。
「……理由は?」
「……」
答えない。
「ッ!」
フィーネの目が怒りに染まるが、すぐに意気消沈する。
いや、怒りと覇気を逃がして意気消沈させたと言った方が正しい。
諦めたように囚人に背を向ける。
「……ミラアさんは?」
再び鉄格子に設けられた狭い扉を潜り、牢の外へ出ながら訊ねるフィーネに、ヴァルは答える。
「案内する」
錆びた蝶番の音が響き、さらに格子扉が閉まる音が響く。
それに合わせて、看守が慣れた動きで鍵を閉める。
未だに結跏趺坐を崩さない殺人犯を横目でもう一度睨んでから、フィーネは女性らしい背中を向けて、薄暗い廊下へと歩き出した。
「何なの?もう嫌……」
フィーネの瞳から零れる涙。
背後に座るジャックに気付かれないよう努めながらも、漏れた声は殺しきれない感情そのもの。
本当は彼に聞いて欲しかったものだった。
もしジャックがきちんと話をしてくれたのなら、もっと良く聞いて、きちんと受け止めて欲しかった言葉。
思わず口から出たものの、自らの耳に入ることでそれを強く自覚する。
囚人から離れていく、ランタンの灯と人影と足音。
フィーネとヴァルの気配が看守と共に無くなり、ジャック・シャムシェイルは独り何の光も無い独房に残された。
しかし、胸に満ちるのは、捕まってしまった自分の甘さに対する反省。
そして、すべての黒幕に対する疑念。
だが、そこに己の保身など全くない。
この身が成すすべては、ただひとつの夢のため――。




