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幾千夜の誓いを君へ  作者: 月詠命
一章 潮風に舞う願いの残り香
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第3話 一流のハンター




 グレザリア王国の交易の要である港湾都市ジャスニーは、その至るところに公共浴場が設けられている。

 ミラアとフィーネが向かった先も、そんなありふれた浴場の一つだった。


 コンクリートと煉瓦で造られた、比較的大きな建物。

 換気と採光のために屋根がなく、ぽっかりと開いた天井を見上げると、四角い空が青く澄み渡っている。


 陽光が室内まで強く差し込んでいて、フィーネの目に映る、一糸纏わぬミラアの姿。

 白く透明な肌は、蒸気に濡れてその輝きを増していた。


 傷ひとつ無い、不自然なほどに美しい肌。

 人間離れした、決して蒼みのない、穢れぬ雪のように純白な肌。


 荒野を駆け抜けるハンターの身体だとは思えない類の美しさだった。


 母の身体には、いくつもの細かい傷があったことを思い出す。

 二人の経歴を比べれば、まだ若いミラアが母ほどの修羅場を潜っていないというのは当然ではあるのだが。


 メリハリある滑らかな女性美を象徴するような姿が、足元からゆっくりと湯船に浸かっていく。

 見とれていたフィーネは、自分も遅れないようにと湯船に体を沈めた。


 キラキラと輝く水面に飾られながら座り込んだミラアは、浴槽の縁に頭を乗せて寝転ぶような姿勢で目を瞑る。

 紐で結んだ銀色の髪が湯船に浸かり、陽光に照らされてやはり美しく煌めいていた。


 そんな眠るような横顔を見ながら、つくづく美しい女性だとフィーネは改めて思った。

 多くの貴族や王族たちが集う社交界でも、これだけ美しい女性は滅多にお目にかかれない。


 こんな女性がハンターとして、大自然の驚異や荒くれ者たちの中で生きているのだと思うと、その美しさ以上に心を強く打つ強烈な何かを感じる。


 そう思いながらも、温かい湯に包まれて、その温度が身体の芯まで伝わっていくのを感じていると、乾いていた心が熱く潤い、同時に全身が解れていくような気がした。


 目を瞑り、宿屋の食堂でミラアとした会話ん思い出す。




「スパイス隊商の護衛、やってみない?」


「え?」


 フィーネは目を剥いた。


 ハンターの仕事は多岐に渡り、その中に危険度というランクが存在する。


 隊商の護衛というのは、農村部の護衛同様、ハンターの仕事としてはごく一般的なものだ。


 だが、スパイスの輸送に限っては、その危険度が大きく異なっていた。


 スパイスの独特な芳香は空に舞い上がり、風に乗って周囲に行き渡る。


 人を食べたことのある魔獣たちは、その香りを〝人間の匂い〟として覚えているため、その香りがそれらを強く寄せ付けることになる。


 その結果、スパイス輸送における護衛は、一流のハンターたちが文字通り命を懸けて行う大仕事であり、熟練ハンターたちの花形となっている。


 ハンターとしては新米のフィーネが、誘われて驚くのも無理はなかった。


「え、無理ですよ……!」


「フィーネ、バリスタは使える?」


 バリスタとは、言うなれば巨大なクロスボウのことである。


 一流のハンターたちといえども、巨大で素早く屈強な魔獣たちに、生身の人間が勝てるわけがない。

 人は文明の力を使いこなすことで撃退するのだ。


「ええ、一応は……」


 バリスタは、戦争においても重要な主力兵器である。

 貴族ーーつまり騎士たるフィーネには馴染み深いものだ。


「なら決まりだね。明日、この街で選考会があるんだ。王都行きの隊商でね。フィーネ、これからもっと他の地域に行くつもりだった?」


 フィーネは首を振って、


「いえ、ジャスニーまで往復したら、一度王都に戻ろうとは思っていました」


 それを聞いたミラアは風のような笑みを浮かべて、


「ならちょうどいいじゃん。一流のハンターとして仕事してさ、王都に戻ろうよ」


 そう言って、ミラアは陶器のカップに入った紅茶を飲み干した。




 フィーネは、公共浴場で湯に温められている自分に還った。


 王都から少し離れてみたのは、いい機会だったと思う。

 明日の選考会も、きっと自分にとっていい出来事になるのだろう。


 騎士の娘として生まれ、剣と魔術の腕を磨いてきた。

 剣では城の騎士相手でも負けることはないし、魔術においても宮廷魔術師に採用されるレベルであると言われている。


 そんな自分では歯が立たない、というよりバリスタ無しの生身の人間では通用しない野生の魔獣。

 そんな怪物たちが、場合によっては群れを成して、その巨大な口と牙で自分の肉を喰らいに来るのである。

 恐ろしくないはずがない。


(フィーネ、バリスタは使える? ……なら決まりだね)


 強さと自信に裏付けされたような、優しく柔らかいミラアの言葉と笑みが頭をよぎる。

 真っ暗な夜でも、雲が流れて満月が顔を出せば、広大な大地は明るく照らされるものだ。


 バリスタの腕が良ければ、遺跡発掘や賞金首捕獲にも勝るハンターの花形、スパイス輸送隊商を護衛する資格が、自分にもあるのだという。


 グレイス家令嬢としてではなく〝フィーネ〟として、スパイス輸送隊商の護衛をする。

 この機を逃せば、こんな話は二度とないと言い切れた。


 左右二十メートルほどある四角形の浴槽には、十人以上の女たちが浸かっていて、ミラアの美しさと銀髪は、その中でもひと際目立っている。


 めずらしい髪の色に、自分が憧れている女ハンターのことを思い出した。

 子供の頃は、この色の髪を見るたびに、うらやましく思ったものだった。


 母から聞いた女ハンター、〝銀の魔女〟ラミアキカーヴァ。


 もう二十年も前に活躍した人で、最近の若者は名前も知らないそうだが、母が若い頃にはグレザリア王国領内にその名を轟かせていた。


 王国領内に女性ハンターが少なくないのも、彼女の強かな生き方が当時の若い女性たちの憧れになったからだという。


 グレゼン島の北の村に生まれた母は、十五歳の時からハンターとしてグレザリア王国領内を渡り歩いた。

 王都に定住する二十歳の時まで、ずっと姉のように苦楽を共にした女性が、当時〝銀の魔女〟の通り名で知られたラミアキカーヴァだったそうだ。


 とても冷めた性格で、決して笑うことがなかったという。


 活発な性格の母を、冷たく見守る姉のような女性。


 今自分の目の前でくつろいでいるミラアは、性格的には真逆とも言えるが、身体的特徴は母の話から想像していた〝銀の魔女〟によく似ている。


 自分がこの若き女ハンターに好意を抱いているのは、助けてもらったということ以上に、そんな憧れの女性を連想するからなのかもしれない。


 もちろんそれは、ミラア本人に対して失礼なことになるのだが……。


 生じる僅かな自己嫌悪はすぐに振り払い、何となく、湯船の中で自らの両肩を掌で抱く。


 二十年程前に母と別れてから消息を絶った〝銀の魔女〟

 その年齢は定かではないが、当時は二十歳から二十代前半ぐらいだったと母から聞いていた。

 彼女がもし生きていたとしたら、今四十歳を超えている計算になる。


 ミラアの年齢は、見た目から二十歳前後だと推測できる。


 仮に、もし――彼女が〝銀の魔女〟の娘だったとしたら――この出会いは、運命的で素敵なものではないだろうか。


 考えすぎかもしれない。

 しかし、期待がフィーネの背中を押した。


 憧憬から来る多少の緊張を振り払い、

「ミラアさん」


「ん?」

 フィーネの呼びかけに、目を瞑ったまま答える美の彫像。


「ミラアさんってキアラヴァ王国出身なんですか?」

「……うん」

 甘く擦れたような声。


 〝銀の魔女〟は、二十年程前に母の前から姿を消して以来、消息を絶った。


 名高いハンターの話を風の噂が運んで来なくなったということは、彼女の身に何かがあったのだろう――世間はそう思ったらしい。

 〝銀の魔女〟の生ける伝説は、それで幕を降ろした。


 だが、もし――彼女が海を渡って、キアラヴァ王国に行っていたらどうだろうか。


 そこで婚姻し、娘を生んでいたらどうだろうか。


 母の口からは、美しく素敵な女性であったと聞いている。

 どこかの貴族に見初められたかもしれないではないか。

 母のように。


「その、ミラアさんのご両親ってどんな方なんですか?」


 名字は父方の姓を継いだのかもしれない。

 だが、返事はフィーネにとって意外なものだった。


「知らない」

「え?」

 長いまつ毛の並ぶ、白い目蓋が開く。

 紫の視線は遠い空へと向けられたまま、

「両親でしょ? 知らないんだ、顔も名前も」


 風が鳴いて、湯気が舞う。

 女神はなんでもないような顔でフィーネを見た。


「……! ごめんなさい……」

 一度目を見開いてから俯いたフィーネを、少し楽しむような目で見て微笑むミラア。

「全然いいよ。そろそろ上がろっか?」


「……はい」


 何事もなかったかのように、やや上機嫌そうに立ち上がるミラア。

 雪色の身体に絡みついた湯が流れ落ちる。


 そのまま二人は一緒に湯船から上がり、灰汁と湯で髪と身体を流した。

 バスタオルで髪と身体の水気をしっかり吸い取ってから、服を着て、預けていた荷物を確認すると、植物由来の香水を軽く振って浴場から街へ出る。


 白い塗料や煉瓦によって飾られた、主に二階建ての建物が密接して並ぶ通りを歩いて行く。

 夕日に照らされて光と影に彩られた家々の下、人々は夜が訪れる前に帰路へつく。


 人の流れに乗りながらミラアと一緒に宿に着く頃には、東の空はもう黄昏に包まれていて、飛び交う鳥たちよりも遥か上空を星々が煌めいていた。




 

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