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幾千夜の誓いを君へ  作者: 月詠命
四章 煌めく絵画への招待
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第36話 魔王の娘




 青年が言い終わるのと同時に、フロアいっぱいにオープニングのファンファーレが鳴り響いた。


 続けて、オーケストラの奏でるワルツの音楽がフロアを満たす。


 主催者によるスピーチが省略されている舞踏会の流れで、主催者に声をかけられたという事実。


 このタイミングでは、まるで主催者であるローザリア卿が、自分一人にだけスピーチを行っているかのように思えてしまう。


「ご一緒にいかがかな?」

 突然の出会い。

 目の前で微笑む、想像よりも美しすぎる本物のローザリア卿に誘われて、ミラアは声を忘れて頷いた。


 この国の支配者の手は、ミラアに優しかった。


 二人は抱き合うように、左回りの優雅な円舞曲ワルツを踊る。


 周囲の視線が注がれる中、ミラアが流麗な回転ステップを行うと、集まる視線に混じる感嘆の声。


 見つめ合うローザリア卿の、感心した表情も見逃さない。


「ローザリア卿のお相手は誰?」

「美しい貴婦人だ」

「若いな……どこの令嬢だ?」


 周囲から聞こえてくる声すべてが二人を祝福する。


 まるで今宵の主役にでもなったような気分。

 それを自覚してすぐに、視線を重ねていたローザリア卿から目を逸らして、ミラアは頭を冷やした。


 ミラアは確かに、この男に会いたいと思っていた。


 この国を破滅させる元凶。


 その美貌をちらりと見上げて、重なった視線を再び逸らす。

 見た目の若々しさが、人の領域を超えている。

 百歳を超えると言われる若き青年。


 色々な意味で底知れない、とミラアは思った。


「私と見つめ合うのは不快かな?」

 ローザリア卿が訊いてくる。


 そこに込められた感情は、察しと思いやり。

 それに純粋な遠慮と気遣いだ。


「いえ、申し訳ありません。殿方と見つめ合うことに不慣れでして」


「なるほど」


 視線を上げなくても、頭上にはまたあの微笑みがあるのだろう。

 ミラアがこうして視線を落としていても、それも善しと微笑む心。


 女の直感は、男を男としてしか見れなくなると、使い物にならなくなる。




 オープニングのワルツを終えたミラアは、そのままローザリア卿に連れられて、グレイス公爵夫人のところへ戻った。


 ローザリア卿の横にご一緒させて頂くこと――その素晴らしさを語る視線を全身で浴びながら。


「ご機嫌麗しゅうございます、ディア・ローザリア卿」


 カタリーナ・ディア・グレイスが、カテーシーの挨拶をする。


「こんばんは。久しぶりだね、ディア・グレイス公爵夫人」


 フィーネはミラアをちらりと見てから、

「ご無沙汰しております、ローザリア卿」


「こんばんは。フィーネも綺麗になったね」


(何この親戚みたいに和やかな空気は?)


 ミラアは我が目を疑った。


 恐怖で国を支配するローザリア卿のイメージが、目の前にある柔らかな笑顔の前に薄れていく。


「ジェルヴェール!」


 ローザリア卿は聴き心地の良い爽やかな大声を出して、少し離れた席にいる少女に向かって手を上げた。


 ミラアはハッとした。


 その少女は、いつかキラキラ浴場で見た若い女によく似ていたからだ。


 身体付きや雰囲気の違いから別人であるのは明白だったが、親戚か何かだろうか。


 赤い髪を長く伸ばしたその少女は、値踏みするような視線でミラアを一瞥し、ローザリア卿の誘いに応じてこちらへ歩いてくる。


「ご機嫌麗しゅうございます、公爵夫人」

 ジェルヴェールと呼ばれた少女は、軽いカテーシーをディア・グレイス公爵夫人に行うと、フィーネに目を向けた。


「フィーネ、久しぶりね」

 高慢な笑顔がよく似合う美少女だと思った。


「久しぶり……」

 笑顔でそう返すフィーネはまだ何か言いたそうだったが、ジェルヴェールが視線をミラアに移したのを見て自重した。


「娘のジェルヴェールだ」

 ローザリア卿はそう言って、ミラアに赤い髪の少女を紹介する。


 ジェルヴェール・ディア・ローザリア嬢。

 年齢は二十歳前だろう。

 フィーネと変わらないような年頃だ。


 グレザリア王国のローザリア卿には、一人娘がいる――そういう話はキアラヴァ王国でも聞いていた。

 だが国外におけるローザリア卿の噂など、矛盾するものがいくつもあり、こうして実在しているのを確認すると、少し不思議な気分になる。


 それにしても、この二人は親子になど絶対に見えない。


 小さな年齢差は大きな違和感となり、ローザリア卿自身が見るからに不自然な存在であることを浮き彫りにする。


 周囲と異なる奇抜なものに対する評価は、極端な善し悪しに分かれるものだ。

 周囲の人間たちの都合と思惑によって。


 もし、ローザリア卿が美しい外見も強大な権力も持っていなかったら、彼は周囲の者たちからさぞ不気味な存在として映るのだろう。


 それが、この利権と陰謀が渦巻く社交界において、どういう意味を持つのか。


 〝グレザリア王国は、人外の魔王に乗っ取られた〟


 ジャスニー海峡を渡る前、キアラヴァ王国で聞いた大戦のスローガンが脳裏に蘇る。


 魔王の娘がミラアを見たタイミングに合わせて、


「初めまして、ミラア・カディルッカと申します」

 ミラアは冷静なまま、ディア・ローザリア嬢に対してカテーシーを行う。


「こちらこそですわ、レディ・カディルッカ」


 精悍なフィーネとは真逆で、お高く気取った印象の少女だ。


 だがミラアを見つめるその瞳は、初対面の相手に向けるものではなく、再会した友人に向けるような輝きを放っていた。


 反面、ジェルヴェールを見つめるローザリア卿の顔が、どこかやり辛そうに見えるのは気のせいだろうか。

 まるで可愛い娘に逆らえない父親が、彼女にその権力を利用されているような印象さえ受ける。


 齢百歳を超える青年、キュヴィリエ・ディア・ローザリア。

 彼は一体何者なのだろうかという疑念がさらに深まる。


 本人には訊くに訊けない。


 この娘に弱く、ミラアを大切に振る舞ってくれた美しい紳士は、ドラゴンを討伐した逸話を持ち、多くの貴族たちを暗殺し、グレザリア王国を恐怖で統べる支配者〝護国卿〟キュヴィリエ・ディア・ローザリアなのだから。


 その娘――ジェルヴェールがミラアを見て、

「少し、外の空気を吸いたいわ。ご一緒にいかがかしら?」

 と言った。


 意外ではあるものの、断る理由も自由もない。


「はい、ぜひ」

 と、ミラアは笑顔で返す。


 年齢は若くとも、ローザリア家の令嬢である。

 むしろ父からの溺愛によって、ある意味では父親以上に権力を持っている可能性さえ浮上してきた。


 ハンターとして関係を作ったフィーネとは、そもそもの縁が異なる。

 こちらの立ち回り方で、強力な敵にも味方にもなるだろう。

 フィーネや、ディア・グレイス公爵夫人の顔も立つ。


 ジェルヴェールに付き添うかたちで、ダンスフロアの端にある大きな両開きの掃き出し窓を開けると、白銀の世界だった。


 漆黒の空には欠けた月と星々が輝き、よく磨かれたバルコニーは銀色に照り返している。


 その向こうに広がる庭園。

 一面の白い砂利は月明かりに飾られて、雪景色にも見えた。




 

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