第35話 運命の夜
敷地の正門前に待機していた四人乗りの馬車に乗り込み、ディア・グレイス公爵夫人とフィーネ、そしてミラアの三人はローザリア卿の住むグレザリア王城へと向かう。
かつて王都だった城塞都市ゴートンから、女王リリスが移住した新王都。
歴史を持つ王都グレザリアは、街よりも先に優雅な城が完成した城下町である。
都市設計自体が王城を中心に広がり、生活の利便さと快適さを重視して行われたため、広大な円形都市の中心に王城があるという配置。
大通りは、王城の敷地から市壁に向かって放射状に八本存在する。
それぞれの大通りに面して兵士関連の施設があるものの、敵軍の進行を全く意識していない都市設計だ。
そのおかげで、ミラアを乗せたグレイス家の馬車は、新市街地と旧市街地を王城へ向かって真っ直ぐに抜けていくことができる。
十六基の巨大な塔を円状に繋ぐ豪華で堅牢な城壁と、設けられた巨大な門。
その上に大きく覗く白亜の城。
ゆっくりと走る馬車のフロントガラス越しに見る優雅なその姿は、時間に比例して大きさを増していく。
黄昏の空を背景にして聳えるそれは、天を隠すかのような巨大なシルエットを虚空に刻み、無数の窓からはそれと同数の灯が漏れていて、城内に満ちる光量を物語っていた。
巨大な城門の前に着くと、漆黒のフルプレートに身を包んだ十人ほどの黒騎士たちが、物々しくも優雅な佇まいを出し惜しむこともなく、堂々と立って迎えた。
装飾的な意味合いで身に付けた豪華な装備であるにしろ、その鎧は黒鋼を鍛えた本物の〝武力〟の結晶である。
生半可な剣や槍などを通さないその鎧の重量は計り知れないが、魔力の恩恵によって人の域を超えた肉体を持つ漆黒の騎士たちには、さしたる問題にもならないのだろう。
彼ら、そして彼女らの姿に秘められた戦闘力は本物であり、腰に据えた二本のサーベルや、手に持って大地にその柄を突き刺した槍や槍斧などが、見る者に過剰な戦力を感じさせる。
本能に訴えかける迫力を秘めた騎士たちを前に、馬車の扉を少しだけ開けたカタリーナ・ディア・グレイス公爵夫人の心は、揺れも固まりもしなかった。
「カタリーナ・ディア・グレイス、フィーネ・ディア・グレイス、並びに食客ミラア・カディルッカだ」
いつも通りの優雅な声音で、公爵夫人は言った。
「どうぞ、お待ちしておりました」
先頭に立つ黒騎士が答え、公爵夫人は扉を閉める。
この年齢を感じさせない淑女には、この黒騎士たちが足元にも及ばないほどの実力と権威があるのだと、改めて感じさせられるワンシーン。
そして、彼らの表情を隠す漆黒の兜の奥からは、明らかな個人的羨望や個人的敬意が感じられた。
青いドレスに身を包んだフィーネは、そんな母を改めて誇らしく思った。
城門から王城まで、広大な庭園を両断する道を行く。
上質な敷石で舗装された通路の両脇には無数のレヴェルベール灯が点々と設置され、その先にある城の巨大な正面玄関の左右には巨大な篝火が並び、豪華絢爛な巨城を下から照らし上げている。
そこにはまた重装備に身を包んだ十数人の黒騎士たちが立っており、城の壁沿いには数十台の豪華な馬車が停まっている。
ミラアたちの乗るグレイス家の馬車は、一先ず城の正面玄関の前に停まった。
御者台の上から降りた軽装の黒騎士によって、馬車の扉が丁寧に開けられる。
優雅に下車するグレイス公爵夫人とフィーネに連れられて、ミラアも馬車から身を降ろした。
真下から見上げる白亜の城は、黄昏の空を目いっぱい遮って、より一層大きなものに感じられた。
物理的にも権威的にも、この国で最も高く大きな、豪華絢爛な建物。
しかし、ここから見る庭は素朴だった。
ただ、広大で美しい。
光を反射させる石畳と、一面の白い砂利。
そして、ささやかな植物たちによって飾り付けたような広大な庭園。
この豪勢な王城の庭としては寂しささえ感じる景色。
だが決して殺風景ではなく、華やかさとは無縁ながらも、美しい何かを表現しているようにも見える。
三人が、一人の黒騎士に案内されて正面玄関に入ると、グレイス家の屋敷よりも遥かに広大な玄関ホールが広がっていた。
グレザリア大聖堂のそれを連想させる、大きな束ね柱と高い天井。
広大な空間を飾る天井のアーチ。
行列が横になって上れるような巨大な階段には真っ赤な絨毯が敷かれ、華麗なカーブを描きながら二階に向かっている。
まるで巨人が住む城に造られたかのような大きさ。
階段の一段一段が小さいことが、この城が人間用――否、そもそもは吸血鬼の女王用に造られたことを思い出させる。
誰もが圧倒されるであろう光景を目の当たりにし、ドレスに身を包んだミラアは胸中で呟いた。
(かつて、魔王リリス・ロ・ドゥ・グレザリアが築いた居城……)
黒騎士に案内されて大階段を上り、城内を歩いて行く。
回廊の天井の所々に設置された巨大なシャンデリアに立てられた無数の蝋燭が、黄金で彩られた純白の壁と柱、そして幾つもの装飾窓をエキゾチックに照らしている。
装飾窓の反対側の壁には、歴代の王たちの肖像画が飾られていた。
皆、その人相や黄金の髪の質感まで精巧に再現されている。
今は亡き、由緒正しき血筋の者たち。
時を忘れて歩き続け、辿りついたのは会場となる二階の大広間だった。
扉を開けると、広大なダンスフロアに、文字通り数えきれないほどの参加者たちとざわめきが溢れていた。
そのすべてが貴族階級の者たちなのだろう。
豪華で高貴な服装をしているのは、ディア・グレイス公爵夫人やカタリーナ、そして今のミラアたちと変わらない。
ハンターであるミラアにはご縁のない者たちだ。
だが、その多くがミラアの隣にいるカタリーナ・ディア・グレイス公爵夫人に気付くなり、一度真剣な顔をしてから、すぐに素敵な笑みを浮かべて話しかけてきた。
髪や服やアクセサリー、さらには連れているフィーネやミラアのことまで褒めてくるのだから対応に困る。
巧妙に投げられるお世辞に対して、嫌味の無い社交界トークを披露するディア・グレイス公爵夫人を見ていたミラアは、突然横から甘い錆を含んだ声を掛けられた。
「初めましてレディ。ご気分はいかがかな?」
振り向くと、このフロアでひと際目を引く、黒髪の美しい青年が立っていた。
目に映るすべてが、彼の背景へと変わった。
重なる視線。
決して薄れることのない自信を写した、精悍で真摯な瞳。
〝社交界の白い華〟そんな言葉がミラアの頭をよぎる。
だが、その甘い表情と妖艶な雰囲気は、社交界に色めく女性たちすべてを虜にする悪魔にも見えた。
「え……と……」
普段なら男など冷たくあしらうミラアも、社交界での振る舞いには不慣れなためか、対応に困ってしまう。
青年に見とれているのは、どうせ対応できないのだからという開き直りと、目の保養と、女としてのささやかな楽しみにであった。
ふとミラアを見たフィーネが、視線を青年に移してハッとする。
硬直してしまったミラアに対して、黒髪の青年は自然な微笑を浮かべた。
潰えることのない安らぎを与える微笑み。
理解して欲しいと思うところまでを理解し、信じて欲しいと思うところまでを信じ、伝えられればと思う彼女自身を確かに受け取ったと安心させてくれる。
それでいて、世の残酷さに負けない強さで、きっと自分を守ってくれる。
直感的にそう感じさせる青年は、隣で何かを言おうとしたフィーネよりも早く、強かな声で柔らかく言った。
「自己紹介が遅れたね、レディ・カディルッカ。私はキュヴィリエ・ディア・ローザリア。この舞踏会の主催者だ」




