第32話 シュバイン一家の陰謀
欠けた月と星の煌めきが見下ろす王都。
新市街地にある歓楽街は、無数の街灯と店から漏れる灯り、そして道行く人々によって激しく息づいていた。
他の区域とは雰囲気が大きく異なる商業建築物たち。
そもそもが華やかなデザインで建てられているそれらは、酒場や娼館などといった夜の娯楽を売る店である。
そんな店が幾つもひしめく中に、その店はあった。
看板には、洒落た文字で〝月の見る夢亭〟
やはり洒落た外観の酒場である。
〝オープン〟の表札が掛かった厚い木扉の向こう側、白い岩を荒く削り出したような質感の壁を金属やガラス細工が彩った店内は美しく、大きなシャンデリアに挿した大量の蝋燭に照らされて明るかった。
黒いテーブルと白いソファーが並ぶ店内では、数人の男女が愛の言葉とグラスを交わしている。
そんな店内の奥にあるカウンターのさらに奥。
椅子に座る強面な用心棒のすぐ隣に設けられた黒い扉は、実は奥の建物へと続いている。
そこは完全な〝秘密基地〟だった。
そこへ出入りするためには、こうして〝店〟という名の関所を通る必要があるのだ。
秘密基地に繋がる〝関所〟は幾つもあり、それらはすべて一人の男が経営する店である。
いずれかの店から襲撃を受けた際には、他の店が逃走経路になるという構造。
〝秘密基地〟の室内は窓一つなく、煉瓦造りの壁が剥き出しになっていた。
壁紙が無いのは防火のためか。
天井からはシンプルながらセンスの良いデザインのシャンデリアが吊るされており、部屋の中央には一目で高価なものだと分かる大きなガラスのテーブルが置かれ、その周辺を四つの黒いソファーが囲んでいる。
明らかに上座だと分かる豪華なシングルソファーには、黒髪の妖艶な青年が座っていた。
彼と対面するように置かれた長いソファーに座っているのは、〝護国卿〟や〝剣聖〟を除いてこの国で最強と謳われる二人の男たち。
グレザリア王国有数の商会、シュバイン商会。
そのもう一つの顔は、王都グレザリアの歓楽街にアジトを置くマフィア・シュバイン一家。
黒の騎士団とのパイプによって得ているその立場は、暗黒街最高峰と謳われる。
国家権力と暗黒街を繋げるその役割こそが、シュバイン一家の力の源なのだ。
「ミラア・カディルッカについては、手を打った」
落ち着いた甘い声――ヴァル・シュバインの言葉に、高慢と嘲笑を含んだ声音でチェスターが言う。
「暗黒街の王の誘いを、この街で断れるわけがないよな」
〝暗黒街の王〟
それがシュバイン一家の元締めの通り名だ。
青年の脳裏に、銀髪の女ハンターの言葉が蘇る。
(返事は変わらないよ。だいたい、そんな得体の知れない相手を〝捕まえる〟って無茶言わないでくれる?マフィアの抗争だったら組織の中でやって)
鼻で笑う。
「マフィアの抗争?笑わせる。今俺たちに逆らうようなマヌケな組織が、一体どこに生き残ってるっていうんだ?」
ヴァルは赤い瞳を苛立ちと愉快に歪めながら、巨大なシャンデリアの輝く天井を仰ぐ。
シャンデリアには無数の蝋燭が立ち並び、揺らめくその光は天井に張られた大鏡に反射し、光量を増して室内を照らしていた。
手にしたグラスに満ちたスパークリング・ワイン。
陶酔感を覚える頭で、己の全身に意識を送る。
かつて鍛えぬいた武術と魔術の腕は既に錆びてはいるものの、こと権力と商いにおいては今己の右に出る者などいない。
そして、戦いにおいては己の技量よりも遥かに強力な二人が、こうして自分の目の前に座っているのだ。
「フェイ、チェスター」
暗黒街の王は冷たい瞳で問うた。
「あの女に勝てるか?」
室内にしばしの静寂が訪れ、
「無理だ」
先に答えたのはチェスターだった。
「なぜ?」
ヴァルの問いに、若き天才魔術師は表情を変えずに言う。
「あの女は得体が知れない」
底の分からぬ海に潜るような、無謀な挑戦をこの魔術師は嫌う。
日々深淵なる神秘に挑戦するが故に持つ、危機管理能力的性格であるとヴァルは捉えている。
「得体が知れない、か」
ヴァルは整った顔を妖艶にしかめた。
もしここに女がいたら、その視線と心を奪うような表情。
ここに座る忠臣の二人から聞いた報告によると、ミラア・カディルッカは氷の魔術と雷の魔術を行ったそうだ。
その在り方が普通ではないことはヴァルにも分かった。
通常、魔術というのは己の身体や身体に近い空間――例えば、自分の体温が伝わる程度の僅かな距離など――から発現する。
その仕組みは実際には分かっていないものの、先人たちの経験から一定の法則があるとされている。
そしてミラア・カディルッカの放ったというそれは、明らかに魔術としての常識を逸脱していた。
「魔術が魔術を使う、か。まるで魔法だな」
神妙な顔つきで、ヴァルは視線をフェイに移して、
「フェイ、お前もそう思うか?」
主の問いに、屈強な大男は静かに答える。
「ああ――得体が知れない相手というものは、常にこちらが不利だと考えていた方がいい。その上で勝ちに行けるのなら、それは相手の高を括るという己の驕りを失くし、自らの限界を超える引き金となるからだ」
煉瓦造りの室内によく響く、太く明瞭な声。
ドワーフによって造られた精密機械よりも適確に動くのであろう巨体からは、それ以上に強靭な精神を感じさせる。
「さすがだな、相棒」
チェスターは称賛を送る。
(相変わらず分かり辛ぇけど)
つまり、ミラア・カディルッカに対してチェスターは単純に勝てないと踏み、フェイはより強く警戒すべきだというスタンス。
二人の性格をよく表している。
誰よりも頼りにしている側近の二人の発言に対して、若き主は冷静だった。
「まぁ、お前たちから見てそれぐらいでないとな……あの女は今回のキーだ」
ヴァルは再びグラスを傾けた。
舌に纏わりつくアルコールの味と頭を巡る陶酔感が、忘れもしない過去の記憶を呼び覚ます。
「俺はつくづく女に縁がある男だ。この歓楽街に来てから街娼たちの扱いで成り上がり、スパイス輸送だってユニコーンの手綱は女が握っている……そもそもあの夜、あの場所から俺を逃がしてくれたのも女だったな」
遠い記憶――九死に一生を得た一夜の出来事。
そして青年は、ここ新市街地にある歓楽街に居を構えた。
もちろん、最初は家も金もなく、その女との同居から始まった。
寄ってくる街娼たちを集めたら組織ができた。
金が貯まれば力がついて、護国卿と繋がればマフィアたちを支配するに至った。
公的な暴力と権力を味方につければ、愛嬌や知略は貫禄や威圧、或いは殺戮を含んだ暴力を超えた力となり、それからの歳月は暗黒街を手中に収めるのに充分な期間だった。
青年は、今の自分の立ち位置こそが己の天職だと確信している。
「女と言えば」
そう言ったのはフェイだった。
「クラーラの基金はどうする?」
フェイ・ミルバーンの眼光は、今は亡き褐色の肌と金髪碧眼の美女の姿を見据えている。
彼女の残した貯金は、商会から見ても大きいと言える金額になっていた。
ヴァルは冷たい視線をフェイに送る。
「私情を挟むな。あの女はもういない。従業員の残した財産は、契約通り商会が徴収し、規則に基づいて使用する。そこに、例外は無い」
「そうか」
フェイは。安心したような顔をした。
ヴァルが制定した商会の規則は、従業員たちに贈与権を与えることだった。
街娼たちが多くを占めるシュバイン商会の従業員たちには、親や子を持つ者が少ない。
よって死亡した際に血縁の無い身内に財産を相続させることができず、相続人不在として遺産を国に徴収されることになる。
そこで、シュバイン商会では従業員の金銭を〝商会に寄付する〟ことができる制度を設けた。
これは寄付した者がすぐに返還を要求できる契約を交わし、実質〝貸す〟ことと変わりないのだが、寄付した者が死亡した際には大きな違いが生じる。
寄付している金銭は現在商会のものであるため、相続人不在として国に徴収されることがない。
後は、商会が寄付した者から預かる〝願い状〟を基に、彼らの私的な身内に金銭を分配することになる。
クラーラ・ブルーニの残した〝願い状〟には、基金の設立が記してあった。
〝クラーラ基金〟という名義で保管される、彼女の残した多額の資金は、彼女の身内たちの生活を補助するものとなる。
暗黒街の若き王は、私情を嫌う男だ。
私情によって生じる公私混同は規律を乱し、組織を腐敗させるというのがその言い分。
よって彼は、先に人情味溢れる規律を制定し、私情を挟まず冷静にそれを遂行していく方針を取った。
もしも例外が生じれば、それは規律に問題があることになり、改定を加えるというもの。
それを以って、冷徹に判断を下す。
その強かさは、敵に対しては抜け目の無い強みになる。
そんな青年を見るフェイ・ミルバーンの目は、我が子を見守る父親に似ていたかもしれない。




