第31話 王都グレザリアの夜
人類に誇りを訴えるような演出に、歌手の歌とオーケストラによる音楽が最後の響きを発し、黒子たちが巧みに操る光の魔術に照らされていた劇場は、一気に暗闇に満たされた。
割れんばかりの拍手がホールに響き渡ると、黒子たちが一斉に炎の魔術を操り、高い天井に設置された大量のシャンデリアに立ち並ぶ膨大な蝋燭に、器用に火をつけていく。
薄暗いながらも明るさを取り戻した広大な半円型のホール。
無数の席は、舞台から遠のくに従って階層を上げていく構造になっている。
千五百人を収容する巨大ホール、その最前列の特等席に座っていたフィーネとミラアは、衛兵たちの誘導に従って会場を後にする。
「何回見てもいいですよねー、戯曲〝魔王〟!」
無数の白い円柱が立ち並ぶ劇場の出入り口で、歩きながらフィーネがにやけて言った。
「人類に希望の力を与えた悲劇の女王カーミラ! 四大魔王たちによってつくられ、人類がさらに発展させた四大王国! 掴み取った人類の尊厳! 心に響きます!」
「そうだねー」
ミラアは笑顔で同意する。
汲み取っているのはフィーネの話の内容ではなく、少女の話す声音と、そこに反映する熱い感情ではあるが。
劇場から外へ出ると、敷地に接した大通りにグレイス家所有の馬車が待機していた。
御者である黒騎士が仰々しく馬車の扉を開けて、フィーネとミラアが乗り込んだのに合わせて丁寧に扉を閉める。
その黒騎士が品の良い動きで御者台に乗って、ゆっくりと馬車を走らせるのを体感しながら、ミラアは何とも言えない気持ちになった。
脳裏には、シュバイン商会の隊商に対して大柄な態度を取っていた黒騎士たち。
そして今馬車の手綱を取っている、紳士的に丁重に振る舞う黒騎士さん。
(権力サマサマだね)
今更、当たり前のことを胸中で呟く。
かつてはヴァンパイアたちに支配されていた人類。
その人類も、結局はこうして支配する側とされる側に分かれるのだ。
無感心になれず心に浮かぶそんな憂いも、フィーネの笑顔と言葉――他愛ない会話で綺麗に拭われる。
そのまま馬車で向かったのは、キラキラ浴場だ。
この王都へ着くずっと前から立てていた予定。
楽しみに待ち続けていた時間。
たとえ、クラーラ・ブルーニがいなくても。
同じことを考えたのか、ミラアの瞳に映るフィーネの表情に影が差す。
同じ想いを共有する仲間がいると、喜びは二倍に、悲しみは半分になるという。
そんな戯言を思い出しながら、窓の外から外を眺める。
木の柱と白壁に飾られた大型木造建築物がつくる街並は、ある意味ジャスニーよりも美しいと思う。
多く採れる材料を使っているがゆえにか、どれも同じような褐色系の屋根は、すべての建物に統一感をもたらし、見る者の目に〝街〟としての美しさを強く感じさせる。
ミラアは心を穏やかに整え、息を気持ち大きく吸って、
「フィーネはいつもキラキラ浴場に入ってるの?」
笑顔でフィーネに訊いた。
クラーラのことを考えていたのだろう。
一瞬きょとんとするも、貴族令嬢は少し笑顔を浮かべて、
「はい」
「いいなー」
ミラアは流し目で羨ましそうに言った。
きっかけがあれば、会話など勝手に華が咲く。
他愛ない会話をフィーネと楽しみながら、気が合う二人とはそういうものだと、他者と心を交わす習慣の無いミラアは、昔考えたことのある持論を改めて思い知った。
再び迎えた石の芸術と湯の宮殿は、フィーネを伴うことでミラアに際限なき幸福感を与えてくれた。
自らの存在、生の喜び。
この世界、この時代に生きているという充実感が、ミラアの胸から四肢、指先までをただただ満たす。
それから二人で、高台の上に建てられたレストラン〝月の女王の膝元亭〟に入った。
広々とした木造のルーフ・バルコニーに並べられたテーブル席からは、夕焼けに染まる雲の下に真っ赤に光る街が見渡せた。
食事を終えて陽が沈み、幾つもの松明が店に残る人々を照らすようになっても、二人は席から動こうとしなかった。
夜の息遣いを背景に、温かいミルクティーを嗜みながら、まだまだこの時を過ごしたくて。
フィーネは自分が知るグレザリア王国領内の話をし、ミラアはこれまでに見てきた様々な仕事の話などをした。
風が静かに鳴き、ミラアの銀色の髪を僅かに揺らす。
星が煌めきだした黄昏の空の下で、フィーネはミラアに訊ねた。
「ミラアさんは、どうしてハンターになったんですか?」
「……」
フィーネの視界の中で最も輝く銀髪の美女は、すぐには答えなかった。
ミラアの雪のように白く、キメ細かい肌が店の松明の灯に美しく揺れている。
遠くを見る瞳は、その先にある少し欠けた月を見ていたのか。
或いは、そこに映る過ぎ去った己の歴史を見ていたのだろうか。
「フィーネ、資本って分かる?」
魔術や剣技の才能などといった理由を予想していただけに、経済学が出てきたことで少しだけ驚く。
「あ、はい。何となくですけど……」
「資本って、お金になるものね。貴族の領地、金山の黄金、商人の商才、職人の技術力、街娼の身体……。まぁ、商売をするための何かだよね」
「はい」
フィーネも経済学を学んでいたので、理解に困らなかった。
「生まれ育った城から逃げ出した時、私が持ってた資本はこの身体しかなかったんだ。だから、しばらく盗賊のギルドに入ってイロイロやってたんだけど」
ミラアはそこで、ミルクティーの入った白い陶器のカップに口をつけて、喉を微かに鳴らしてから、
「ある時出会ったハンターがいてさ、一緒にいるとなんか楽しかったから、そいつと一緒にコンビを組むことにしたんだ。それがキッカケかな。あとは惰性」
そう言って見せるミラアの笑顔に、フィーネは計り知れない何かを感じた。
しかし、興味は尽きない。
まだ満たされない好奇心に、つい背中を押されて、
「そうなんですか。その人とは、今は……?」
「死んだよ」
冥福を祈る風のような微笑み。
「!……ごめんなさ……」
もう何度目か――こうしてミラアの地雷を踏んでしまうのは。
「もう、ずっと昔の話だよ」
二人を撫でる風は夜の空へと舞い上がり、天高く雲は流れ。
欠けた月は夜の王都の上に佇み、星屑はそこで煌めいていた。




