第30話 戯曲〝魔王〟
一言で馬車と言っても、その造りは用途に応じて大きく異なる。
隊商で荷物を運ぶ馬車は、悪路を長時間運航することを目的にしているため、車高が高く、とにかく頑丈さを重視した設計であり、乗り心地の良さなどは考慮していない。
板バネを使用したサスペンション・システムも、御者の乗り心地や商品への衝撃を吸収するためではなく、悪路を長時間移動した際に、振動で生じる車輪の歪みや車体の破損を防ぐために設けられるものだ。
よって、精密さよりも頑強さ、人を包む柔らかさよりも重たい荷物を支える固さが重視される。
業務車両なので、当然量産性とコストダウンも入る。
一方で、貴族たちが街中を移動するキャリッジやクーペと言った種類の馬車は、板バネが柔らかく、車体が箱型になっているものが多いため、常に車体が低く下がり、極端に例えるならば四つの大きな車輪に豪華な車体が宙吊りになっているような状態のものになる。
この造りによって、車輪からの振動が室内に響くことがほとんどなくなるのだ。
真昼の大通りを行く、そんな車格の一台。
毛並みの美しい白馬二頭が引く、銀と青の豪華な車体の中では、柔らかいシートにミラアとフィーネが並んで座っていた。
窓には透明な板ガラスが設けられていて、室内は外の空気と完全に遮断されている。
音が遮られた空間で、景色だけが流れていく様は、ハンターであるミラアを非日常的な気分にするには充分なものだった。
だが、フィーネにとってはこの状態こそが日常であり、まったく気になるものではない。
先程乗ったシュバイン商会会長のキャリッジ以上に上質である上に、こちらは御者を除いて二人乗りのクーペである。
乗る人数が少ないだけ、高度な調整を効かせられるのだから、その乗り心地の差は言うまでもない。
二人は、既に喪服から街用の服に着替えていた。
と言ってもミラアは上着を替えただけで、インナーは葬儀の時に着ていたワンピース。
ニーソックスやブーツもそのままである。
視線は外へ、しかし他の五感はすぐ隣に座るフィーネの存在に吸い込まれていく。
このまま少女の膝枕の上で頭をゴロゴロして、逆に少女の頭を自分の膝枕の上でゴロゴロさせ、あんなことやこんなことをしてじゃれ合う妄想をしていたミラアの耳に、フィーネの声が愛しく響く。
「まずはケセラン劇場に行って、戯曲〝魔王〟ですね」
「いいねー」
やはり激甘な妄想よりも、やや甘いリアルであろう。
静寂な空間の中で、ミラアはフィーネと笑顔を見合わせた。
人々が注目し道を空けていく優雅なクーペは、グレザリア王国最大の劇場へ向かって大通りを進んでいく。
戯曲〝魔王〟とは、人類の夜明け以前の史実を、最も正確に伝えているとされる戯曲である。
舞台となるのは、このグレザリア王国を含む四大王国。
この四国は、今でこそ人類王国連盟の成立によって相互利益を目指しているものの、かつては戦争というかたちで奪い合う関係だった。
四大王国の歴史は、およそ四百年前から記述されていて、それ以前は数多のヴァンパイアの王たちが獣人たちを束ね、無数の小さな都市国家や小国をつくって戦争を繰り返していたとされる。
その結果勝ち残った国が、現在の四大王国に至る旧四大王国である。
そして四つの王国は、四人のヴァンパイアの女王たちによって支配されていた。
ヴァンパイアは同族での群れをつくることがなく、独特な生態系を持っていた。
それは一個体のヴァンパイアを頂点として、多数の獣人たちが支配下につくというものだったという。
旧四大王国も例に漏れず、吸血鬼を頂点とした獣人たちの国だった。
四人の女王たちは食料や労働力として、飼育していた人間たちの数を増やしていった。
さらに、エルフとドワーフを支配し、彼らにそれぞれ魔術と工作技術を探求させた。
こうして四つの国が充分な戦力を備えた頃、結果的に多くの資源を手にしたことで、これ以上戦争をするメリットが減少し、平和が訪れた。
だが、依然として人類は食料や労働力でしかなく、その存在は現在の人類の文明における家畜のそれに相当したという。
そんな人間たちに、知恵と夢を与えた一人の魔王がいた。
戯曲〝魔王〟は、そんな四大魔王たちの史実を綴った物語である。
ケセラン劇場の巨大ホールで、オーケストラが奏でる壮大な音楽に乗じて演劇は続く。
女王カーミラ・ロ・ドゥ・キアラヴァは、ヴァンパイアとして異例なことに、人間たちに多くの寵愛を与えたそうだ。
キアラヴァ王国の食文化やハーブなどの薬学が発達し、人間たちが魔術を会得するようになったのは、その時代の彼女の行いによるものだとされている。
女王カーミラは、まず人間たちに文字を教えた。
エルフやドワーフたちは、それぞれ魔術や工作技術の探求の記録をつけるために文字を活用していたが、単純な労働力や食料としての役割でしかない人間たちに文字を教えるメリットなど、当時の女王たちにとってはまったくと言っていいほど見当たらなかったのだ。
しかし、女王カーミラが文字を教えると、人間たちはそれを深く理解した。
エルフが見つけ出した魔術も、ドワーフが作り上げた工芸品も、人間たちは器用に使い加工した。
投げ槍や弓矢などの長距離兵器の運用などにおいては、多くの獣人たちを凌ぐ能力を見せた。
魔術の活用方法の発見や、農業工業建設業に畜産業などに関わる学問の発達への貢献。
女王カーミラが人類に施した教育は、やがて国全体にとっても限りなく大きなメリットになった。
こうして戦力と生産力を高めたカーミラ朝キアラヴァ王国は、旧四大王国随一の国力を誇ることになる。
それを見た残る三人の女王たちも、女王カーミラを真似して人間に教育を施すようになった。
その中でも、女王リリス・ロ・ドゥ・グレザリアは人心を掌握する術に長けており、リリス朝グレザリア王国の人間たちは、彼女が教育を推奨すると喜んでそれを身に付けていったと言われている。
ただ、女王カーミラの人類に対する溺愛ぶりは、当時としては狂気の次元であり、遂には政治にまで人間の知恵と意志を反映させるようになった。
カーミラ朝キアラヴァ王国は、ヴァンパイアが統治し、人間が出した知恵を元に獣人が支配し、エルフとドワーフと人間が生産を務めるかたちになったのだ。
確かに複数の人間の知恵を活かした政治は、女王個人による政治に比べて斬新かつ多角的であり、国に大きな発展をもたらしたそうだ。
しかし、人間には〝神に与えられし強力な習性〟があった。
それは、獣人のようにヴァンパイアに従属する本能を持たず、エルフのように平穏を求める本能を強く持たず、ドワーフのように没頭し完成させるのみに生きる本能を持たない故の――自由意志と向上心と競争心、さらに独走性と協調性を併せ持つという、国の発展に貢献し女王たちの関心を引いた高い能力の元になった習性である。
それらの習性は、人間たちの中で能力と地位の差別を生み、それが不平不満、そして大いなる怒りを生んだ。
独走性と協調性の両立は、女王への忠誠を誓わない集団を確立した。
こうして、完全に統治されていた四大王国は、人間たちによってその均衡を崩していくことになる。
そのタイミングで、さらに大きな事件が起きた。
人間たちを身近に置いていた女王カーミラが、一部の人間たちによって暗殺されかけたのだ。
人間たちの業によるものか、或いは他の女王からの差し金か。
一命を取り止め、裏切り者たちを怒りの業火で焼いた女王カーミラは、自らの心臓に刺さりかけた杭を自力で引き抜いた。
そして疑心暗鬼と復讐心に飲まれたまま、城に住まわせていた国の重役である人間たちを一夜にして皆殺しにした。
さらにその親族たちを集め、ヴェルハレム宮殿に監禁。
国の統治を人間たちに丸投げし、その在り方のみを厳しく管理し、場合によっては猟奇的とも言える処罰を与えた。
執政を離れた彼女自身は、ありとあらゆる方法で、高慢、強欲、嫉妬、憤怒、暴食、色欲、怠惰を貪り、試した数だけ人間たちを解体、その生き血を啜っていった。
神教における七つの大罪とは、この時期の彼女の生活から生じたものである。
カーミラ・ロ・ドゥ・キアラヴァ暗殺未遂事件から約百年後、人間、エルフ、ドワーフ達による革命が起こり、女王カーミラが死去。
その事件で暗躍した〝神々の黄昏〟と呼ばれる秘密結社は、四大王国すべてに根を生やしており、彼らに先導される形ですべての国の人類が反乱を起こした。
すべての女王たちは、心臓に杭を打たれ、首を斬り落とされ、その亡骸は太陽の光に焼かれた。
ヴァンパイアへの主従本能から解放された獣人たちや、恐怖政治から解放されたエルフやドワーフたちは、山や森などそれぞれが住みやすい環境へと姿を消した。
一方、人類は女王たちが作り上げた多くの街に残り、自治を行うようになった。
人類が、自分たち自身を支配する権利を掴み、その誇りと尊厳を取り戻した――これが〝人類の夜明け〟と呼ばれる出来事である。
その記念碑が、神々の黄昏――人類王国連盟と名を変えたその組織によって、それぞれの国に一つずつ建てられており、心臓に杭を打たれ、首を斬り落とされ、太陽に焼かれた女王たちの灰がそこに眠っているという事実と、人類の英雄たる王家の栄誉がそこに刻まれている。
絶世の美女とされた四人の魔王たちが、永遠の命を終わらせた歴史は、こうして語り継がれていく。




