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幾千夜の誓いを君へ  作者: 月詠命
三章 舞い戻る夢の続きに
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第29話 身分差と客人




 グレイス家――軍事的な意味合いにおいてグレザリア王国の要とされる、城塞都市ゴートンを領地とする名門貴族。


 その権力は計り知れず、たとえ法を犯したとしても彼らを裁ける者など現れないだろう。


 それが、フィーネ・ディア・グレイスの実家である。


 この国の貴族は、屋敷を二つ持っていることが殆どだ。


 一つが、自らの領地に建てる屋敷。

 こちらは〝カントリー・ハウス〟と言い、広大な敷地に緑の庭園を設けたような大きな屋敷。


 もう一つが、王都に建てる屋敷。

 こちらは〝タウン・ハウス〟と言う、集合住宅に似た建物が一般的だ。


 王都の決められた敷地の中で、部屋数を確保するためにはどうしても建物を上へと広げることになり、豪華ながら集合住宅のようなデザインになるのである。


 しかし、グレイス家においては〝一般的〟な貴族の尺度など関係ないのだろう。


 新市街地にある高級住宅街。

 その一角に、ゴシック調の柵に高く囲まれた大きな敷地があった。


 堅牢で豪華な門は、強さと美しさと歓迎する心を表現するように、来る者を待ち構えている。


 王都にある屋敷のものとしては、破格の広さを持った庭園。

 その向こうに見える豪華な屋敷も、見るからに優雅な生活を連想させるものだ。


 数本の大きな柱は白亜の壁から剥き出しに建てられていて、高い屋根の上で煙突になっている。

 これは、かつて戦争で用いられた城塞が塔と塔を壁で繋げたものであったことから、そのデザインを取り入れたものだろう。


 屋上に矢狭間の凹凸が設けられた見張りの塔があることから、要塞としての機能を連想させつつも、高価な板ガラスが嵌め込まれた広い窓など、完全に快適さと美しさに重きを置いた構造も目に映る。


 それらが、この建物が戦争に備えた要塞ではなく、快適な暮らしを実現させるための屋敷であることを物語っていた。


 堅牢にして優雅な門を守る一組の男女は、漆黒のマントに身を包み、右手に長槍を持ち、腰には二本の片刃剣を差している。


 この国で最も強い武力と権力を持った組織〝黒の騎士団〟


 街道で横柄な態度を取っていた彼らが、ここでは任務を忠実に全うしているという事実が、この屋敷の何たるかを無言で物語っていた。


 その正面に一台の優雅な馬車が停車する。


「ディア・グレイス嬢。到着しましたよ」


 甘い微笑みを浮かべるヴァルに、フィーネは少し沈んだ瞳で、

「ありがとう」

 と言った。


 荷物を持ったミラアがフィーネに連れられて馬車から降りると、扉が閉まり、車内から窓ガラス越しに笑顔で手を振るヴァルの姿が車体ごと離れていく。


 気に食わない男が馬車ごと去っていく光景など見送ることもなく、ミラアの瞳はグレイス家の屋敷を写す。


 門番の二人はフィーネを見ると、豪奢な鉄格子を連想させる大きな正門を開いて頭を下げた。


 門から続く敷石の上を歩いて正面玄関まで向かう最中、植えられた花々の色彩と形がミラアの視界を奪う。


 庭園に撒く水になるのだろうか、細かい飛沫を風に撒く小さな滝。

 限られた敷地の中は、一流の庭師が生んだ芸術であることが見て取れる。


 無限に湧き出る噴水の水が空へと舞い散る様は、その城館の永遠の繁栄を予感させるようだった。


 敷石の上を歩いていき、フィーネとミラアが正面玄関の前に立つと、騎士の少女はライオンを模したノッカーを数度叩く。


 すると、両開きの大きな扉が開いて、二人のメイドが姿を現した。


「フィーネ様、おかえりなさいませ」

「お客様ですね、いらっしゃいませ」


 順番にそう言って、二人同時にゆっくりと下がる頭。


 ささやかな笑顔は、本心からのものながら気遣いに満ちたものだと見て取れる。


「ただいま」

 笑顔を浮かべるフィーネに連れられて玄関を潜ると、ミラアの視界に広大なホールが広がった。


 純白の壁と天井で構成された室内には真っ赤な絨毯が敷かれ、正面に迎える大階段は向こう側の壁に接して左右に分かれており、その中二階に見えるステンドグラスと白亜の彫刻がミラアの目と心を奪う。


 ホールから二階までが吹き抜けになっており、大階段から二階の回廊まで手すりが繋がっているその造りは、まるで来客者を上へと案内しているようにも見える。


 ホールに玄関以外の扉はなく、廊下が左右に伸びているだけの伝統的な造り。


 二人のメイドたちが、ゆっくりと玄関扉を閉めると、二階から足音が聞こえてきた。


 ハイヒールの音だろうか。

 優雅であるだけではない。

 よく鍛えられた足腰によってしか有り得ない、絶妙な足の運び。


 階段の上、中二階に姿を現したのは、フィーネによく似た美しい女性だった。


 艶のある栗色の髪は長く、気品を感じる緩いウェーブを描いている。


 白い肌は陽光に当てていない生活を思わせるが、高貴なドレスを身に纏ったその身体や姿勢、仕種からは、品性に混じって高い運動能力を感じさせる。


 肌の若々しさは、健康な肉体と精神、そして高い魔力によるものなのだろうか。


 社交界では花形なのだろうと誰もが思うような、年齢を感じさせない佇まい。

 精悍で達観したような青い瞳が、独特な色気を放っていた。


 かつて最強の名を冠した伝説の女ハンターの元相棒にして、Sランクハンター・ライセンスを所有し、グレザリア王国王家近衛騎士団剣術指南役及び黒の騎士団剣術指南役を務め、王国の支配者〝護国卿〟キュヴィリエ・ディア・ローザリアの右腕〝剣聖〟ディルク・ディア・グレイス公爵の最愛の妻。


 カタリーナ・ディア・グレイス公爵夫人。


 王妃の座に就いている女性がいない今現在、この国における最高位に君臨する女性である。


 そのカタリーナ・ディア・グレイス公爵夫人は玄関を見るなり、色気のある瞳を大きく見開いた。


 フィーネが笑顔で頭を下げる。

「ただいま戻りました。こちらが、ミラア・カディルッカさん」

 すでにミラアのことを紹介していることが分かる口ぶり。


 続けて、ミラアに母親を紹介する。

「母の、カタリーナ・ディア・グレイスです」


 ミラアは自然でありながらも優雅な動きで、ワンピースの裾を両手の指先で左右に広げた。


 片足を後ろへ下げ、もう片足を深く曲げたまま、ディア・グレイス公爵夫人に頭を下げて、


「お目にかかれて光栄にございます、ディア・グレイス公爵夫人。私はミラア・カディルッカと申します」


 豪華にして静粛なエントランスに、錆びた美しい声音が淡々と響く。


「狩人の身なれど、ジャスニーから王都までお嬢様にお力添えをさせて頂きました。今後とも、どうかよろしくお願い致します」


 上流階級の女性特有の挨拶〝カーテシー〟

 そのあまりも意外で流麗なミラアの振る舞いに、フィーネは思わず見とれてしまった。


 我に返ったのは、母が言葉を発したからだ。


「……お顔をお上げください、レディ・カディルッカ。話は既に娘から聞いています――飛竜の群れに遭遇したことも。貴女は娘の命の恩人です。娘の恩人は、私の恩人です……」


 そこまで言って沈黙するグレイス公爵夫人に代わって、フィーネが言う。


「お母様、今日はミラアさんとご一緒に戯曲〝魔王〟を見に行きたいのですが、よろしいですか?」


 母の前だからだろうか、フィーネの敬語がいつも以上に磨かれている。


「……ええ、どうぞ」


 優雅な雰囲気のままフィーネを見つめて、公爵夫人は言った。


「ご恩のあるお客様に粗相がないよう、貴女なりに当家のおもてなしをして差し上げなさい」


「はい」


 答える娘からミラアへと一度視線を移すと、グレザリア王国最高位の公爵夫人は、ミラアに軽い会釈をして優雅に立ち去っていく。


 高く響くヒールの足音が遠ざかった頃、フィーネはミラアを見て、


「ミラアさんって、貴族出身ですか?」


「なんで?」


 涼しげな瞳を少し目を丸くして訊き返すミラアに、


「〝カーテシー〟がとても綺麗だったので」


 ミラアは一度遠くにやった視線を、すぐにフィーネに戻して答えた。


「私が、両親の顔知らないって話はしたよね?」


「はい」


「物心ついた時には、城で育てられててね。だから、マナーについては厳しく躾けられたんだ」


「親族の方が貴族だった、ということですか?」


 ミラアは、昨日の天気を語るように淡々と続けていく。


「ううん、全然知らない大人たちに囲まれてた」


 何かに気付いたように、フィーネの瞳が驚愕と不安、さらに後悔に染まる。


「……ごめんなさい……」

 フィーネは俯き、消えそうな声で言った。


 どこの国でも、王侯貴族が皆人道的なわけではない。


 孤児や親に売られた美少女たちを買い取って、城で育て、労働力や性的な意味での奴隷にする者など、キアラヴァ王国にもいたであろう。


 ミラアの妖艶な美貌や、発達した運動神経もあって、フィーネが想像したのはそういうことだった。


 あくまで可能性の話ではあるが、触れていけない領域であったのだと気付いた時にはもう遅い。


「全然いいよ」


 風のように自由で涼しく、そして優しく包み込むようなミラアの笑顔に、フィーネの心から闇が綺麗に拭われる。


 ミラアの過去を知ったわけではないが、今の姿から連想できるものばかりではないのだろうことは戒めた。


 ただ、この銀髪の女ハンターの過去ならば、どんな凄惨なものでも美しいドラマになるのではないだろうか。


 〝元ハンター〟つまり根無し草の狩人だった女を母に持つ貴族令嬢は、心の底からそう思った。




 

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