第2話 貴族令嬢の事情
「おかげで助かりました」
なんちゃら兄弟が立ち去ってすぐ、栗色の髪の精悍で清楚な少女が、席を立って深々と頭を下げてきた。
背筋が真っ直ぐ伸びたままの、洗練された敬礼。
「ああ、うん、いいよ。気の迷いってゆーかさ、その……話し相手が欲しかっただけだし……」
何かに困っているようなミラア・カディルッカの言い方に、少女は少し違和感を覚えたが、そこに悪意がないことを確信して自然な笑みを浮かべた。
そんな少女を尻目に、銀髪の女ハンターが続ける。
「ハンター同士の揉め事ってたまにあるコトだし。ランクの低いハンターがランクの高いハンターと揉めちゃったら、仕事が被った時に雇用主から首切られちゃうこともあるんだ。仕事ができるヤツが極端に正しいとされる業界。だから、業界慣れしてる人間の方が仲裁しやすいからさ」
視線は横へ流したまま、何かとそっけない態度。
少し冷めているようにも見えるが、どこか優しく、何事にも冷静で器用なようでいて、実は感情の波に揺られる不器用さ。
見た目の女性らしさとは少し異なる、開放的で少年に似た心の在り様。
そんな印象を受ける女ハンターの右手薬指には、銀色のライセンス・リングが輝いている。
「あっ、良かったらお食事ご一緒しませんか?」
そう言ってミラアに相席を誘う少女の瞳の輝きには、これからの保身や仲間づくりのためなどではなく、先程覚えた憧憬が浮かんでいるように見えた。
「ありがと。じゃあ、向こうからご飯持ってくるね」
ミラアが涼しく明るい笑顔でそう言うと、少女が少し慌てた様子で、
「私が移動します!」
「いいよー」
律儀な子だなと微笑を浮かべながら、ミラアは自分の席から食事の皿を持って来て、少女の相席に座った。
「自己紹介するね。私、ミラア・カディルッカ。昨日、キアラヴァ王国から来たんだ」
人の良い、それでいて風のような笑み。
「キアラヴァ王国……」
何か思うところがありそうな少女の表情を気にせず、ミラアは訊ねる。
「貴女は名前、なんていうの?」
「フィーネ・ディ……あっ、フィーネ・グレイスです」
おぼつかない少女の自己紹介を聞いたミラアは、悟ったような笑みを浮かべて、声のトーンを落として囁く。
「気をつけなね、グレイス領のフィーネさん。身代金が歩いてるようなもんだからさ」
フィーネと名乗った少女は、少し顔を赤らめてぎこちなく笑った。
グレザリア王国やキアラヴァ王国を含む四大王国では、本来名字は王侯貴族が自分の領地を示すものであった。
グレザリア王国国王のハバートなら、ハバート・ロ・ドゥ・グレザリア王。
グレザリア王国グレイス公領領主のディルクなら、ディルク・ディア・グレイス公爵。
ロ・ドゥは王族、ディアは貴族の名字の前につく。
よって、少女の名前がフィーネ・ディア・グレイスなら、それは彼女がグレイス領と呼ばれる領地を持った貴族の家系であることを示すのだ。
この流暢で堂々とした敬語を聞けば、由緒正しい騎士の家系だと思わずにはいられないが、これで確信が持てた。
「でも、なんでグレイス家のご令嬢が、こんなところでハンターやってるの?」
至極当然の疑問だった。
ハンターとは、結局のところ傭兵のような仕事を行う職業だ。
一般に言う傭兵との違いは、傭兵は非正規で国に雇われるのに対して、ハンターは民間の商人に雇われるということ。
兼業する者や移籍する者もいるため一概には言えないが、共に危険な仕事であることには変わりなく、貴族どころか真っ当な戸籍を持つ者が好んでやる仕事ですらない。
確かに、腕が立てば食うには困らないし、隊商の護衛や農場の見張りなどにありつき、比較的自由な人生を謳歌することもできる。
とはいえ、立ち塞がる困難は切り抜けられるものばかりではない。厳しい環境下で、実現できる自由など高が知れたものである。
訊いてから、聞き入った事情だったかもしれない、とミラアは思った。
しかし、フィーネはミラアを少し見定めるように見つめてから、
「話すと長いのですが……」
「ふむふむ」
「私の母、カタリーナ・ディア・グレイスは、ハンター出身なんです」
そう言ってフィーネ・ディア・グレイスは語り始めた。
フィーネの母カタリーナは、かつてグレザリア王国領内に名を響かせたSランクハンターだったそうだ。
それが、二十年程前にグレザリア王家近衛騎士団団長を務める貴族である父と出会い、王家近衛騎士団剣術指南役を任されたことをきっかけに、永住権を取得し王都グレザリアに定住。
極めて高い社会的地位と安定収入を手に入れた彼女は、そのままフィーネの父親と婚姻し、ディア・グレイス公爵夫人の地位を手にした。そこで授かった子供がフィーネであるという。
そんな恵まれた家庭に育った少女自身が、一体何を思って王都を離れたのか。
そう思ったミラアに、フィーネの表情が暗くなる。
「ミラアさんは、今この国がどんな状況なのか、ご存知ですか?」
「ああ――うん」
口にしづらい現実を想起し、ミラアは声を潜めて、
「……〝護国卿〟キュヴィリエ・ディア・ローザリア――だよね?」
「……はい」
「……キアラヴァ王国でも噂になってたよ。実態の知れない〝護国卿〟に、グレザリア王国は支配されてるって」
フィーネは苦い想いに耐えるな表情で、ミラアに訊く。
「キアラヴァ王国では、ローザリア卿はどんな方だと言われているんですか?」
キュヴィリエ・ディア・ローザリア。
その名に畏怖を感じないものは、恐らくこの世界にはいない。
ミラアは記憶を振り返りながら、間を置きながら答えていく。
「百年前にグレザリア王国建国に携わった伝説の魔術師にして、グレザリア最強の魔術師――〝竜殺し〟――」
「……」
「――グレザリア王国を守る秘密組織の通称――歴史の裏で暗躍し続けた、襲名制の役職――」
ミラアは、自分で言いながらちぐはぐだと分かっている。
だが、それが自分の知る事実だ。
「それと――今世紀の魔王」
フィーネの表情が沈んだ。
「そうですよね、やっぱり」
ミラアの瞳に映るフィーネは、食堂を飾る無数のランプの灯に揺られながら話し始めた。
「ローザリア卿は実在します。そして、ミラアさんがご存知の通り、この国にはもう王がいません――と言うより、十一年前の事件でグレザリア王家の血は途絶えました。今はローザリア卿による統治で、この国は運営されています」
フィーネは耐えがたい絶望を語るように続ける。
「王でない者が統治する国――そんなものを〝人類王国連盟〟は認めるはずがありません。グレザリア王国と連盟との確執は十一年前からの続いていて、遂にグレザリア王国は連盟の粛清対象と見なされました。そこで、母の計らいなのでしょう。社交界から離れて、世の中を見るようにと……」
人類王国連盟――それは、この世界にある〝四大王国〟の王侯貴族からなる国家間同盟だ。
この世界には、およそ百年前まで〝四大魔王〟と呼ばれる四人の女王たちがいた。
彼女たちは膨大な魔力と月の加護によって獣人たちを統べ、それぞれの国を支配していた。
それがグレザリア王国やキアラヴァ王国を含めた旧〝四大王国〟だ。
人類王国連盟は、人類が四大魔王を滅ぼし、四大王国の主権を握った〝人類の夜明け〟に結成されて以来、今なお世界の覇権を握っている。
人類の夜明けから百七年。
世界に戦争がなく平和なのは、この連盟の力によるものだ。
そして、その連盟に粛清対象とされたということは、グレザリア王国は他の三国と戦争になるということを意味する。
その先駆けとして、軍事国家キアラヴァ王国が、近々グレザリア王国に戦争を仕掛けるという。
つまり、今回のフィーネの一人旅は、亡命の練習といったところだろうか。
そのことを、フィーネ自身がどう思っているのかは、その表情から伺い知れる。
「でも、私は戦争から逃げるつもりはありません。ただ、憧れのハンターがいて……これはチャンスだと思ったんです」
「憧れのハンター?」
フィーネは憧憬と真摯さの帯びた瞳で言う。
「〝銀の魔女〟ラミアキカーヴァです」
「――ああ」
ミラアは虚空を見た。
「ご存知ですか?」
少し驚いたフィーネに、
「うん。私もこの業界でやってるからね」
その名は、グレザリア王国で最強と謳われた女ハンターのものだ。
ハンターとして最低限の技能は、高い戦闘能力である。
そのために多くのハンターたちは、武器術か魔術かを選び、その道を極めんとする。
ラミアキカーヴァはその典型で、魔術師として一世風靡を飾ったハンターだった。
二十年前に消息を絶つまで。
「母が、ラミアキカーヴァさんの相棒だったんです」
「……へえ……」
ミラアは少し驚いたような顔をする。
「私は母からラミアキカーヴァさんについて、昔から聞いています。確かに一度も笑うことはなかったそうですが、世間で言われていた程薄情な方ではなかったそうです」
そう言うフィーネの瞳には、強く優しい意志が宿っていた。
「ならさ」
ミラアが微笑みを浮かべて言う。
「フィーネも、一流ハンターの仕事してみない?」
「え?」
突然の誘いに、フィーネは目を丸くした。