第28話 悪魔の名を冠する事件
銀色の装飾を施した漆黒の馬車は、車内に余裕を持たせた四人乗りのものだった。
絶妙に調節された板バネは柔らかく、大きな車輪の上に宙吊りにされているような状態で、乗り心地は柔らかく快適である。
王都に来るまで乗っていた戦車とは雲泥の差だ。
車体を引く四頭の馬は逞しい身体に純白の毛並みを輝かせ、この上ない貫禄で大きな車体を飾っている。
その御者台の上には、手綱を握る覇気に満ちた大男と、秀麗な青年の姿があった。
この王都で彼らの名を知らぬ者はいない。
特にハンターやゴロツキ、マフィアといった生業の者ならなおさらである。
「シュバイン商会の、ミルバーン兄弟だ」
馬車が通る、敷石で舗装された大通りの隅で、誰かが囁いた。
「あの二人が御者台?」
「なら、中に乗っているのは・・・」
「暗黒街の王、か?」
見るからに豪華な馬車に道を譲っていく人々。
そんな光景を車内からガラス越しに見ていたミラアは、ヴァルを見て言った。
「貴方が街娼たちの元締めから名を上げたマフィアで、手広くビジネスに手を出してるのは分かった。で、本題は?」
「俺としては自己紹介から始めた方がいいと思ったんだけど、お気に召さなかったかな?」
黒髪の青年は、心底気を遣ってくるような顔をする。
「いいから本題を話して」
ミラアは苛立つこともなく、ただ冷たく言った。
そんな二人の会話を、フィーネは神妙な表情で聞いている。
ヴァルは少し困ったような顔をしてから、真剣な眼差しをミラアに向けた。
「分かったよ、レディ・カディルッカ。貴女は〝カマイタチ〟という名前を知っているかい?」
「……キアラヴァより東の世界――オリエントの島国に伝わる、風に乗って人を斬る悪魔の名前でしょ」
「さすがだね」
と言って感心したような顔をするヴァル・シュバインに、
「それと、ミラアでいいよ、ミスター・シュバイン」
「分かった。なら俺のこともヴァルで」
人懐っこい笑みを浮かべるマフィアの若きボスを、ミラアは沈黙と冷たい視線で急かす。
ヴァルは再び真剣な目をして、
「まさにそれなんだ、貴女に対する話っていうのは」
ミラアは鼻で笑うように、
「悪魔が出たの?」
ヴァルは真剣な顔を崩さない。
「悪魔の名を冠したのは国の役人だよ。俺は、ただの悪人だと思ってる」
「具体的には?」
淡々と訊くミラアに、ヴァルも淡々と説明する。
「〝カマイタチ〟は、三ヶ月ほど前から現れるようになった通り魔なんだ」
馬車の走る音と、ヴァルの話だけが車内に響く。
「犯行は夜にしか行われず、手口は刃物の一振り。被害に遭っているのは、皆ウチの街娼たち。すでに犠牲者は十人出てて、犯人はまだ捕まってない。貴女もよく知る、クラーラ・ブルーニの妹たちも標的だろう」
クラーラの名前が出た瞬間、隣でフィーネが息を呑む。
「それで?」
表情を変えずに訊ねるミラアに、ヴァルは続ける。
「カマイタチを捕えて欲しい」
「断る」
「……なぜ?報酬は弾ませてもらうよ?」
即答で断られたヴァルは、冷静に疑問を口にした。
ミラアは流すような眼差しを向け、
「その〝カマイタチ〟ってゆーの、三ヶ月ぐらい前からいるんでしょ?なのに、まだ捕まってない。貴方が見ず知らずの私に仕事として回すってことは、これまでにも打てる手は打ってるはず」
「……」
「実態の見え無い犯人。人が斬られ死ぬという結果しか残らない怪事件。だから〝カマイタチ〟」
ヴァルは感心するようにミラアを見た。
その目を、フィーネは単純に怖いと思った。
ミラアは気にせず続ける。
「仮に、私がその仕事を引き受けたとしても、その犯人を見つけることさえできないかもしれない。そしたら、私にとって徒労になるよね」
クラーラ・ブルーニの妹分たちなど、ミラアの知ったことではないということか。
「受けてもらえるなら、成果報酬の他に前金を払うと言ったら?」
「返事は変わらないよ。だいたい、そんな得体の知れない相手を〝捕まえる〟って無茶言わないでくれる?普通に考えてそれ、マフィアの抗争でしょ。なら組織同士でやって」
そう、ミラアと言えど一人の女だ。
街の外で魔獣と戦うことに抵抗は無くても、街の中でマフィアに狙われながら暮らす羽目になるのは避けたい。
特に、この王都グレザリアでは。
「……そっか」
ヴァルは残念そうに笑った。
「分かった。じゃあ交渉は決裂だね」
「うん」
いつの間にか、馬車は止まっていた。
扉が開くと、そこはミラアが泊まっている宿屋の前だった。
自分がそこに泊まっていることは、誰にも話していない。
なぜ、知っているのか。
ミラアが気味の悪さを露骨に顔に出してヴァルを見ると、青年は少し慌てて言った。
「ウチの若い子が、たまたまミラアをココで見たって言ったんだ。調べたわけじゃないよ!」
そこで、タイミングを見計らっていたかのように、フィーネが言う。
「ミラアさん、良かったら私の屋敷に来られませんか?」
「え?」
ミラアが目を丸くする。
「私、平民だよ?」
フィーネは真摯な瞳で笑顔を浮かべた。
「そんなことは関係ありません。ミラアさんは、私の恩人です。そして、有能なハンターです。食客という制度を考えれば、ごく自然なことです」
食客とは、貴族が有能な者を屋敷に招待することで、その者との関係を深くするための風習である。
「えっと……」
フィーネの目に映るミラアは、ただ困った様子だった。
決して嫌がるわけでもなく、かといって好ましいといった風でもない。
ただ、この状況にひどく困惑しているような――そんな表情。
「ミラアさんって――」
フィーネの薄い唇が言葉を溢す。
「――貴族、お嫌いですか?」
「え?」
困惑していたせいか、図星だったのか。
ミラアの顔が少し蒼褪めた気がした。
「あ、ごめんなさい……それでしたら、あの……」
「あ、ち、違うよ!」
ミラアが大きな声を出した。
「その、私ハンターだしさ。ディア・グレイス公爵夫人は、こんな流れ者に来られても不快な想いをされるかなって……」
「母は、昔ハンターだったんですよ?」
「でもその、もう昔の話だし。考え方は変わるし……」
「今でもたまに昔の話してますよ?」
フィーネにそこまで言われたミラアは、少し黙った。
思案するような顔をして、
「そうなんだ。なら、お邪魔させてもらってもいいかな?」
そう言って涼しげな笑顔を見せるミラア。
どことなく様子がおかしいと思ったが、フィーネは言及しないことにした。
貴族に対する偏見は人それぞれだ。
そうした目で見られることが〝普通でない立場にいる者〟の運命。
だから、自分はただ自分らしくあればいいとフィーネは思っている。
「はい、ぜひいらしてください」
そう言って浮かべたフィーネの笑顔は、少女のミラアに対する憧れをそのままに映していた。
「じゃあ、このまま待ってるから、荷物持ってきなよ。グレイス亭まで送るよ」
気を利かせたように言うヴァルは、ミラアが頷くのを確認すると、扉を開けて車外へ出た。
ミラアが宿屋へ荷物を取りに行き、ヴァルは御者であるフェイ達にその旨を伝えにいく。
フィーネの視線を背中に感じながら、ヴァルの口許には狡猾な笑みが浮かんでいた。




