第26話 女王の墓
王都の宿屋だけあって、白壁の内装が綺麗だった。
一階はやはり食事処となっており、カウンターで一番安い部屋を訊いて、宿代を支払う。
ミラアは鍵を受け取り、階段を上って指定された部屋へ行く。
地上四階のさらに上、五階にあたる屋根裏部屋だ。
狭い窓からは王都の街並みが見下ろせるものの、貴族の城と違って見晴らしが良い立地でないため、あまり意味を成さない。
むしろ狭い階段を長く乗り降りする必要があり、さらに屋根の上から熱気や冷気が部屋へと染み込んで来るために格安になっている。
どうせ一人なのだから、部屋の快適さよりも金額の安さだ。
それに屋根裏部屋なら盗人に狙われる心配もなく、防犯上の意味合いもある。
非常食などの荷物と大金を部屋の金庫に仕舞うと、二本のカタナをベッドと壁の間に隠すと、ミラアは宿から出て街を見物しながら大浴場へ向かった。
グレザリア王国最大の娯楽施設と言われるキラキラ浴場である。
暗黒時代、女王リリスがグレザリア王城に付随する形で建造したその大浴場は、人類の夜明け以降、英雄王ハバート・ロ・ドゥ・グレザリアによって国民へと解放された。
その際に王城の敷地から分断され、キラキラ浴場は今グレザリア王城の真横に位置する巨大施設となっている。
澄み切った青空に煌々と輝く太陽。
その光に照らされる豪華絢爛なグレザリア王城は、見る者の胸に威圧とそれ以上の感動を叩きつける。
地上から見上げると、視界に広がる大空を覆い隠す巨大な姿。
人の手によって造られたことを忘れさせるそれは、かつて人外の女王の居城だったものだ。
今棲む者もまた魔王に等しい男だというのが、この城を見る目に奇異な先入観を与えてしまう。
そんな巨城のすぐ隣。
やはり見上げるような塀に囲まれた石造の巨大浴場は、暗黒時代よりも遥か古代、ドワーフたちが石工技術を以って造り上げたとされる旧世界文明の遺跡によく似ていた。
家がそのまま入るような大きさの門を潜ると、神教における天使たちの石像が、噴水の中央で来客者たちを歓迎している。
正面に並ぶ剥き出しの太い円柱が、高い屋根を支えていることで圧倒的な力強さを感じさせる。
そろそろ日が沈む頃だというのに、浴場はまだ多くの人々で賑わっていた。
一日を終えた街の住人たちが、疲れを流しに来るのだろう。
ミラアは彫刻に彩られた石門を潜って、銅貨を支払い建物の中へ入る。
左右に立つ剥き出しの白亜の円柱は、床から天に高く伸び、遥か頭上にある天井でアーチ型になって結ばれている。
風通しのいい、広大な室内空間。
ドームにも似た高い天井に心を打たれながら、足を進めて脱衣所へ向かう。
脱衣所の手前で貸金庫に荷物を入れて、男女に分かれて脱衣所に入る。
服を脱ぎ、長い銀髪を紐で結ぶと、ミラアは大浴場へと足を踏み入れた。
大理石などの美しい巨石で造られた場内は、まさに湯の宮殿だった。
女性的な、全体的に丸みを感じさせる柱は天にそびえ、高すぎる純白の天井を支えている。
所々に大きなハーブや可憐な草花が植えてあり、その芳香が湯気と共に室内に漂っている。
広大な浴槽に満たされた新鮮な湯は、白い獅子たちの口から流れ出て、やがて川を模した優雅な排水路から流れ出ていき、常時新しい湯に入れ替わっている。
かつてカーミラ朝キアラヴァ王国で建設された大浴場をモデルにして、女王リリスが造り上げたとされる女王専用の浴場を改装しただけのことはある。
女湯全体を囲む白亜の壁の中にあるのは、豪華で大きな浴槽だけではない。
空が解放された露天領域があり、階段で繋がる幾つもの大きな段差があり、まるで緩い滝に設けたような浴槽や、山岳地帯の秘湯のような浴槽、さらに広いサウナまでもが用意されている。
新興都市ノーザンフォードの浴場も神秘的な趣のものだったが、この浴場は規模を含めずともそれを優に超えている。
ミラアはまずサウナで汗を流すと、次にシャワーと呼ばれる小さな滝に似た流湯装置で髪と身体を流した。
灰汁を使って本格的に髪や身体を洗う前に、再び髪を縛って浴槽の露天領域へ向かう。
椰子の木やハーブが植えられ、神殿のような柱や品の良い石像が並ぶ広大な空間。
そんな景色の中を歩いていると、まるで山岳地帯に眠るドワーフの古代遺跡の中にある楽園に入ったような気分になる。
巨大な白壁に囲まれた浴場。
頭上に覗く広い空は、すでに夕焼け色に染まり始めていて、全裸で歩くミラアに不思議な高揚感を与えた。
湯気の立ち昇る湯の前に辿り着き、足先から湯船に入っていくと、すぐに全身が熱く柔らかい湯に包まれていく。
浴槽の底に丸い尻を付け、息をつく。
再び見上げた広い空には、赤い雲が薄く流れていた。
肩から下を包む熱い湯と、肩から上を撫でる涼しい風のギャップに心地良さを覚えながら、ミラアは先日出会った精悍で清楚な騎士の少女を思い出した。
身長はミラアとほとんど同じぐらい。
程よく鍛えた、まだ若いが充分に女性らしさを感じる身体付き。
緩いウェーブのかかった栗色の髪には艶があって、精悍な青い瞳は、眩しくて見えない未来を真っ直ぐに見据えているようだった。
フィーネ・ディア・グレイス。
ハンターとしてまだ新人の彼女を、スパイス輸送という厳しい道へと誘い、結果としてその笑顔を奪ってしまったかもしれない自分。
それは本心から、彼女の一生に幸あれと思って行ったことだ。
ただ、そこに〝同じ時間を共有したくなった〟という、自分の個人的欲望が無かったわけではない。
相互利益、旅は道連れ、世は情け。
明日、クラーラの葬儀がある。
そこでフィーネと顔を合わせることになるだろう。きっと。
その時――ふと、目の前を通り過ぎた女に視線が吸われる。
見た感じ二十歳前後の若く美しい女性。
浴場だからだろうが、炎のように赤い髪を後ろで一つに縛っている。
ただ、歩いているだけ――だが、女性としても、運動する者としても魅力的な身体を、完全に無駄の無い動きで操っている。
闘争に秀でているであろう者を意識してしまうのは、ハンターとしての職業病なのかもしれない。
意図せずして女と目が合ってしまい、自然に逸らす。
浴場から上がったミラアは、髪と身体を拭くと、今日買ったばかりのワンピースに着替えた。
薄手の上着を羽織り、大浴場を後にして、黄昏の旧市街地を歩いて行く。
もう太陽はほとんど沈んでいて、黄昏の空には少し欠けた月と幾つかの星が輝いている。
道の両脇に設置されたレヴェルベール灯や、立ち並ぶ店の窓から漏れる灯りが大通りを薄明るく照らしてはいるものの、視界はやや暗く風も冷たい。
道を行き交う人々ももうまばらだ。
気が付けば太陽は沈み、濃紺から漆黒に染まった空には満天の星が輝き、やや欠けた月の光が大通りを照らしていた。
大浴場に向かった時よりも人通りは明らかに減っていたが、宿に行く途中歓楽街を横切ると、道の脇には派手な服をはだけさせた街娼たちが立っている他、その客や若い男女が行き交い、武装した男女もちらほら歩いている。
歓楽街を抜けて、宿に向けてさらに歩いていくと、人気の無い道中ミラアの視界が大きく開けた。
王都グレザリアの歴史的名所のひとつ〝鎮魂の広場〟だ。
広場を覆う石畳は広大な真円を描いて敷き詰められており、その中央には黒曜石だろうか――漆黒の石で出来た、巨大なオベリスクが建てられている。
〝リリスの針〟と呼ばれる、この国の歴史において大きな意味を持つそれは、グレザリア王国の栄光を象徴するものだ。
四大魔王の一人リリス・ロ・ドゥ・グレザリアの墓であるとされるそのオベリスクの下には、彼女を焼いた灰が幾重にも封印され眠っているという。
その信憑性を高めるものが、その独特な造形である。
底辺が5メートル四方の四角捶の先端に立った、全高二十メートルを超える石柱。
如何なる技法か、あまりにバランスの悪い土台の上に立っているその光景は、見る者の心に対して、建てた者の神秘性を強く印象付けるのだ。
広場の周囲に並ぶ街灯の光と、月明かりに照らされる魔王の墓。
そこに刻まれた文字は、
〝英雄王ハバート、夜の魔王リリスの胸に杭を打ち、首を斬り落とし、その亡骸を太陽の下にて焼き尽くし、我らグレザリア王国民の在るべき尊厳を奪い返した栄光をここに記す〟
そんな石碑を見つめながら佇むミラアを、空を飛び交う蝙蝠たちが見下ろしていた。




