第25話 白昼夢
修道院の敷地の外へ出たミラアは、門から出てすぐ視界に広がった街並に目を奪われた。
数えきれない程多くの人々が行き交う、石畳で舗装された大通り。
その左右に隙間なく建ち並ぶ無数の建物は、その殆どが黒や焦げ茶色の柱や梁を剥き出しにした木造建築物である。
木材が描く洒落た模様を引き立たせる壁は白一色。
三階建てから五階建ての集合住宅が多く、一階が物を売る店、二階がオープンスペースを備えた飲食店などになっているものも多い。
上層階が宿屋になっている店もあるのだろうが、田舎と違って都会では酒場やレストランが宿屋と兼業しているところばかりではない。
余所者よりも市民の割合が多いため、観光客や隊商などの人間たちより、むしろ市民のための娯楽施設としての趣が強いからだろう。
上等な料理で腹を満たし、酒に酔って遊んだ後は家に帰ればいいのだから、上の階層が宿屋である必要が無い。
むしろ店舗の上の階は市民のための賃貸住宅となっていた方が自然であり、それが都会の集合住宅の常識となっている。
くすんだ赤色の瓦が並べられた屋根の下、大通りの人通りは凄まじかった。
数え切れない数の老若男女が、昼中の太陽の下を行き来している様は、見慣れない者の目には川の流れのように映るだろう。
絵になる街そのものが、ミラアの心に感銘を与える。
修道院の門前に佇んだミラアは、しばらくその景色に見とれながら、遂に王都グレザリアに辿り着いたことを実感した。
ハンターとしてこれまで生きて来たことを思えば、国を跨ぐことなど大したことではない。
だが、今回ミラアがここに来た目的を思えば、王都グレザリアに辿り着いたということは大きかった。
街並に程良く見慣れたところで、ミラアは頭を切り替えた。
(とにかく、明日クラーラの葬儀に行ってみよ。もしフィーネに会えなかったら、家に行ってみようかな……)
グレイス家――このグレザリア王国で、ローザリア家に次ぐ権力を持った別格の名門貴族。
本来ならば一介のハンターであるミラアなどが取り合ってもらえるような家柄ではない。
ジャスニーから王都まで一緒に旅をしたとはいえ、フィーネは名門貴族の令嬢。
たかが流れ者の狩人である自分に取り合ってくれるのだろうか。まず、そこに不安を覚える。
少女がずっとハンターに憧れていたとはいえ、話に聞くものと実際の体験では大きな差異が生じるものである。
事実を体験したことで、もうこの業界に興味を失くしてしまったかもしれない。
過ぎた時間に刻んだ記憶が呼び起こされる。
大きく口を開いて襲い掛かる飛竜の姿と、振り返り様に見たクラーラの最後の姿。
自分たちに向けられたあの瞳は、誰に何を思ったのだろう。
そして、魔術のリバウンドによって晒した自分自身の無様な姿。
もしかすると、フィーネはもう自分と関わりを持ちたくないと思っているかもしれない。
そう思った瞬間、壮絶な孤独感がミラアを襲った。
脳裏に蘇る幾つもの光景。
港湾都市の食堂で、真っ直ぐに自分を見つめたフィーネ・ディア・グレイス。
満月が明るく輝く満天の星空の下を、二人で歩いて隊商宿まで行った夜風の冷たさ。
城塞都市の夜には、隊商宿の屋根の上で剣術の稽古に励む自分を探しに来てくれた。
新興都市の夜は優雅な銭湯にて共に心身を温め、工業都市では土砂降りの雨と灰色の空を見上げながら、隊商宿で退屈な時を過ごした。
持ち得るものが何も無かった時間。
ただ二人きり。
そこにはすべてがあったと思う。
今視界に広がる見慣れぬ人海は、ただ無関心にミラアの目の前を流れていく。
誰が誰だとか、どんな人だとか。
何も知らない。
気にもしない。
無数の雑踏が嵐のようにミラアの鼓膜を叩いた。
なのに、無数の視線は誰もミラアを見ていない。
ただただ、動き続ける無数の頭、それと同等の数の身体。
そこに意味は無い。
それを見るミラアにも意味は無い。
高層建築物は、ただ空を突くように無意味に立ち並んでいる。
青い空は果てしない虚空。終わりなき虚無が、ミラアの呼吸を歪めさせていく。
思わず――すべてから目を逸らした。
無意味な街。
無意味な国。
無意味な愛。
届かないフィーネ・ディア・グレイスの笑顔。
無力で、無価値で、無意味な自分。
脳裏に浮かぶ光景。
赤い飛沫。
甘い絶叫。
神のみぞ知る英知に触れていく、芸術的日常。
鏡に映る、黒いドレスに身を包んだ銀髪の女と目が合った。
その瞳は水晶のように澄んでいながら、血潮よりも赤く、長い夜よりも深く昏い――
そして、
「ッ!」
込み上げた吐き気を堪える。
目が、耳が、全身の肌が――現実を捉え直した。
王都グレザリアの大通り。
昼過ぎの青く澄んだ空の下を、多くの老若男女が歩いている。
巡回する兵士や大きな荷物を運ぶ男、買い物かごを手にした若い女、走る子供たち。
異なる命、異なる人生、異なる生き方。
共通する――〝今、王都グレザリアに生きている〟という事実。
太陽に照らされる木造大型集合住宅は、王都グレザリアという巨大な街に住む多くの人々に、快適な生活を約束する家屋だ。
満たされた都。
ミラアが見る世界は、もう明るくなっていた。
「さて――と」
ミラアは、フェイから手渡された報奨金とは別に、シュバイン商会から支給される契約金を取りに、ハンターズ・ギルドへと向かった。
ハンターズ・ギルドとは、ハンター達の同業者組合を発祥とした、今はクライアントとハンターの橋渡しを行っている組織であり、その呼称は事務所兼窓口のある建物を指すこともある。
その建物の趣は街々によって大きく異なり、一戸建ての建物から集合住宅に似た規模のものまで様々だ。
王都のギルドとも言えば誰もが大きな建物を思い浮かべるが――。
人々の流れに乗って大通りを歩いていたミラアは、目的地を眼前に見上げて立ち止まった。
そこには国家運営を思わせる、教会建築の粋が佇んでいた。
一言で言い表せば〝武装教会〟となろうか。
地上四階建てのその屋根よりも高い、天を突くような塔を設けた幾本もの柱。
壁には無数の飾り窓が並び、そのすべてを板ガラスが飾っている。
楼門にも似た扉は大きく、所々にはユニコーンや天使の彫像が待ち構えていた。
新市街地とは言え、王都の土地の価値が分からなくなるような敷地の広さ。
その建物がハンターズ・ギルドだということは、正面上部に大きく飾られた紋章によってのみ明らかになっている。
厚い木の扉を左右に開いて中に入ると、広いエントランスには、やはり殺伐とした空気が籠っていた。
戦場が似合う老若男女が、受付の前に立って係員と話をしていたり、テーブルに座って談笑していたり。
どこの街のギルドでも見る光景なのだが、フロアの広さと清潔さ、そして人の多さが比較にならない。
幾つもある受付がそれぞれ離れているため、ミラアは少し困惑しつつも、天井に文字の書かれた看板が架かっていることに気付き、契約報酬受け取りの窓口へと向かっていった。
ちょうど人がいないため、並ぶ必要もなくすぐに受付のカウンター前に立つ。
「こんにちはー」
「はい、こんにちはー」
ミラアの挨拶に、笑顔で返してくれる受付嬢。
「昨日ジャスニーから来た、シュバイン商会フェイの部隊で護衛に就いていたミラア・カディルッカです」
「シュバイン商会さんですねー」
笑顔でそう言った受付嬢は、カウンターの向こうで帳簿のようなものを確認して、ミラアに書類を差し出した。
「ここに判子をお願いします」
ミラアは書類に書かれた内容と金額を確認すると、カウンター横に置かれた刷毛でハンターズ・ライセンス・リングの石座にインクを塗った。
ライセンス・リングは身分証明品であると共に、それを紙面に複写するための判子でもある。
印を押した書類を受付嬢に手渡し、カウンター横に置かれた汚れた布でリングを拭く。
「こちらが契約報酬になります」
金貨と銀貨を数枚受け取ると、布で出来た財布に入れる。
「お疲れ様です」
そう労う受付嬢の愛らしい笑顔に顔が緩みかけるが、きりっとした笑みを崩さずに背中を向ける。
再び厚い木扉を開いて、ギルドの外へ。
全身を包む外気が心地よかった。
(さて、と。仕事はもう当分しなくていいね)
胸中で呟くミラアの手に握られた革袋には、キアラヴァ王国の貨幣をジャスニーで両替した分と、今受け取った契約報酬、そして何よりフェイから受け取った追加報酬が入っている。
これでしばらく王都に滞在できるのだが、そこでミラアは自分の服装を省みた。
ハンターらしいと言えば聞こえはいいが、つまり明らかに流れ者であることが分かる服装である。
こうした平和な街中では、Sランクといえど、ハンターという身分は決して尊敬されるものではない。
一流の腕を持った仕事人としての立場は悪くないものの、所詮は市民権を持たぬ流れ者の身である。
わざわざ分かりやすい服装でアピールするものでもない。
それに加えて、服装は流行に合ったものが善しとされるのが都会の習わしだ。
強いて言えば、お洒落な服を着ている者の指にSランクハンターのライセンスが輝いていれば、それはそれで格好付くかもしれないと言ったところ。
街を歩く若い女性たちの服装を観察しながら、大衆服屋を探して歩く。
仕立屋などに作らせる高級衣装ではない、庶民向けの服屋だ。
いくつか品定めをしてから気に入った店に入ると、道中に学んだ流行りの服から自分の好みを探して買った。
薄着のワンピースならば、荷物としてもかさばらない。
クラーラの葬儀に着ていく喪服も、漆黒のワンピースに黒い上着を羽織れば良いだろう。
あとはニーソックスと、少し洒落たブーツを購入する。
久しぶりにお洒落をすることに対して内心ニヤニヤしながら、ミラアは都ならではの大きな宿に入った。




