第24話 修道院の長
部屋にはミラアが身を起こしている簡易なベッドが一つ、それに小さな机と椅子がワンセット。
白い壁には木で出来た十字架が打ち込まれている。
典型的な修道院の一室だ。
脳裏にクラーラの顔がよぎる。
フィーネと仲良く笑い合う光景。
この胸を焼いた自分自身の嫉妬まで蘇るが、そこには確かにフィーネの幸せがあった。
そして、クラーラ・ブルーニという女は確かにこの国で生きていたのだ。
この世界で市壁の外に出れば、人の命など安くなる。
特別な想いは特別な痛みを呼ぶものだ。
〝せめて安らかに眠れ〟
胸中で呟く、多くの人々に慣れ親しまれるその言葉は、残された者たちの心を宥める。
気持ちを切り替えて外を見ると、建物で四角く区切られた空は青く澄んでいた。
その下には美しく生い茂るハーブ園が見える。
(ラベンダー、ガーリック、チコリ、アーティチョーク、マロウブラック、ジンジャー……)
見える範囲でもかなりの種類が育てられているようだ。
どこかに礼拝堂があるはずだが、ここからは見えないようだ。
修道院とは、かつて四大魔王たちが国民の病や怪我を治療することと同時に、己を神格化させるために造った施設の総称である。
九死に一生を得た国民たちに、救われたのは女王のおかげだという意識を植え付けるために。
人類の夜明け以降は、新たに創設された〝神教〟という思想を以って国の管理下で運営されているものの、その運営方針は変わらない。
板ガラスが嵌め込まれた窓を開けると、青い空から中庭を通ってハーブの香りを含んだ風が、優しく部屋に流れ込んできた。
「……おいしー」
新鮮な空気に力無く呟く。
昔、大好きだった故郷のハーブ園を思い出した。
外を眺めながらしばらく和んでいたミラアは、廊下から小さな足音が響いてくることに気付いて視線を扉に向けた。
ノック音に「はい」と言うと、木扉が開いて若い修道女が入ってくる。
「体調はいかがですか?」
癒されるような笑顔と声、そして口調。
「うん、大分いいかな」
ミラアも笑顔で答える。
その様子に修道女は驚きを隠さずに、
「回復、お早いんですね。精霊の呪い――魔術のリバウンドですと、度合いにもよりますが、早くても三日ぐらいは動けないものですが……」
「私、少し早いんだ。回復するの」
ミラアは涼しい笑顔を浮かべた。
「それで、そろそろ出たいんだけど」
「今日ですか?」
修道女は、今度こそ目を大きく見開いた。
驚いているというより、最早引いているというレベル。
「うん」
少しやり辛さを感じ、苦笑いを浮かべながらミラアが頷くと、修道女は少し考えてから言いづらそうに、
「分かりました。お時間はいつ頃になさいますか?」
「今からすぐ」
「今からですか?」
目をぱちくりさせる修道女。
「うん」
「一晩寝ただけですよね?」
「うん。寄付金はいくら?」
修道院では、治療または療養した患者が寄付金という名で料金を支払うのが通例である。
「寄付金はシュバイン商会様にご請求させて頂くというお話になっておりますが……」
「ほんとに?」
目を丸くするミラア。
「ええ……」
と、答えつつも未だに困惑している修道女。
もう既に回復しきったミラアは、修道女のそんな想いを無視してフェイの顔を思い出した。
ハンターは、自身の生存や健康などを自己責任の元で管理する必要がある。
それを雇い主が肩代わりしてくれたというのは、最早至れり尽くせりである。
そもそも、仕事を終えたハンターを看病するなどということ自体が不自然極まりない。
フェイのコネ作りだろうかと思ったが、隊商を守ってくれた感謝によるお返し……というのも、あの男ならば在り得るかもしれない。
「じゃあ、少し中庭と礼拝堂、見させてもらってもいいかな?」
「あ、はい、どうぞ」
ベッドから出て靴を履き、未だに戸惑う若き修道女と別れて、ミラアは一人で部屋を出た。
神教は、神という創造主の存在を定め、尊いとする信仰だ。
信仰は集団的な信念の団結であり、それは思想即ち価値観の統一を意味する。
国家が神教を掲げるのは、そうした思想の統一を以って国民の意志をまとめ上げ、反乱や犯罪を抑止するためだろう。
さらに、日々信仰を深めていくということは、信者にとっては自己実現を達成していくことと同義になり、それは風紀の乱れによる人々の摩擦を減らすことにも繋がっていく。
木でできた扉を開けて広い中庭に出ると、風がミラアの全身を撫で、銀色の長い髪を揺らした。
中庭を囲むように建てられた白亜の建物。
ハーブ園を中心に広がる一面の芝生。
それを二つに割るように設けられた敷石の道を、やや豪華に装飾された美しい礼拝堂に向かって歩いていくと、ハーブ園の近くに女王カーミラを模した大きな石像が祀ってあるのが目に映る。
暗黒時代に君臨した四人の女王達の中で、最も残忍暴虐な魔王として語られる女王カーミラは、修道院では神の使いとして崇められている。
聖書と呼ばれる神教の書物によると、女王カーミラは元々薬学を司る高位の女天使であったという。
それがやがて、高慢、強欲、嫉妬、憤怒、暴食、色欲、怠惰の罪を重ね、天から堕とされ不浄なるものに姿を変えたというのがその逸話だ。
緑の香る風に頬を撫でられながら、銀髪の女ハンターは歩き続ける。
ブドウ園を横切り、醸造所らしき区画を超えると、孤児院になっているのだろう。
建物の窓から子供たちの笑顔が見える区画をさらに横切って、豪華な礼拝堂の前に辿り着く。
神教の礼拝堂はすべて西に出入り口、東に祭壇という配置で、東西に長く造られており、その南北に小さな区画を設けることで、空から見下ろした時に建物自体が十字架になるように設計されているのが特徴だ。
正面玄関となる大きな木扉を左右に開くと、視界を覆った景色にミラアは息を呑んだ。
通常の家屋の何倍の高さだろうか。
頭上から正面に広がる空間の広さに圧倒される。
六本を一本に束ねた白い柱は、それが支える天井の重さを語るように太く聳え立っている。
室内に幾本も並ぶそれらは、遥か頭上高くで幾重にもなる複雑なアーチを描いて繋がっている。
会衆席の向こうには、天へ捧げる祈りを形にしたような、巧妙な石像と金属細工によって造られた祭壇があり、そこに堂々と佇む十字架は天井から射す陽光に照らされて輝いている。
幾つもの美術が一つの芸術として統一されたその様は、数多の人々の想いを統べて神に捧げるこの空間に相応しかった。
心に強く訪れた感銘に、思考は雑念として捨てられる。
一歩一歩、神の膝元へと歩み寄る。
いつしかミラアは祭壇の前に佇んでいた。
そうしてしばしの時を過ごしていると、
「貴婦人、ご機嫌はおいかがですか?」
不意に後ろから掛けられた声に視線を向けると、神教の指導者たる服を着た白髪の老婆が慈愛に満ちた笑顔を浮かべていた。
「……ええ、おかげ様で」
ミラアは無表情で答える。
二人の視線が混じりあったまま、刹那の間を重ねること数度。
全くと言っていい程に邪気の無い老婆は、明らかに冷たい目を向けるミラアにニッコリと笑って訊く。
「お美しい髪と瞳ですね。異国の方ですか?」
「……キアラヴァ王国から」
「それはそれは」
そう言いながらシスターは、ミラアの隣に並んで祭壇を見上げた。
「私は今、この修道院を任されているシスター、マチルダと言います」
「……」
「もともとは、この施設に併設された孤児院の院長をしておりました」
「そうですか」
ミラアの返事は、素っ気ないというより明らかな壁を感じさせるものだ。
ただ、不快な表情を浮かべているわけではない。
そんなミラアに、シスターマチルダと名乗った老婆は丁寧な笑顔を見せて言う。
「もし、御用がございましたら、またいつでもおいでください。いつでも歓迎致します」
「……助かります。職業柄、怪我をしやすいので」
ミラアは老婆に背を向けると、礼拝堂の出入り口に向かって歩き出した。
背中に、老婆の温かい視線を感じながら。




