第23話 神の膝元
およそ二百年前、リリス朝グレザリア王国の王都グレザリアにおいて、獣人とエルフとドワーフと人間を合わせた総人口は、一万人に満たなかったと言われている。
それから約百年、〝人類の夜明け〟と呼ばれた人類歴元年には、王都を支配した人間の総人口は、街から消えた亜人たちを除いて一万人を超えていたという。
それからさらに百七年。
今現在、王都に居住する人類は五万人を超えるとされる。
一部の住民においては戸籍が配備されておらず、正確な数は把握できていないものの、王都グレザリアの人口が人類の夜明け時点での数倍にも膨らんだことは明らかだった。
リリス朝時代から水路が徹底配備されていた、塔と市壁に囲まれた円形都市である。
同じ設備を維持したまま行われる都市の拡張工事が、困難を極めるのは想像に難くない。
初代国王であるハバート・ロ・ドゥ・グレザリアは、人類の夜明け以降、側近の魔術師と共に、まず都市の拡張工事に取り掛かったという。
街を取り囲む市壁の外にさらなる市壁を建造し、新たな水路を引くことから始まったそれは、王家三代まで受け継がれ、結果として都市面積を約三倍に広げることに成功する。
初代国王の先見の明による偉業の甲斐があり、人類歴百九年現在まで、給排水を徹底させた王都グレザリアにおいて疫病が蔓延したことは一度もなかった。
増え続ける人口も、区画整理された新市街地に建造された集合住宅によって、ある程度の余裕を以って居住することができている。
暖炉に火を灯し、食卓に温かい食事を届けるために消費される薪は、南北に広がる森から伐採され運ばれてくる。
食料は、グレゼン島とカイルランド島の内海で採れる魚介類や、南北の森に放牧された豚、周辺の農地から採れる作物などが流通し、さらに各地方都市から繋がる街道を通って遠方の特産物も充足されている。
さらに珍しい品は、東方にある国々から港湾都市ジャスニーを経由して輸送され、そこに生じる膨大な利益を手中に収める豪商たちや、彼らに雇われる者たちを相手に発展した娯楽産業も充足している。
西に内海があり、南北に森がある平地というこの立地条件を基盤に、国全体の方針と足並みを揃えて、都は大きく発展を続けている。
完成された都市計画だったと言えるだろう。
リリス朝時代を含めた数百年の間に発展した、高度な教会建築の技術を多用した国家所有の建造物や、余裕のある敷地に暖かみのあるデザインで設計された、白壁の大型木造集合住宅が規則正しく並んでいる様は、まさにこの国の文化文明の極みだと言える。
なだらかな丘の上から海辺の港まで、一面に広がる美しい街並を睨みながら、戦車の上に座ったフェイ・ミルバーンを筆頭にして、シュバイン商会の隊商は四日間の旅を経て王都へ辿り着いた。
シュバイン商会フェイ・ミルバーン隊は、飛竜の襲撃によって護衛と御者を合わせた十数名の死者を出した。
幸い幌馬車が炎上することはなく、現場に残した数台の車両と積荷は、商会の回収隊によって無事回収できたらしい。
戦車と幌馬車、さらにそこに積み込んだスパイスには、今回の輸送で雇った人命の何倍もの価値があるのだから当然の対処であると言える。
ミラアは修道院のベッドで上半身を起こしたまま、その一部始終を隊長であったフェイから聞いていた。
憂いを隠さない大男の隣には、見覚えのある秀麗な顔の青年の姿もある。
壁と天井が真っ白な、さほど広さの無い一人部屋。
透明な板ガラスが嵌め込まれた窓からは、昼過ぎの青い空。
豊かな芝生に一直線に石畳が敷かれた中庭が、その向こうにはこの建物と両繋ぎになっている白亜の建物が見えている。
優雅な束ね柱やアーチによって建造された教会建築技術の結晶。
神聖な施設に相応しいその姿が、ハーブ園を設けた中庭を囲むように建てられている。
「お前さんの追加報酬だ」
そう言ってフェイに渡された小さな布の袋には、重たい金貨がぎっしりと詰まっていた。
Sクラスハンターとしても、スパイス輸送の護衛としても破格の金額である。
「……最終日のワイバーンは異常だった。あんな数の群れは初めてだ。アンタがいなけりゃ全滅だったかもしれん。だから、それはアンタの働きに妥当な金額だ」
太く響くフェイの言葉を耳にしながら、ミラアはそれを見つめつつ、まだハッキリしない意識の中で、守り抜いたはずの愛しい少女を思い出し、
「……フィーネは?」
ミラアの問いに、フェイの表情が少し硬くなる。
「……ああ、ディア・グレイス嬢はな……」
銀髪の女ハンターの、美しく整った眉毛が僅かに動いた。
数名の死者と物損被害を出してなお最善だったと言える輸送で、生き残った隊長は続ける。
「ずっとアンタに付き添ってたんだが……アンタが目を覚ます前に帰ってな。今は実家で休養している」
「……そう」
少し安心して、ミラアは自分の戦車の御者台の上に座っていた、笑顔の眩しい女性を思い出した。
あれは、どう見ても――だが、もしかすると――だから、訊く。
「……クラーラは?」
ミラアの問いに、フェイは少し意外そうな顔をして、
「アンタ、あいつの事気にしてくれるんだな」
「……」
ミラアは何も言わない。
フェイは、虚ろな涙を流しながら事情を話してくれたフィーネ・ディア・グレイスの証言を思い出し、ミラアがその現場を見ていたことを踏まえて答える。
「……アンタが見たままだ。奇跡は起きなかった」
ミラアの表情が少し暗くなる。
「だから嫌いなんだ、慣れ合うの」
しばし、静寂が訪れた。
数秒の間を置いて、沈黙を破ったのはフェイだった。
「アンタの生き方に文句はねぇが、俺はだからこそ慣れ合ってる。生きてる時間は短い。その中で、できることをやりたいんだ」
「……そう」
冷めた一言の中に、深い敬愛があったのを誰が感じただろう。
一瞬訪れた会話の間に、タイミングを見計らっていたフェイの相棒が、端麗な顔に真剣な色味を混ぜて言った。
「あんた、魔術師だったのか?」
「……魔術は使えるよ」
例えば、剣と槍と弓と魔術が使える人間は、剣士なのか戦士なのか魔術師なのか。
そうした定義が彼女には分からなかった。
そんなミラアに、フェイはあくまで真剣な顔で続ける。
「……アンタがリバウンドで昏倒する前に使った魔術。あれは、身体から離れた魔術に指令を与えたものなのか?それとも、身体から離れる前に魔術に指令を与えていたのか?」
仲間の死を想う心よりも、遥かに強い魔術に対する探求心。
瞳を輝かせて返事を待つ生粋の魔術師を、ミラアは冷たい目で見た。
「貴方も魔術師なら、自分で考えなさい」
「そうか――もっともだ」
魔術にも武術のように流派があり、それは子弟関係を除いて秘匿とされる。
それを深く訊き掘るのは、魔術師としての倫理観に欠けた行動だ。
生粋の魔術師であるが故に生じてしまった、未知の術に対する途方もない感動、興味、好奇心。
それらによって魔術師としての倫理を破るようでは、一流とは呼べない。
死者を想っていた時間に水を差されたような気分に、不快感を拭えないでいたミラアを解したのは、有り余る強さと柔らかさが深みを感じさせるフェイの声だった。
「クラーラの葬儀は明日、昼の十一時から新市街地の外れにあるザネス教会で行う。良かったら来てくれ」
そう言うとフェイは椅子から立ち上がった。
それを律儀に近くの机の下まで動かして、
「俺たちはもう行く。ゆっくり休んでくれ。それと――シュバイン商会は、いつでもアンタを歓迎する」
そう言って、二人のハンターをミラアに背を向けた。
壁より遠くを見つめるミラアの視界の隅で、二人が部屋から出て行き、扉が閉まる。
白くてやや狭い部屋に、ひと時の静寂が訪れた。




