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幾千夜の誓いを君へ  作者: 月詠命
二章 地平線の向こうに待つ空の色は
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第22話 夢の卵




「クラーラ?」


 思わず声が、フィーネの唇から零れる。


「……!」

 〝現実を見ろ!〟その言葉をミラアは噛み殺した。


 腕の中で瞳に光を失っている少女を助ける一心でミラアは動いた。

 その結果が、クラーラという御者の死だったとしても構わない。


(クラーラのことも助けられた?)


 分からないが、この選択が最も安全にフィーネを助けるための最善だったはずだ。

 ならば全て善しと心底思う。


 一瞬の間に走り抜けた雑念が消えると、世界は時間の流れを取り戻した。


 ミラアはフィーネを抱いたまま空中で体勢を変えて、街道から僅かに外れた草原に着地する。


 肉食動物が、群れから離れた獲物を狙うことは知られた話だ。


 つまり、隊商から離れた二人は、飛竜にとって格好の得物だということになる。


 おまけに戦車から離れたためバリスタも遠く、その戦車自体御者であったクラーラの死によって暴走を始めている。


 そして、視界の向こうでミラアたちが担当する戦車が横転した。


 バリスタや大矢の入った木箱は甲板に固定されているが、中身は木箱から草原に散らばる。

 紫色の瞳がそれを捉えた。


 フィーネを腕に抱いたまま走り、女豹の如き体術でそれを手に取る。


 そして上空を見上げると、相変わらず逆光が視界を焼いた。


 フィーネを抱いていた腕を離し、無事でいてと強く願い、同時に必ず守ると心に誓う。


 立ち上がり、目を細め、瞳孔に入る光量を調節しながらも視界を広げると、右から早速迫り来る飛竜の姿が目に留まる。


「お前たち」

 ミラアの口許に笑みが浮かぶ。


 なぜか思い出す、最後まで気に食わなかった御者の笑顔とその最後。

 雑念を消すと、浮かび上がるのは復讐心。

 その衝動に駆られ、手に持っている大矢を強く握る。


 この手の魔術は、最早彼女にとって条件反射だ。


 投げ槍で相手を殺そうとすると、つい無意識に臍下丹田に集めた意識が、周囲に広がる世界の歪みを感じ、己が精神による干渉を把握しながら世界の変わり様を理解し、慣れたその波長を生じさせて、世界をさらに大きく歪めていく。


 対象は、己の肉体とその足元の空間。


 ミラアの細くしなやかな右手から、両足にかけて走る気の経路が活性化し、その筋量からは在り得ない程の筋力が生じていく。


 魔術とは、即ち世界の物理法則を歪める術だ。

 その限界は術者の力量に他ならない。


 人間の筋力を遥かに超えた膂力は、足元に発生した超重力によって大地に固定され、バリスタ用の大矢の投擲を成功させる。


 機械は人の手より正確であり、熟練した人の手は機械より器用であるということだろう。


 人の手によって投擲された高速の大矢は、まるでそこに刺さることが約束されていたかのような正確さで、飛来する飛竜の眉間に正確に突き刺さった。


 それによって絶命したかはいざ知らず、真っ直ぐに飛んできた飛竜は急降下しながらも、その勢いのままミラアたちに迫ってくる。


 全長十数メートル、体重は何百キログラムだろうか。

 迫り来る巨大な肉塊を避けるため、ミラアは再び片腕でフィーネを抱いて、空高くへと跳び上がった。


 全身を包む無重力感と突風に、銀色の髪が激しく舞う。


 空中で、ミラアは周囲に警戒を巡らした。


 案の定、少し離れた上空から迫り来る大きな口と、そこに並ぶ無数の牙が目に留まる。


 片腕に抱いた愛しい少女。

 その大きな枷を手放すことなく、この場を切り抜けなければいけない。


 慣れないことだが、経験はある。


 だが、もし――愛しい者を守った結果、その者から得られていた愛や、共に過ごすはずだった明るい未来を失うことになったら、それは本末転倒というものだろうか。


 いつか、永い時間考えていたそんな疑問に答えを出せるほど、この瞬間に余裕はない。


 銀髪の女ハンターは、全身に満ちた精神とそれを包む世界を把握し、相反するそれらが生む世界の歪み、そこに干渉する心の在り方を見出していく。


 魔術とは、術者の精神によって世界を歪める技術である。


 それは世界からの反力を生むことになり、場合によっては世界から返ってくる力によって、術者自身の心が歪曲・破壊されることがある。

 その結果、発狂する者や死に至る者さえいるという。


 最も、魔術は精神の操作である。

 その〝リバウンド〟にさらされた者の殆どは、文字通りすぐ〝その気が無くなり〟結果としてそれを免れることになるのだが。


「死なせない」


 ミラア・カディルッカという女は例外だった。


 それは、彼女の特異な人生によって生じた人格によるものか。

 それとも、フィーネ・ディア・グレイスという少女に抱いた特別な感情故か。

 或いはその二つが合わさった結果か。


 銀髪の女ハンターは、右手から一筋の光を大地に放った。


 緑の大地に広がる草、その根元から漏れる青い光が波紋のように広がり、図形を描いていく。


 直系四メートルほどに広がったそれは、一層強く輝きを放ちながら幾重にも回転し、霧状の冷気を撒き散らした。


 それが余波であると示すように、草を掻き分けて伸びた数本の氷柱が天を突く。


 強力な魔力を用いた高等な魔術ではある。

 だが、そんなもので竜の鱗は貫けない。

 その光景を見た者全員が抱いたその考えは、すぐに覆された。


 一瞬で大地から生じた細長い氷柱の林、それは生き物のように奇怪な動きで伸びていき、檻のように飛竜を囲い込んだ。

 氷柱の檻は、その内側に向かってさらに無数の氷柱を、爆発するような勢いで伸ばす。


 周囲の空気を急激に冷やしながら、無数の氷柱は刺さらずとも飛竜を捉え、その口腔内に潜り込んでいく。

 体内からなおも貫けぬ皮膚を持った飛竜は、歪な形に歪められ、虚空にて奇怪なオブジェと成り果てた。


 幾本もの氷を伝って鮮血が滴り落ちると、目的を果たした氷のオブジェは次の瞬間に砕けて霧散する。


 草原に落下する、鮮血に彩られた飛竜の死体。


 細かい氷の粒が空中に煌めく中、地上へと降りた銀髪の女ハンターは、再びフィーネを抱いて草の上を走った。


 身の丈を超えた魔術のリバウンド、精神汚染による自己嫌悪――やり場の無い苛立ちと憂鬱が、肉体と精神を蝕んでいる。


 フィーネを失うことが無性に恐ろしく、クラーラの死が異様に悲しい。

 そして、そのクラーラに嫉妬していた自分自身を呪いたくなる衝動に駆られる。


 全身の血管と気の経路が、まるで火傷や凍傷になったようにひどく痛む。


 だが、そんなものは後回しだ。


 ミラアは右手に激痛と共に精神を集め、自らを取り囲む世界の歪みと波長を合わせた。


 込み上げる、強烈な不安と恐怖――自分自身の心理的抵抗を無視して、己の精神を基盤に世界の歪みをさらに捩じり上げる。


 雪のように白い右手を、三次元の光の図形が取り囲んだ。


 それは黄金色に輝く、平面では無く立面の魔法陣。


 複雑なその文様が輝きを増していくにつれて、ミラアは己の精神が更に強く捻じれ、暗く染まっていくのを覚える。


 世界を歪める者は、同時に世界に歪められる。

 当然だ。


 だが、世界に歪められてなお成したいことがあるのなら、抑えきれぬ力を秘めたる者が、それを暴走させることに迷いなどない。


 自分を呪い、自分に呪われる最悪の気分の中で、ミラアの両目に激痛が走る。


 両目を潜め、同時に凝らすミラアの頬を、血の涙が流れた。


 そして、右掌より数センチ上に浮かぶ、複雑な立体魔法陣が完成する。


(できた……)


 達成感など微塵も無い。

 あるのはリバウンドによって生じた、強烈な〝激痛〟〝不安〟〝恐怖〟そして〝後悔〟だけだ。


 だがそれさえも無視して、ミラアは右手を空へと翳した。


(死ね――)


 呪う想いに乗せて術を発動。

 黄金色の立体魔法陣は、爆風に煽られたように上空へとその身を躍らせ、その輝きを膨張させる。


 空中で停滞した輝きは、爆発するような勢いで無数の紫電を周囲に伸ばした。

 辺り一面へ広がる稲妻は、空を駆ける飛竜たちを狙い追いかけるようにその触手を伸ばし、絡めとっていく。


 竜種と言えど、魔力を弾くのは鱗だけだ。

 紫電が全身の皮膚を撫でながら口腔に入り込み、眼球に触れ、粘膜から感電した際には、やはり甲高く擦れた絶叫を上げながら空中でもがき苦しむことになる。


「な……?」

 隊商の先頭で、グレザリア王国きっての天才魔術師とされる、チェスターが目を見開いた。


 立体魔法陣から伸びる無数の紫電が、大空を舞う複数の飛竜たちを絡めとっていく、あまりに圧倒的な光景。


(大魔術?いや、そんな次元じゃない)


 自分も大魔術と呼ばれるものを扱うことができるが、それは従来の魔術の規模をただ大きくしただけのものだ。

 先程から銀髪の女ハンターが扱っているものは、その性質自体が一般的な魔術と異なっている。


 そんなチェスターの視線の先、奇跡が起きている空の真下で、ミラア・カディルッカは地面に膝をついた。


 頬を流れる血の涙は止まらず、すすり泣く声も堪えきれずに唇から漏れ続ける。


 己の精神を蝕む呪いは、彼女の心深くに根付いた自己嫌悪に拍車をかけて、その存在とこれからの未来全てを否定する。


 死を以って償おうともしない愚かな自分自身の頭を抱え込んで、白銀の女神は目を見開き、ただ震えながら泣き続けた。


 その頭上では、彼女の残した立体魔法陣が、墜落し大地にて苦しむ飛竜たちを未だに裁き続けている。


 自ら呪い、自らに呪われたミラアは、周囲の目など気にすることもなく、ただ背中を丸めて震え続ける。


 真横で座り込んでいたフィーネは、そんなミラアを呆然とした表情で見ていたが、しばらくしてそっと彼女を抱きしめた。


 蒼褪め、震え、冷え切った汗に塗れたミラアからは、どこか甘い香りがした。




 

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