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幾千夜の誓いを君へ  作者: 月詠命
二章 地平線の向こうに待つ空の色は
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第19話 夢の終わり




 ミラアとフェイの会話を見守った月が沈みかけて、また新しい太陽が昇る数刻前。


 ノーザンフォードにある隊商宿は、無数の松明の光と楽園を離れる名残惜しさで溢れていた。


 男たちはまだアルコールが抜けきらないまま、心を奪われた娼婦の名前を話題に、戦車の近くで談笑している。


 幌馬車の近くに集まっている女たちは、着飾った娼婦たちに女として負けた気になっているのか、どことなく不機嫌な様子でそれを見ていた。


 また幾人かの男女たちは、腕を組んで宿に帰って来る姿が目に留まる。


「仕事中にたるんでるよね」

 という女の言葉が耳に入るが、ハッキリ言えば建前だろう。

 嫉妬に被せた大義名分だ。


 そんな様子に何を思うのだろうか。フェイは戦車の横に佇み、自らが指揮を執る隊商を眺めていた。


「散々だな」


 後ろから聞こえた若い男の声に、フェイは見向きもせずに答える。


「仕方がない。それでも腕利きの連中だ」


「腕利きも酔ってりゃ三流以下だろ」


 フェイの横に立ったその男は眉目秀麗、長身の青年だった。


 屈強なハンターたちの集まったこの隊商において、唯一中性的で戦いとは無縁な体格をした男だ。


 筋骨隆々にして大柄なフェイと並んでいるせいで、よけいに華奢に見えてしまう。

 だが右手に光るハンターライセンスの指輪、銀とは僅かに異なる最高ランクの輝きが男の実力を物語っていた。


「……戦力不足は俺たちでカバーすればいい」


「コケる奴らが増えたら、人件費も浮くしな」

 ニヤリと笑う青年に、フェイは僅かに顔をしかめた。


「フェイさん、チェスターさん!」


 呼び声に反応して二人が振り返ると、中年の男が歩いてくるのが見えた。

 隊商宿の若大将だ。

 膨れた財産の成れの果てなのだろうか、よく肥えた身体が目に付く。


「いつでも開門できますが、どうしましょう?」


 チェスターは少しニヤニヤしながらフェイを見た。

 フェイの視線の先には、先程見た〝散々な〟光景が広がっている。


 隊長は、大柄な身体すべてに空気を取り込むように、大きく息を吸って、

「準備はできたかー!?」


 鶴の一声というより竜の一声。

 中庭から建物の中まで響く太い声に、酔った男も怒った女も、浮ついた心を引き締めて担当する車両に乗り込んでいく。


「流石だな」

 感心する相棒の軽口には耳を貸さず、無数の松明の灯りに照らされた隊商全体の動きを確認しながら、


「日の出を見計らって出る。俺の指示する声と同時に、門を開けてくれるか?」


「はい!」


 先程のフェイの声に触発されてか、変に気合の入った隊商宿の若大将が、従業員に指示を出すために走り去っていく。


「隊長が優秀なら、烏合の衆も一等兵に化けるか?」


 含み笑いをするチェスターに、フェイは隊商全体を見ながら答えた。


「烏合の衆とは、無能な隊長に付いて行くしかない者たちを指す」


 自分が優秀な隊長だとするのなら、その自分に付いて来るこの隊員たちは烏合の衆では無く、そんな優秀な彼らを導く自分は特に優れた隊長では無いのだと。


 自らに対する使命感の強さと、下の人間に対する感謝と敬意。

 それらを包んだ謙虚さを混ぜ合わせた回りくどい言い方。

 その真意に、永年肩を並べて来た相棒はすぐに気付いた。


 つまり言い換えると、

「隊長なら、この程度の激励ができて当然ってか?」

「……」


 それを当然だと言い放てば、まだ成熟していない商会内の他の隊長たちを貶すことになる。

 それ故の無言だろう。


(律儀なのはいいけど、分かりづれぇよ)


 チェスターは常日頃から思っていることを、改めて胸中で呟いた。


 シュバイン商会最強の男にして、グレザリア王国領内最強のハンター・フェイ。

 竜殺しを成し遂げた生ける伝説の〝護国卿〟や、かつてその名を国中に轟かせた〝銀の魔女じぶんのあこがれ〟を覗けば、人類の夜明け以降最も強い者の一人なのではないだろうか。


 個人的には、城塞都市ゴートンの領主〝剣聖〟ディルク・ディア・グレイス公爵にも、実力で匹敵するのではないかと思っている。


 そんな男が横暴に走らず、あえて律儀な生き方を選んでいるのは、きっと〝あの方〟に対する忠義からの派生なのだろう。




「出るぞー!」


 夜明けの主役はその一声だと、もう誰もが思っている。


 そんなフェイの声と同時に隊商は動き出した。


 周囲の景色は夜明け前の隊商宿から、門を潜って街の中へ、そして再び街道と草原へ変わっていく。


 別れの名残も距離と時間に消えていき、隊商は後ろ髪を引かれることなく王都を目指す。

 楽園は思い出に眠り、いつかまた訪れる時にこの胸を躍らせてくれればいいと思う。


 朝焼けに燃える空は瞳を通して魂に火を付け、大地から打たれる戦車の振動は胸の鼓動を強く鼓舞する。


 地平線から生まれたばかりの朝日は、南東から北西へ向かう隊商を照らし、大地に長い影絵の行列を映している。


 緑の吐息が辺りを包み、朝露の香が頬を撫でる。


 左右から街道へと森の木々が迫れば、隊商は勇猛な空気を纏う。


 幾度か訪れた魔獣たちからの襲撃を撃退し、隊商は再び緑一面の景色を進んでいく。


 水面のように風に揺れる広大な草原を見ていると、フィーネは目の裏側が解れていくのを感じた。


 港湾都市ジャスニーを出て三日目。


 西の彼方、遠く広がる森の向こうに山岳地帯がハッキリと見えた頃、空を厚い黒雲が覆って大粒の雨が降り出した。


 御者も護衛も羽織っているフード付きのマントは、表面に油が塗ってある防水仕様だ。

 それを頭から被って、皆雨風を凌ぐ。


 そんな簡単な防水処理でも効果は大きく、夕刻に工業都市バーミングに着くまで誰も病を患うことがなかった。


 馬車や兵器の名産地であるこの都市では、戦争に向けて製造が盛んになっているのか、街中に点在する大きな工房の中で人々は慌ただしく働いていた。


 黒色火薬という使い勝手の悪いものの研究や、キアラヴァ王国で発明・改良・増産されているという蒸気機関の研究が行われているということでフィーネは興味があったものの、陽が沈むまで雨は続き、結局グレザリア王国における工業の最先端を見ることはできなかった。


「キアラヴァ王国だと、蒸気機関の技術漏えいを嫌って、検問までやってたからね。ここのはまだ実用できるものじゃないよ」


 と言うのがミラアの言い分だったが、興味を引かれているフィーネにとっては見るに値したものだったため、天候の悪さを恨みながら隊商宿にて眠りについた。


 四日目。グレゼン島西部に栄える、王都グレザリアに着く予定の日。


 夜明けの空は快晴で、北に広がる森から飛来したグリフィンの群れを、全戦車のバリスタで撃退した。


 護衛の仕事も隊商の進行も実に好調であり、フィーネは自分もこの隊商の一員であるということが誇らしく思えてきた。


 太陽が天空の頂きに昇る頃、青く澄み切った空では、天高く吹く風に押されて大きな雲が流れていた。


 かつて王都移転に乗じて伐採された森は、今は草原となって低い丘の向こうへ続く街道を曝け出している。


「今日中に王都ですね!」

 フィーネが笑顔で言った。


「うん」

 答えてから、ミラアは少し複雑そうな顔をして、

「フィーネは、王都に着いたらどうするの?」


「私は――まだ考えていません」


 その苦笑いが愛おしくて、可愛くて、ミラアはついフィーネから目を逸らし、何かを思案するように言った。


「そう……私は、しばらく王都にいるからさ。何かあったら言って来てよ。力になれるかもしれない」


 ミラアがキアラヴァ王国から、わざわざ海を渡ってグレザリア王国に来た理由――ミラアは観光だと言っていたが、とにかくその用事でしばらく王都に滞在するということだろう。


 そのついでだとしても、ミラアのその言葉はフィーネにとって嬉しいものだった。


「ありがとうございます」


 そう言った笑顔が眩しくて、ミラアは思わずフィーネを見つめた。

 一瞬の時間を永遠に刻むように。


 そして、

「私は、その……ただのハンターだからさ。フィーネは貴族だし。立場が違いすぎるから」


「そんなの気にしないでくださいよ!」

 フィーネは少し驚いてから、やはり嬉しそうに笑って、


「ミラアさんに、そんな風に言ってもらうと光栄です。私は、ここではただのハンターにもなれない立場でした。でも、ミラアさんのおかげで今こうしてスパイス輸送に携わっています。だから、ミラアさんは私にとって――グレイス家にとって、恩人であり客人なんです」


「それは、私が勝手にフィーネのことを……」


 口ごもる間を、騎士の少女が埋めてくれる。

「それでも、私がミラアさんから頂いたものに変わりはありません」


 ミラアとフィーネ、二人は同じ陽光に照らされながら、その頬に宿る熱は互いに異なるものだろう。


 似て非になり、その上で肌に合う間柄。


「王都に着いたら、ぜひ一度屋敷に来て下さい。きっと母も歓迎します」


 満面の笑みに、ミラアは驚いた。


「ちょ、お屋敷……、母って……」


「屋敷は私の実家です。母は私の母、カタリーナ・ディア・グレイスです」


「カタリーナ様のお屋敷にお呼ばれかい?」


 食いついてきたのは、御者台からこちらを振り向くクラーラだった。

 この女が、カタリーナ・ディア・グレイスに憧れていると言っていたのを思い出す。


「もちろんクラーラさんもいらして下さい」


「本当かい?ありがとうフィーネ、恩に着るよ!」


 満面の笑みを見合わせる二人を他所に、ミラアは少し困った顔をした。




 

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