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幾千夜の誓いを君へ  作者: 月詠命
二章 地平線の向こうに待つ空の色は
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第15話 人を喰らうもの




「襲撃だー!」


 心に生じたすべての恐怖を武勇の糧へと変える勇猛な一声は、隊商の隊長フェイが発したものだったか。


 その声に触発して、隊商はその動きを止め、迎撃態勢へと移行する。


 五十メートルほど離れた森の方から、空を羽ばたく褐色の姿が幾つか見えた。


 フィーネはバリスタを構えたまま、大気に満ちる光の精霊に胸中で叫んだ。

 その返事を眼球に取り込みながら全身に精神を巡らせ、その感覚が大きくなるように精霊に囁きかけていくと、視界が限りなく鮮明なものへと変わっていく。


 魔獣が森から姿を現して一秒、その姿は既に驚くほどに近付いていた。


 蝙蝠に酷似した翼は、本に書かれた絵図やフィーネの想像よりも遥かに大きく、見て取れる関節の柔らかさが生々しい。

 その羽ばたきに揺れる巨体は、重量感を維持したまま異様に身軽だった。

 全身を覆う黄金の毛皮はあくまで凶暴さに飾りつけ、その顔つきからは、それが肉を喰らうものであることが本能で理解できる。


 〝樹海の王〟マンティコア。

 生まれて初めて見る現物に心が竦み、フィーネの背筋に寒気が走った。


 その数、おおよそ十数頭。


 一人なら食い殺されるという絶望感――今は仲間たちが何よりも頼もしい。


 敵がバリスタの射程距離に入る寸前、フィーネのすぐ横で機械が空気を叩く音が響いた。


 多くの護衛たちが見守る中、ミラアが撃ったバリスタの大矢は、見事に先頭を飛来する魔獣の眉間に突き刺さり、その体躯を大地に墜落させる。


「は?え、嘘?」


 戦車の御者台の上で、ユニコーンが暴れぬよう手綱を構えたまま、クラーラが声を上げた。


 フィーネも呆気にとられるが、そんな暇はないと心を入れ替え、簡易な照準器を通した視線を魔獣に向け続ける。


 重力による僅かな誤差を修正して、自分が敵に命中させることのできる距離。

 それを模索している間にも、敵は高速で接近して来ている。


 バリスタは装填に時間がかかるものである。


 つまり、ミラアのように早めに撃って敵に命中させた上で手早く装填するのが理想なのだが、それ以上に初めの一発を外すことを避けなければならない。


 隊商の前後から空気を叩く機械音が幾つか聞こえ、数発の大矢が発射されるが、その多くは空を貫いて森の方に消えていく。

 数本は敵の身体を霞めるものの、致命傷には至らない。


 魔獣とは、魔を宿し操る獣の中で、人間を害するものの総称だ。

 その多くは異様とも言える生命力を持ち、致命傷で無い傷に怯まず、異常なほどに己の食欲に執着する。

 大自然を生き抜く逞しさなど、餌である人間にとっては恐ろしさでしかない。


 車両の数は約五十台。

 軽快に飛来する魔獣の数は十数頭。

 戦力差は如何なるものか、フィーネには判断がつかなかった。


 その一頭がこちらを目指している―――――フィーネはそう感じた。


 あくまでこちらを餌として見る眼。

 交わった瞬間、それが合わせてはいけない視線であったことに気付く。

 羽ばたくごとに重量感と違和感を覚える体躯は巨大な筋肉の塊であり、そのすべてが力強さと俊敏さに活きる存在なのだと実感させられる。

 鍛えているとはいえ女である自分の華奢な身体と、屈強な大男の身体になど、大した違いが無いのだということを痛感する。

 これが種の違いというものか。


 跳びかかられれば、圧死させられかねないであろう巨大な体躯。

 人の首を軽く斬り裂けるであろう、前足の鋭利な鈎爪。

 そして、この身を喰らう凶悪な口元。


 そんな残虐な要素を詰め込んでいるというのに、その姿には余裕と気品があり、黄金の毛並みに崇高な輝きを覚えるのは、その存在の強大さからか。

 まるでこの荒ぶる神に捧げられる生贄になったような気分になる。


 ―――――この場所が、人間が立ち入るべきでない魔境であったのだと思い知らされる。


 それらすべての想いを一瞬で胸に抱いても、そんな怪物を仕留めたミラアの姿を見ていたから、フィーネの心は驚くほどに冷静で、だから震える指で引き金を引くことに躊躇いはしなかった。


「……ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の責務)」


 人差し指に覚える固い感覚と同時に、フィーネの唇から零れた言葉は、いつも己の修練に伴った信念。


 すでに射程内に入っている敵の姿。

 引き金を引く指の感触と、空気を叩く機械の音。

 車体に固定された砲台ごと、手に響く重たい衝撃。


 フィーネの撃った2メートル近い長さの大矢は、照準器に合わせた敵の顔面に正確に突き刺さった。


 人間にとって驚異的な恐ろしさを持った魔獣は、人間が発明した最強の兵器によって、呆気ないほど簡単に大地へ落下する。


 間を置かず、すぐ横でミラアが二発目を発射する。


 力強く撃たれた大矢は、視界の中にいる一頭の眉間に見事に突き刺さり、やはりその個体を墜落させた。


 飛来する敵の勢いはバリスタによる撃墜でも殺しきれず、既にこと切れたであろう体躯は草原を転がるようにしてこちらへ迫ってくるが、数メートル離れた地点で速度を失ってすぐに沈黙していく。


 次々と飛び掛かって来る恐怖に対し、次々を迎え撃つ文明の機器、そして仲間たちの闘志。


 十数頭の魔獣たちは、こうして数十発の大矢を浴びて草原に眠ることになった。


「楽勝~♪」


 静寂を取り戻し安堵に包まれた青空の下で、ミラアは口笛を吹くような勢いで言った。


 その声に安心したのか、フィーネは糸が切れた人形のように戦車の甲板に座り込む。


 生き残ったという事実から、悦びと興奮が全身に満ち、安堵と共に訪れた解放遺憾が、叫びたい衝動に変わっている。

 傍から見れば大したものではないのかもしれない。

 それでも、フィーネの心は複雑かつ強烈な感慨を受けていた。


「フィーネ、ぃやったね~♪」


 正面からミラアの丸い胸が迫り、柔らかい腕が首に巻き付く。


 頬と耳までが触れ合うその感触に、既に容量超過したフィーネの意識は現実から離されてしまった。


 白く甘い世界で、銀髪の女ハンターから香る、爽やかで甘い匂いが心を満たしていく。


「あらあら」


 クラーラが目を丸くしているのを視界の隅に捉えながら、ミラアは意地の悪い優越感に浸っていたが、そんなことは目を回しているフィーネの知る由ではない。


「出るぞー!」


 よく響くフェイの大声を耳にするも、フィーネは反応することができないでいて、やがて動き出した戦車の振動と柔らかいミラアの身体を感じながら、しばし死地を乗り越えた感慨に浸っていた。


 やがて気分が落ち着いてくると、笑顔のミラアの腕と胸に抱かれて頭を撫でられて座り込んでいることが恥ずかしくなってくる。


「あの、ミラアさん・・・。ありがとうございます、もう大丈夫です」

「そおー」


 ミラアは上機嫌にフィーネから離れた。

 まるで至福の時間を堪能した後のような笑顔。


「フィーネ、やるもんだねぇ」


 座ったまま背筋を伸ばしたフィーネを、御者台からクラーラが褒め称えた。

 覇気と優しさ、それに労いと敬意が混ざった声。


「初めてだって言うから、あたしはフィーネにはあんまり期待してなかったんだけどねぇ」


 愛らしい猫のように笑う、健康的に焼けた金髪美女。

 ずっと隊商の上で生きて来たのであろう彼女に褒められて、フィーネは心底照れていた。


 それを横目で見ていたミラアが、鼻を鳴らして言う。


「その割には冷静に手綱握ってたじゃん」


「アンタがいたからだよ」


 御者の青い瞳にミラアが映る。


「ふうん」


 視線を外すミラアの姿を、クラーラの冷たい瞳は離さない。


「あたしたちの仕事は、護衛を信じなきゃいけない。ユニコーンは獰猛で勇敢なんだ。魔獣を前にしてあたしたちの手を離れたら、暴れて手が付けられなくなる」


 遠くなるクラーラの青い瞳は、記憶に眠るどんな光景を見ているのか。


「だからこそ同乗するのは信じられる護衛じゃなきゃいけない。正直、ランクの低い護衛が付くとハラハラするんだ。私の戦車を見捨てて、他の戦車に逃げるんじゃないかって」


 ハンターライセンスにおける〝Eランク〟は、ハッキリ言って不審者とさほど変わりはない。

 信用の無い護衛など、戦闘が行えるかどうか以前に、盗賊団の一味でない保証さえないのだ。


 フィーネの〝Dランク〟は駆け出しの証拠。

 王都からジャスニーまで護衛した隊商でよほど高評価を得たためにランクアップに至ったのだろうが、団栗の背比べだ。


「その点、アンタみたいなSランクハンターがいれば、本当に安心できる。アンタがどんな性格してても、アンタにとってはバリスタの近くほど安全な場所は無いはずだから」


「……」


 銀髪の女ハンターは何も言わない。

 白く透明な肌は一切の血の気を見せず、だが紫色の瞳には何らかの感情が浮かんでいる。

 その真意は定かではないが。


「フィーネもいい機会だね。こんなに心強い相棒、そういないよ!」


 クラーラに突然話を振られて、その笑顔にドキリとするフィーネ。


「あ、はい!私もそう思います!」


 少し慌てながらも答えると、クラーラは満足そうに前を向いた。


 揺れる車体の上で、ミラアは再び森の方を眺めていた。


 フィーネは、ミラアがさっき森を見て、マンティコアの襲撃を察知していたのを思い出す。


(なんで分かったんだろう?)


 街道と森の距離はさらに近付いていき、隊商はさらに緊張した空気に包まれていった。


 だがミラアは暇そうに森の木々を見つめるばかりで、先程のように甲板に立つことはおろか、その表情と姿勢に戦慄を帯びることさえなかった。


 濃くなる緑の香に混じって、響く鳥たちの鳴き声。


 緊張の解けぬフィーネの覚悟を他所に、街道と隊商は何事も無く森から離れていった。




 

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