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幾千夜の誓いを君へ  作者: 月詠命
二章 地平線の向こうに待つ空の色は
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第11話 孤独な夜に




 隊商宿の一階にある食堂。


 部屋の外側は窓の無い石壁になっているが、内側からは中廊下を超えて車両が並んだ広場が見える。


 外は既に暗く、食堂に設置された無数のランプの他、内廊下にも幾つもの灯が揺れている。


 ミラアとフィーネが食事を摂っていると、クラーラという名のメスネコがやってきて、ミラアの愛しいフィーネに寄り添ってきた。


「フィーネー」


 案ずることなかれ――既にカタナは心の範疇、柄を握らなくとも居合の構えは既に出来上がっている。


「一緒に飲もうよぉ」


 顔を真っ赤に赤らめて発情している様は、まさしくケダモノそのものだ。

 睨みを利かせてやるが、理性の無い動物には空気を読むという能力が無いらしい。


 男共は何をしているのか。

 その一本常備しているつまらぬ性剣をこの淫魔に振るわずしてどうするのだと思ったが、ユニコーンを駆るこの隊商は御者が女ばかりである。


 加えて、護衛のハンターは男八割女三割といったところ。


 戦車に乗っているのは御者一人と護衛二人だが、幌馬車には御者が一人で護衛がおらず、合わせた御者と護衛の人数は均等。

 つまりこの隊商は男よりも女の方が多いのである。


 商会の仲間たちに囲まれながら話に華を咲かせるフィーネとクラーラに殺気を放つも、楽しそうに活き活きとする少女の笑顔を見ていたら、メスネコの首を居合一閃で斬り飛ばしてその飛距離で最高新記録を目指すという正義感溢れる行動をするのを躊躇ってしまい、溜め息ひとつ。


 不本意ながら、クラーラたちと同じテーブルを囲むことになった。


 ザワークラウトとその上で蒸した豚肉のソーセージに、黒いライ麦パンを口にする。

 テーブルの真ん中に山積みになったラディッシュは、商会からの支給品である。ジャスニーで食べていた食事と比べてしまい、物足りなさが増大する。


 メニューの善し悪しはさておき、ミラアの勘は当たりで、食堂の料理には臭みがなかった。

 やはり、隊商宿で使われている水は清潔であるということだ。


 この街の領主ディルク・ディア・グレイス公爵も、まさか自分の娘がこの街の汚れた水を飲むようなことになるとは思わなかったに違いない。

 例え、騎士として戦いに生き、戦いに散ることが全てだと考えているような古風な男だとしても、無駄死にを意味する病に対する想いはまた別であると思われるからだ。


 名も知らぬ御者の女に手渡された木のカップを傾け、シードルを喉に流し込む。

 酔うという感覚を知らないミラアは、視線の先でクラーラと一緒に出来上がっているフィーネの姿を善しとは思えなかった。


 酒は感覚を鈍らせ、判断を狂わせ、やがてその身を亡ぼすからだ。


 長旅では日持ちしない真水よりも、エールなどの酒類が重宝される。

 それ故の飲酒という習慣。王侯貴族が酒に溺れて暮らしているのとは訳が違う。それでも――。


 愛しい少女が、酔いに己を歪めている姿など見るに堪えない。

 苛立ちに似た葛藤が、流れる時間に比例して高まりつつある。


 視線の先には、未だにフィーネに酒を注ぐクラーラと、煽る隊商の女たち。

 そんな奴らに、理性を忘れた笑顔で応えていくフィーネ。


 壁に設けられた暖炉の炎は、部屋全体の空気を暖め明るく輝いているが、ミラアの心に燃え上がる炎はもっと暗く、嫌に熱いものだった。


「ふん・・・・」


 小さく鼻を鳴らし、音も気配も無く席を立つ。


 女所帯である。

 女一人抜けたところで気にする者もいないと思ったが、意外にもクラーラの視線を感じ、僅かばかりの不快感を覚える。


 フィーネがメスバジリスクの毒牙に掛かるのは断固阻止するが、しばらくは大丈夫だろうと思う。

 今心配すべきは、自分があの女の首を斬り飛ばしてしまわないかだ。


 足音と気配を消す動作は、ずっと昔から身に付いている。


 虫唾が走るような談笑の絶えない部屋の空気を横切って、ミラアは木扉を開けた。


 中廊下に出ると、冷たい夜気が熱くなっていた耳と頬、そして首から全身までを優しく撫でた。

 この宿は比較的新しく大きいもので、意匠を凝らした造りが視界に広がる。


 大まかな造りはジャスニーとほぼ同じ。

 というか、基本的な構造は世界共通なのではないだろうか。


 白亜の建物が中央広場を囲むように造られており、外から見れば壁で出来た建物、内から見れば宮殿を思わせる、上空から見ると長方形になるのであろう建造物。


 二階建ての建物で、一階には食堂兼酒場や事務所、倉庫、商談室などがあり、二階には簡易ベッドが用意された客室が多数設けられていて、それらは各階に一本ずつ通る剥き出しの中廊下によって繋がっている。


 食堂は一階にあるため、中廊下からアーチを潜るとすぐに広場が広がっていた。

 敷き詰められた敷石の上には幌馬車と戦車が並び、純白のユニコーンたちが休んでいるのを、月明かりが照らしている。


 苛立つ心を落ち着けようと空を仰ぐと、すべてを肯定するような満天の星々が、四角い寒空の向こうに瞬いていた。

 広場を囲む建物の窓からは、暖かい灯が漏れている。


 広場の隅、月光が照らす石畳の上で、臍下丹田に意識を集める。


 二階の屋根の上まで十五メートル弱。

 この距離は、つまり外から見た宿の壁の高さに比例するのだが、ミラアにとっては問題にもならない。


 己の精神という存在によって、周囲に生じている世界の僅かな歪み。

 それを把握し、その歪み方を模索する。


 暗闇の中、手探りで作業を行う感覚にも似たそれは、手慣れた彼女にとっては鼻を鳴らすことに等しい。


 全身を浮遊感が包んだ瞬間、両足を沈めて地面を蹴る。

 確かな手応えと共に、全身が屋根より高くへと舞い上がった。


 無重力によって内臓が浮く感覚は跳躍によって打ち消され、勢い余った上空で魔術を解除、不意に身体を引く重力に乗って隊商宿の屋根の上へと着地する。


(飛び越えちゃいそうだった)


 感情の揺らぎは技にムラを生んでしまう。


 足元から視線を上げると、先程よりも遥かに広大な景色が広がっていた。


 城塞都市の外、月に照らされ白く光る世界。

 草原は広く、農村部の向こうに見える森や丘、さらに遠く聳える山など、大地の形状がその広大さを強調している。


 人工物は足元に見える隊商宿と農村部と、ここからなお見上げる城塞都市の市壁のみ。


 満天の星空は無限とも思える程に広く、遥か遠くを囲むドームのようだった。


 どこかから夜鳥の鳴き声が響く空の下、マントと長い銀髪が、遥か遠い大地から走り込む夜風に靡く。


 頬を掻くような自然さで腕を振るうと、両手には抜き放たれた二本のカタナが握られていた。


 風を斬る。


 空気を薙ぐ音は鋭く、一階の食堂から聞こえるざわめきや、二階の客室から漏れる夜の嬌声よりも強く、女ハンター自身の耳と心に響いて来る。


 夜風を斬る。


 想定する敵は無数。大小の形無き姿。

 その獲物はカタナより遥かに強大な剣や槍。

 時折飛んでくる矢を切り払いながら、二本のカタナで敵の長槍を払っては間合いを変え、剛剣を柔らかく受け流し、素早く斬り返し、鋭く突き刺す。


 制限された足場の上で行う、途切れることの無い円と、その合間に隠れた直線にて組み上げていく連環剣。

 その姿は舞うようであり、時折混ぜる自然な蹴りを含めた、完成された〝武〟を体現していた。


 夜風を斬り刻む。


 技で迷いを払うのではない。

 技を成す心構えによって迷いが晴れるのだ。


 心は行いによってその在り方を変える。

 享楽に生きる者がそれに溺れるように、強く生きる者がその想いを磨くように。


 武は精神修養を目的としない。

 武は精神修養を過程とするのだ。


 そうした心技の鍛錬が、結果として己の心を磨く儀式となる。

 誰も見ていない自分の生き様。

 自分でさえもよく知らない、自分という存在。

 孤独など今更気にもならない。

 孤高な生き方は己の宿命なのだ。


 脳裏に浮かぶフィーネの姿を振り払うこともなく、ただ明鏡止水に徹して夜の闇に剣を振るう。


 ――そんな自分を、月だけが見ている。


 と、不意に下の方から木扉が開く気配がした。


 気にもならないことなのに、その気配の感触に意識が引かれて――。


「ミラアさん?」


 風に乗って、愛しい声が耳の奥に甘く触れる。


 銀色の風が止んだ。


 予想外の展開に疑問を感じながらも、ミラアはカタナを鞘に納め、屋根から下を見下ろした。

 ほぼ真下、一階の食堂の前に緩い巻き毛の少女の姿を捕える。


 まだ少し若すぎる年齢に、真っ直ぐな背筋。

 凛々しい姿を目にして、足らなかった何かが満ち足りたような気分になる。


 ミラアは再び臍下丹田から意識を拡げ、全身を無重力が包み込むよう世界に干渉して、軽く跳躍した。


 気持ちゆっくりと落下していき、着地する直前にその少女と目が合う。


 フィーネは少しびっくりしたような顔をしたが、ミラアが着地してから顔を上げると、屈託の無い笑顔を見せて、


「何してたんですか?」


 と訊いてきた。


 騎士の少女は無垢な顔をしている。

 ミラアも分かっている、これは自分の勝手な嫉妬だ。


 八つ当たりに走りそうな激情が、愛しい少女を傷つけぬよう――言葉を選びながら、


「・・・剣の練習だよ」


「もう、急にどっか行っちゃうんですもん」


 フィーネは心底安心しているようだ。

 それは、つまり心底不安になっていたということなのだろうか。


 思わぬ出来事に頬が少し熱くなるが、中庭を照らす月明りとランプの温かい光によって、自分の白い肌は暖色を帯びているはずだ。フィーネの目には何も映らないだろう。


「一応剣士だからね」


 ミラアは取り繕って答える。


「やっぱりミラアさんほどの腕になっても、基礎基本が大切なんですね」


 貴族令嬢の雰囲気がいつもよりも緩い気がした。

 口調も抑揚が大きく、上機嫌ながらどこか投げやりな感じがする。すべては酔いのせいだろう。


 ミラアは自分が食堂を出た時の光景を思い出した。

 クラーラたちと笑顔で飲み交わすフィーネの笑顔。


 眉間を歪める雑念を押し殺しながら、少女に訊く。


「……向こうで飲んでなくていいの?」


 本音を言えば、飲んでいて欲しくはない。

 でも、本心を知りたい。それだけの想いから出た質問。


 フィーネはきょとんとした顔で、

「なんでですか?」


「だって・・・」


 上手い言葉が見つからないミラアの、その先の台詞を待つ少女。

 青い瞳は真っ直ぐにミラアを見つめている。


「だって・・・・、楽しそうだったじゃん」


「楽しかったですよ?」


 フィーネは首を傾げた。


 楽しかった時間を置いて、ただ自分を探しに来てくれたのだという事実。


 楽しんでいたメンバーと過ごす以上に、ミラアと過ごすことを優先する。

 それを当然であると、何の疑問があるのかと問い返すような青い瞳。


 四肢や首を包む夜気は冷たいのに、ミラアの身体が内から暖かくなっていく。


 瞬きをする一瞬、銀髪の女ハンターは物言えぬ記憶を辿った。

 記憶に封じた己の歴史。

 何度もあった迷い。


 その答えの気配が、今ここにあるのだと気付く。


 昔、愛というものが分からなかった。

 何かを庇うことが愛だというのなら、それは自己犠牲の伴うものであり、狂気と隣り合わせなものだと思っていた。


 そして、そんなものの存在を信じることができなかった。


 多くの者たちが見せてくれたそれらは、結局嘘偽りのもの、或いは時の流れに溶けて様変わりする脆弱なものだったから。


 確信が欲しいわけではなかった。

 ただ、曖昧でもいいから、その目安になるようなものが欲しかった。


 こういうものもあるんだと。

 愛の名を冠した感情そのものを、確かなかたちで見たかったのだ。


 残念なのは、稀に見ることのできたそれらすべてが、自分へ向けられたものではなかったこと。


 その事実がひどく不快で、何もかもを壊したくなっていた頃があった――。


「っ!」


 こめかみを抑えてふらつくミラアに、フィーネが駆け寄る。

「大丈夫ですか!?」


「…うん」

 吐き気がする。全身を巡る精神の回路に突然ガタが来たような感覚。

 自分が自分であることを、心の底が強く拒否している。


「たまになるんだ――すぐ良くなるから」


 冷や汗を夜風が撫でる。肩を支えるフィーネの温かい掌が、心の苦痛を癒してくれているような気がした。


「……もう大丈夫」


 そう言ってミラアが見せた笑顔に、フィーネは安心したような表情を浮かべた。


「フィーネ、これからどうする?食堂に戻って一緒に飲みたい?」


「いいんですか?剣の練習・・・」


「いいよ別に」


 ミラアは甘い風のような笑みを浮かべる。


「じゃあ、飲みましょう!」


 フィーネの精悍な心は酔いよりも強いようだ。

 それが表情からハッキリと読み取れた。


 愛が狂気と隣り合わせなものだと思ったのは、狂気と隣り合わせな愛しか知らないから。


 嘘偽りは人の世の潤滑油。

 その裏に悪意が無いのなら、それもまた人々の絆を深めるものなのだろう。


 時の流れに心が変わるのは、人が成長するからに他ならない。

 もし、自分にとって大切な〝愛のかたち〟が身近にあるのなら、それが変わってしまわぬよう大切にしていくしかないのだ。


 ミラアは、フィーネとクラーラの仲が良い事に対して、身を焼くような憤怒を覚えた。

 世界と己自身を呪いそうになる程のそれは、自らの嫉妬から生まれ、己の心に潜む傲慢によって成長する悪意の源なのかもしれない。


 フィーネはクラーラとの会話を楽しんでいたが、別にミラアのことを忘れたわけでもない。

 クラーラにも悪気はなかったのだろうとは思うし、それはミラアも分かっていた。


 人が幅広い付き合いでしか生きられぬというのなら、自分にはそれが合わないとは思う。


 でも、もう少し寄り添ってみるのもいいかもしれない。


 目の前で自分を見る活き活きとした少女は、慣れない隊商の中でもそうやって生きているのだから。




 

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