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ココロ物語の鍵と管理人  作者: 土の屋錦二
第一章 分岐点
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8.幸運の女神


「どうぞ」

「…………ありがと」


 僕をからかった例のふたりは大勢の前で醜態を晒し、羞恥に耐えかねてその場を退散した。

 僕は今、運動場の片隅に設置されている水飲み場で、鍵太郎が何もない空間から出してくれたタオルを水で濡らし、コーヒーに塗れたジーンズを拭っている。

「これ何なの?初めて会った時もこうやってコップ出したんでしょ?」

「私が”鍵”になることと引き換えにあの方が授けて下さった能力です」

「ふぅん」

 コーヒーがだいぶ薄まってきた。ジーンズは濡れてしまったが、これなら染みにならずに済みそうだ。

「――――何か怒ってる?」

「怒ってません」

 いや、絶対怒ってる。

 いつもは淡々とした雰囲気だが、今はなんだかピリピリしているのがなんとなく分かる。

「あっトキさんのこと?だ、大丈夫だよ、忘れてないから。ただ情報が少なくてどうしたらいいのか分からないんだよ」

「そのことではありません」

「やっぱり怒ってるんじゃん」

「…あなたには怒ってません。ただああ言う輩が好きになれないだけです」

 正義感強いんだな。もっとも、ああいった類の人間に虐めを受けていたから好きになれないのも当然か。

「トキさんの件でしたら、まず家を探されてはいかがでしょうか」

「ああ、そっか!トキさんの実家ならあの丘の近くだったよね。まだ家があればいいけど…あ、でもその前にちょっと寄り道していいかな」



 鍵太郎と僕が出会ったあの小さな公園からほど近い場所に原田さんは住んでいる。

 実は僕は彼女の家を知っている。誤解のないように言っておくが、決してストーカーではない。断じてない。高校の時クラスが同じだったので名簿を持っていたのだ。憧れてる女の子の住所を見てしまうのは誰だってあると思う。第一、住所を見ただけで実際に家まで行ったわけではない。


 午後の講義を終えた僕は、その足で原田さんの忘れ物を届けに家に行くことにした。そして家の前に到着して数分。呼び鈴を押す勇気がなくて門の前でウロウロしている。これでは間違いなく不審者だ。

 原田さんの家は僕と同じく一般的な二階建ての家だ。ただ違うのはいかにも日本家屋といった、築年数がだいぶ経っている感じの古い家だった。

「あれ?保戸塚くん?」

 突然声をかけられ、心臓が飛び出しそうになった。

 振り向くとそこには今朝会ったばかりの原田さんがいた。外出先から丁度帰宅したようだ。

「は、原田さん!」

「どうしたの?うちに何かご用?」

「あっあのっこれ………ッ」

 不審者と思われたか不安で余裕がなく、いっぱいいっぱいだ。僕はとりあえずポーチを差し出した。

「ああ!やだ、私ったら忘れて行っちゃったのね。わざわざ届けに来てくれたの?」

 コクコクと勢いよく首を縦に振る。

「ありがとう!あ、ねぇ良かったら寄っていってよ」

「へ?」

「どうぞどうぞ上がってー」

「いっいや、ちょっ……」

 原田さんは玄関の引き戸を開けると、グイグイと僕の背中を押して家の中に入ってしまった。

(ええええぇぇ!?そっそんないきなり室内でふたりっきりとか僕どうしたら)

「ただいまお婆ちゃん、お友達連れてきたよ~」

「…………こんにちは、お邪魔します…………」

 通されたのは居間。そりゃそうだ。て言うか、僕が原田さんの自宅を知ってること、疑問に思わないのだろうか。

 居間には七十代後半と思しきお婆さんがいて、一人掛けのソファに腰を掛けてテレビを見ていた。

「いらっしゃい、散らかってるけどゆっくりしていってね」

 白い髪を襟足あたりで纏め、スリムな老眼鏡を鼻の上に乗せている上品な感じのお婆さんだ。目元に多く刻まれた皺が長い年月を生きてきた、ある種の貫禄のようなものを醸し出している。

「お茶入れてくるから座ってて。お婆ちゃん、こちら高校の時のクラスメイトだった保戸塚くん」

「はっ初めまして、すみません突然…あっお、お構いなく……」

 通された居間には中央にローテーブルが有り、それをコの字型にソファで囲んである。両脇にあるソファは二つとも三人掛けだ。家族が多いのだろう。

 部屋の入り口で立っているのも気まずいので、言われたとおり、窓際の方の三人掛けソファに腰掛けた。よく見ると僕が腰掛けた左端とは反対側の右端がだいぶ傷んでいる。

 なんだろうとよく見ようとしたところで足元を小さな物体が走り抜けていった。

「うわ!――――あ?僕の靴…」

 その正体は言わずもがな、忠勝。今朝僕の靴を奪い去ろうとしたチワワだ。

 今もまた僕の靴を咥えている。

 どうでもいいが、もしかして”忠勝”って猛将と謳われた古の戦国武将のことだろうか。

 忠勝は靴を咥えたままソファの傷んでいる箇所を前足で一心不乱に掘り出した。

「あらまぁ、ごめんなさい、この子ったら靴が大好きでね。よくお庭に穴を掘って大切な物を埋めちゃうのよ。それを家の中でもやってしまうから困った子なの」

 お婆さんは僕の靴を取り返してくれて玄関へ戻そうと立ち上がり、ソファの後ろから杖を取り出した。


 ――――杖。一瞬、ドキリとした。


(いやいや、杖をついているご老人はさして珍しくもない。春子さんの訳ないじゃないか)

「探す手間が省けましたね」

 鍵太郎だ。いつものように普通に喋ってはいるが、やはり僕以外には聞こえていない。

 なんのことだと視線で問うた。

「分かりませんか?このご老人は春子さんです」

「――――ッッ!?!」

 危うく大声を出すところだった。目を剥いたまま鍵太郎を見る。そんな偶然あるはずがない。

「間違いありません。魂の波長が同じですから」

 そんなことも分かるのか。いや、そんなことよりもこんな奇跡ってあるのか。

 原田さんが春子さんの孫だったなんて。まるで原田さんが導いてくれたみたいだ。


 これはトキさんのことを聞き出すチャンスだ。でもどうやって?なんて言えばいいんだ。

 すると鍵太郎が棚の上に置いてある一枚の写真を指さした。白いシンプルなフォトフレームに飾られていて、写っているのは春子さんともうひとり、春子さんより年老いたお婆さんだった。

 目の前にいるお婆さんが春子さんだと知った今なら、この写真のお年寄りがトキさんだと分かる。

「あ、トキさんだ」

「え?姉をご存知なの?」

 しまった、テンパりすぎて声に出してしまった。

「あーうーえっとー、その…ちょっちょっとした知り合いと申しますか、あの」

「姉はお散歩が大好きで、よく知らない方とお喋りして帰ってくるの。あなたも捕まったクチね。――――実は半年前に亡くなってね、仲が良かったものだから毎日寂しくて…見かねた小鈴が写真を飾ってくれたのよ」

 クスクスと可笑しそうに笑う春子さんを見る限り、心配していた姉妹の仲違いはなかったようだ。

 仲の良い姉妹として人生を全うできたのに一体何が心残りなのか。

 僕は思い切って聞いてみた。

「あの、足は…大丈夫ですか」

「え?もしかしてこのことまでお話したの?嫌だわ恥ずかしい」

「えと、トキさん、とても心を痛めているようでした」

「―――でしょうね。実はこの足のことは事故以来、触れていなかったの。でも姉がずっと気に病んでいたのは知っていたわ。始めのうちは気にしないでと何度も言っていたの。でもそれを言うたびにとても辛そうな顔をするので私もそれ以上言えなくて…おはじきを追って勝手に飛び降りたのは私なのにね」

「そのおはじきは返してもらえたんですか?」

「まさか!あれは崖の下に落ちたままだと思うわ。おはじきなら母が新しいのを買ってくれたの」


 ――――――これだ。

 やはりあのおはじきは返すことができなかったんだ。


 僕は何故か身震いした。居てもたってもいられない気持ちになる。

 トキさんの成仏できない理由が分かった。どうしても春子さんにおはじきを返したいのだ。でも肝心のおはじきはどこにあるんだろう。生前、トキさんが暮らしていた家だろうか。

 その時、ふと視線を感じてソファを振り向くと、つぶらな目でこちらを見上げる忠勝。まだ靴を諦められないらしい。

『穴を掘って大切な物を埋めちゃうのよ』

 先ほどの春子さんの言葉がよぎった。

「――――僕、帰ります」

「あら、お茶は?」

「急用を思い出したので…原田さんによろしくお伝えください」

 挨拶もそこそこに春子さんから靴を受け取ると、原田家を後にした。

 向かった先はあの丘の頂上にある大きな一本杉。

 あの場所が悲しい事故現場だったので、トキさんの魂たる本が出現したのかと思ったが、もしかしたら――――。

「僕の読みが当たったら原田さんは幸運の女神だな」

 相変わらず走るのは遅いが、僕なりに精一杯丘へ向けて走った。



 一方、原田家では。

「あれ?保戸塚くんは?」

「なにか急用だとかで急いで帰ってしまったわよ。おまえによろしくだって」

「えぇ~?そんなぁ!んもうっ話したいことがあったのに!」

 お盆に三人分の紅茶とクッキーを乗せたまま、女神が可愛らしく唇を尖らせていたことなど知る由もない僕だった。



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