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ココロ物語の鍵と管理人  作者: 土の屋錦二
第一章 分岐点
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5.物語の始まり


 表紙を開くと中は薄暗く、青白い霧で満ちていた。高原などで濃霧が発生した時の感じだと表現すればいいだろうか。

 屋外なのか、それとも屋内なのか判別し難く、視界が悪くて一メートル先が見えない。

 静まり返っていて少し不気味だ。

「うぅ~怖い~何も出てこないだろうな」

「肝心なことを言い忘れていました」

「ギャーーーーーッッ!!!いつ元の姿に!!?」

 手にしていた鍵がいつの間にか消えていて、元の姿の鍵太郎が後ろに立っていた。

「赤文字以外の項目は絶対に見ないように。この本に綴られているのは一個人の心の物語です。最大限の配慮をお願い致します」

「わ、分かった…」


 足を踏み入れ、表紙を閉じるとガチャリと施錠される音がした。オートロックとはなかなかハイテクだ。恐らくここを出るときはまた鍵太郎を使って出るのだろう。

 一歩踏み出すと目の前に、今入ってきた本の表紙と同じ大きさの白い壁が現れた。

 壁には”武井トキの物語”と縦書きの楷書体で大きく書かれていて、これは恐らく書籍で言うところの扉というやつだろう。武井トキとはこの魂の名だと思われる。

 表紙と同じように”扉”を開いて先へ進むと、今度は霧はなく先程より明るい空間で、左右に長い白い壁が現れた。両端はどこまで続いているのか分からない。壁には文字が縦書きで羅列されている。


 これは目次だ。

 僕は右から左へと目次を読み上げた。


 1. トキ誕生・・・・・・・・・・・・・十五頁

 2. 妹ができた・・・・・・・・・・・・二十六頁

 3. 空襲警報怖い・・・・・・・・・・・四十四頁

 4. 終戦・・・・・・・・・・・・・・・五十八頁

 5. 平和は小さな争いの始まり・・・・・六十七頁

 ・

 ・

 ・


 目次から察するに、トキさんは戦時中を生き抜いてきたご老人のようだ。

 項目がかなり多い。しばらく読み続けていると探していた赤文字を見つけた。


 14. ごめんね春子・・・・・・・・・・・二〇九頁


 タイトルからして後悔しているのが分かる。なんとなく気の毒になり、そっと赤文字を撫でた。

「あ?」

 壁だと思っていたので硬質的な感触を想像していたのだが、予想に反して触った瞬間そこには何もなく、支えを失い前につんのめって盛大に転がった。

「―――イッタタッ…あれ?」

 壁以外何もない空間だったのに、僕を受け止めた地面には草が生えている。周りを見ると沢山の杉の木に囲まれていて、木の隙間から見えた景色には眼下に広大な稲田が広がっていた。どうやらここは小高い丘の頂上のようだ。


「トキねぇのばか!!」

「!?」

 すぐそばで少女の怒鳴り声が聞こえた。驚いて視線をやると少し先に開けた場所があり、一際大きな一本杉があった。――――どこかで見たような。

(あっ!本が浮いていた場所の一本杉!)

 ここは本を見つけた場所と同じ所のようだ。ただ何かが違う。この場所へ着いた時には昼間の青い空が広がっていたはずだ。しかしまだ数分しか経っていないのに今は橙色に染まっている。

 一本杉の下にはモンペを履いた、おかっぱ頭の少女が二人いた。このご時世にモンペとは随分古風な。

 それに、丘から見下ろした風景は街が広がっていたはずだ。先程見たのはどこまでも広がる田んぼだった。

 重そうに頭を垂れた黄金色の稲穂の間を、一陣の風が吹き抜けて稲田を旗のように揺らしている。

 季節は秋なのだろう。じきに日が暮れるこの時間帯は少し肌寒い。

「ここはもう物語の中です」

「え?」

 鍵太郎が淡々と説明してくれた。―――例の手帳を読みながら。

「トキさんが生前、実際に体験したことが映像化されているのです。ここでは紡さんは事の成り行きを見ていて下さい。その後、元の世界で活躍して頂きます」

「か、活躍……」

 気が重い…と言うか、気のせいかここに来てから体が重いような気がする。

「つまりここは僕がいた時代ではないってこと?」

「はい」

 俄かには信じがたく、半信半疑のまま僕は目の前の展開を見ることにした。



「トキねぇなんか大きらいッ!いじわるっ!!」

 ”トキねぇ”………トキ姉?トキさんご本人と妹さんだろうか。

 一人は五、六歳の、もう一人は十歳前後の少女だった。後者がトキさんだとすると、ここは戦後直後の時代なのかもしれない。

「私だって春子なんか嫌いだもん、妹だからっていっつも甘やかされてズルい!私だってお洋服欲しかったのに!」

 トキさんはそう言うと、手に持っていた小さな赤い巾着袋を放り投げた。

 一本杉の向こう側は高さ七、八メートルくらいの急斜面になっている。巾着袋は無常にも崖下に落下した。

「あーっあたしのおはじき!!」

 巾着袋の中には春子さんのおはじきが入っていたようだ。彼女は崖淵に走り寄ると下を覗き込んで愕然とした。まだ幼い顔が見る見る歪む。

 トキさんは溜飲が下がったのか、してやったりといった顔で振り向いて妹を見た。が、次の瞬間驚愕に目を見開いた。

「春子!?」

 あろう事か、春子さんは崖を降り始めてしまった。なんとかおはじきを取り戻そうと必死なのだ。

「だめだっ危ない!!」

 僕は春子さんを止めようと走り出した。しかしそれは鍵太郎によって阻まれる。

「無駄です。本の中では我々は傍観者です。互いに干渉はできません――――当然彼女たちには我々の姿を見ることはできないし、声も聞こえないのです」

「そんな………!!」

 鍵太郎に肩を掴まれたまま、僕はその場に立ち尽くした。なにか方法はないのだろうか。固まっているとさらに最悪な展開へと物語は進む。


 幼女の悲鳴。

 草や枝を巻き込みながら引きずるような音。

 そして最後にドスンと嫌な音が聞こえた。


「春子ぉぉっっ!!!」


 狂ったようにトキさんが叫んだ。

 不本意だったのだろう。こんなことになるとは想像もしていなかったのだろう。自分が起こしてしまった事の重大さに顔面蒼白になっていた。

 トキさんは幼い妹を救おうと崖下へ降りようとした。

「降りちゃダメだ!大人を呼ばないとッ………」

 しかし崖下を覗いたところでトキさんの動きが止まった。あまりの高さに己の力では助けられないと判断したのだろう。

「春子!春ちゃん!!お父さん呼んでくるから待っててっ!!」

 僕の心配をよそにトキさんは正しい判断をした。履いていた下駄を脱ぎ捨て、全速力で丘を駆け下りたのだ。

 僕は春子さんが心配で崖下へ向かおうとした。しかし目の前の風景が強制的に切り替わって、丘の頂上から眼下に見えていた稲田が視界いっぱいに飛び込んできた。急激な展開に目が回りそうだ。

 考えてみればここはトキさんが体験した世界だ。彼女がいないところの出来事は見ることができない。


 トキさんは収穫前の稲を踏みつけるのも構わず、田んぼの中央あたりで稲刈りをしている父親らしき人物のもとへ走っていった。

「お父さんッ!!!春子が…春子が崖から落ちたッ!!!」

「なに!?またあの丘に行ったのか!危ないからあれほど行くなと言ったのにッ!!」

 父親は怒鳴りつけると持っていた鎌を放り出し、近くの民家に飛び込んだ。程なくして縄を抱えた父親と、その民家の住人だろうか、初老の男性も一緒に慌てて飛び出してきた。

 僕も三人の後を追ったので、今度は強制的な場面転換もなく丘の頂上へとたどり着くことができた。


 引き上げられた春子さんは頭から血を流し、意識を失っていた。よく見ると右足首がありえない方向に曲がっている。かなりの重症だ。

 トキさんは言葉を失い、立ち尽くしていた。

 僕は紙のように真っ白な顔色をした人間を、この時生まれて初めて目の当たりにした。



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