4.命名
寝不足のせいで軽い目眩がする。これくらいなら一、二時間眠れば回復するだろう。
大学に行く時間まで少し余裕があるので、洗顔を終えた僕はふらつく頭を押さえ自室へ戻った。
「おはようございます」
「わぁッ!?」
ドアを開けると黒い壁…もとい、頭からつま先まで全身真っ黒の鍵が立っていた。
「やっぱり夢じゃなかったのか……」
「早速現場へ向かいたいのですが」
意外とマイペースだ。
「そっそのことなんだけど今日は体調が悪くて外出は無理っぽいんだよね~…」
嘘は言っていない。視界がグルグルしていて起きてるのが辛いのだ。具合が悪い時に出掛けると高確率で発作を起こす。正直、大学にも行きたくないくらいだ。今日は父も会社に行ったので家にいても怯える必要はない。
すると鍵はおもむろに白い手袋を外し、僕の額に手を当てた。………とっても冷たい。
「大丈夫、熱はありません」
「熱感じるのかっ?幽霊のくせに!いやホント、マジでお願い。一時間でいいから眠らせてっ」
「では一時間後にお迎えに参ります」
鍵はそう言うと消えてしまった。とにかくこの目眩をどうにかしなくてはならない。僕は盛大な溜め息を吐き、ベッドに入って目を閉じた。
一時間後。
「具合はいかがですか?」
――――治ってしまった。
きっかり一時間後に目が覚めた僕の枕元に鍵が立っている。今度は消えてくれそうもない。
「も~~~っしょうがないなぁ!見るだけだよ?僕何もできないからね!?」
これは一度付き合ってやらないと開放してくれそうにないので、渋々出かける支度を始めた。そこで鍵の名前を聞いていなかったことに今更ながら気付く。
「そう言えば名前なんていうの?」
「ありません」
「いや、あるでしょう。十八年生きてたんだから」
「生前の名を使うことはあの方に禁じられております」
「あの方?」
「それは追々……」
「ふぅん?なんだか分かんないけど名前がなきゃ不便じゃん。うーん…」
どうせ短い付き合いだ、とりあえず適当な名前を考えた。代表的な男の名前と言ったら太郎か。
「鍵太郎」
「え…それが私の新しい名前…ですか?」
「あ、やっぱ適当すぎるか…えーっと」
目を見開いてショックを受けているようだったので、僕は慌てて他の候補を考えようとした。人の名前なのにさすがに安易だったか。
「―――あ…あざーっス!!嬉しいっス!!!」
突然、鍵が腰を九十度に曲げてシルクハットを振り落とさんばかりに頭を下げた。
「うわっビックリした!!」
「っ!!!…んんっ、ありがとうございます、嬉しいです」
いや言い直されても!今、滅茶苦茶体育会系なノリだったよね!?
そう言えば出会いからして、見た目とは裏腹に所作がガサツだったような。水飲ませてくれたときもパーカーに零されたり、荷物のように引きずられたし。体育会系な人に設定としてありがちなタイプだ。もしかしてこっちが本性なのか?
て言うか自分で言うのもなんだが、こんな名前を気に入るとは………。
「…………」
「…………」
訝しげな視線を向けるとそっぽを向かれた。どうも触れて欲しくないらしい。
「……まぁいいや、名前気に入ってくれたんなら。それじゃあ鍵太郎、その現場とやらに連れてって」
「お任せ下さい」
今度は右手を胸に当て、軽く腰を折って優雅に会釈した。
秋晴れの、どこまでも青い空が広がっている。
山というほど高くはないが、丘にしては少々大きめの小高い丘の頂上だ。
ほとんど杉の木で覆われていて、視線を低くすると時期を過ぎた名も知らぬ草花が地に根を張っている。葉の先を枯らしながらそれでもなお、最後の力を振り絞って力強く天に向かって伸びていた。都内なのにこれほどの自然豊かな風景は、郊外ならではで僕は結構気に入っている。
開けたところに一際大きな一本杉があり、そこからほんの少し街を見下ろすことができた。
高所特有のさわやかな風が吹き抜けているが、日頃から運動不足の僕にはその風を感じる余裕もない。
「ハァッハァッハァッ」
「大丈夫ですか」
「しゅ、瞬間移動は………っ?」
「紡さんは生身なので出来ません」
「デスヨネ…」
まさかこんな山―――僕にとっては―――に登らされるとは思わなかった。
呼吸を整えてから辺りを見回してみたが、草木が広がるばかりだ。当然、人もいない。
「現場ってここでしょ?何もないじゃん」
「よく見て下さい、あの大きな一本杉のそばです」
言われて、少し離れたその場所を凝視してみた。モヤのようなものが浮かび上がってくる。
そのモヤは徐々に形を成し、完全に姿を現した。
「うえぇっなんか浮いてる!と、扉…?じゃないな。日記帳?」
そこには扉サイズの巨大な日記帳が浮いていた。ちょっと高級なハードカバーの鍵付きの日記帳だ。
「日記帳ではありません。これは本を象った、亡くなられた方の魂です」
「魂!?」
「この本には故人の人生が綴られています。あなたにはこの本の中に入って、まず始めに目次を見て頂きます。項目の中に成仏できない原因である心残りや後悔が赤文字となって記されているので、そのページへ飛んで物語を”見て”ください。その理由を見届けたらこちらの世界へ戻ってきて原因を解決するのです」
―――なるほど、それで”故人の本の管理人”か。
「ところで…今、内ポケットにしまった手帳は何?」
「初心者なもので」
「マニュアルか!?大丈夫なのか鍵太郎!!」
「大丈夫です。この本の表紙は灰色なので、念の重さでは一番軽いものです」
「ランクがあるのか…でも中に入れって言ったって鍵が―――うわっ」
突然目の前にいた鍵太郎が、二十センチ程度のずっしりとした大きめの鍵に姿を変えた。
手に取って見てみると銀色に光り輝く綺麗な鍵だった。
持ち手の部分は薔薇がモチーフとなっており、刺まで再現された細かい細工が施されている。所々にダイヤモンドが散りばめられていてとても豪華だ。売ったらいくらくらいするだろうか…。
鍵太郎の装いといい、やたら中世ヨーロッパ感が半端ない。
「鍵、鍵言ってたけど本当に物理的に鍵だったんだなぁ」
もうここまで来たらやるしかない。
僕は意を決して恐る恐る鍵を開けた。




