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ココロ物語の鍵と管理人  作者: 土の屋錦二
第三章 白金の管理人
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14.動き始めた時計の針


 管理人をやめてから半月。東京の郊外にある我が町は、都心よりも気温が低いので、一週間遅れで漸く桜が散り始めている。

 この春、僕は何とか三年に進級することができた。


「じゃあ、来週の月曜から頼むね」

「は、はい!よろしくお願いしますっ」

 父が他界して一家の大黒柱を失った保戸塚家ではあるが、家のローンは父が頑張って完済してくれた事と、保険金に加えて母もまだ元気に働いているお陰で、金銭的には不自由していない。

 しかしそれに甘えているのはどうかと思い、僕は意を決してバイトを始めることにした。

 商店街にある小さな本屋で、面接の際、過呼吸の事を正直に話した。採用してもらえないと思ったが、意外にも理解のある店長さんで、もし発作が起きたらいつでも言いなさいと言ってくれた。


「あ、保戸塚くんじゃん」

「優麻ちゃん、麻美ちゃん、今日はお買い物?」

 片桐姉妹だ。高校三年生になったお姉さんの優麻ちゃんと、銅の鍵である妹の麻美ちゃんが傍らにフワフワと浮いている。

 そうなのだ。実は鍵太郎と別れた後、閻王の気持ちは電光石火のごとく、ころりと変わった。

 きっかけとなったのは、神様の一言だった。


『閻せんぱーい、ホントにやめちゃうんスかぁ?』

『これは私の失態です。他になにか手がないか考えて…』

『でも~、やめちゃったらそれこそが真の失敗だと思うんスよ、ボク』

『………』

『一度失敗したら、じゃあ次って…なんかカッコ悪いっス~』

『………っ』


 あの時は本当に怖かった。閻王の背後に怒りの炎が見えたんだ。明確に!

 守ってくれる鍵太郎はいないし、いつ彼女の兵器とも言える怒号が飛んでくるかと、生きた心地がしなかった。


「もうすぐ新学期だからね、文房具新しいのにしようと思ってさ…ねぇねぇ、それより鍵太郎さんにはもう会えたの?」

 鍵太郎が生き返ったことを知って、優麻ちゃんはいよいよ本気で彼を射止めようとしているようだ。先日偶然街で出会った時も同じ質問をされた。

「まだだよ」

「もー!相変わらず鈍臭いわね!会えたら真っ先に連絡頂戴よっ?そのためにこのあたしの携帯ナンバー教えたんだから、ありがたく思いなさいよね」

「はいはい…」


 僕は寄る所があるからと、商店街で片桐姉妹と別れた。バイバイ、と天使の微笑みを見せてくれた麻美ちゃんは、相変わらず素直で可愛いなぁ。つくづく思うが、あの二人は本当に姉妹なんだろうか。

「――っ!?」

 歩き出そうとしたら左足が何かに引っかかった。何事かと足元を見ると、

「忠勝…」

 チワワの忠勝が僕の靴を咬んでいる。と、言うことは――。

「保戸塚くーんっ!ごめんねー!こらっ忠勝!離しなさい!」

 女神だ。今度は女神が降臨した。最近の原田さんは益々綺麗になったような気がする。女の子は恋をすると綺麗になるって言うけど、もしかして原田さんも好きな人がいるんだろうか。

 高嶺の花だとは分かっているが、だとしたらちょっと胸が痛い…。

「原田さん!こんにちは。今日も忠勝は元気だね」

 僕の靴に食いついて離さない忠勝を、彼女はリードを引っ張って必死に引き剥がそうとしている。

「ほ、本当にごめんねっまた靴に歯型が…。あの、今の女の子って確か…」

「ああ、優麻ちゃん?鞠ちゃんのクラスメイトだよ」

「そうよね、見覚えがあると思ったから。い、一緒に出掛けるところじゃなかったの?」

「違う違う。偶然会ったから少し話してただけだよ」

「そ、そうなんだ…あ!そう言えばこの間お花見行けなくてごめんね、折角誘ってくれたのに…」

「気にしないで。仕事が入っちゃったんだから仕方ないよ。だったら今度は隣町にあるお寺のツツジ見に行こうか?丘一面に咲いてて絶景なんだって」

「行くっ!うんっ行くーっ!!」

 おおお、なんだか凄い食いつきっぷりだ。花屋に勤めてるだけあって、やっぱり花が好きなんだな。友達として誘うなら大丈夫…だよね。

「じゃあ、今度連絡するね」

「うんっ絶対行くから!有給もぎ取ってでも行くからっ!」

 そこまで必死にならなくても…。これはちょっと気合入れてリサーチしなきゃな。帰ったら見頃をチェックしておこう。

 約束を取り付けると、原田さんは去っていった。…スキップをしながら。

 原田さんってあんなキャラだったかな、と思ったが時折暴走していたことを思い出した。

 猫の着ぐるみの写真は削除してくれただろうか…。

「さて、行くかな」


 バイトの面接が午前中だったので、帰りに少し体を動かそうかとバスケットボールを持ってきたのだ。

 鍵太郎がいなくなってから例の公園へ出かけるのは、実は今日が初めてだ。足の怪我が思っていたより重症で、五針も縫われてしまった。暫く運動は避けるようにと医者に言われていたのだ。

「うわぁ、凄い桜吹雪!花びらのシャワーだ!」

 公園に着くと、ベンチ近くの散り始めの桜が風に揺れて、無数の花びらが一斉に宙を舞った。


「あ」


 ベンチに腰を下ろし、リュックからボールを取り出そうとしたが、手を止めた。

 公園にある唯一のバスケットゴールは、先客が利用していたからだ。使われてしまっているのなら仕方がない。天気もいいことだし予定を変更して、この見事な花びらの乱舞を暫く堪能することにした。

 天を仰いで目を閉じると、舞い散る花びらが時折顔に当たるのが分かる。視界を遮ると聴覚が敏感になり、周りの色々な音がよく聞こえた。

「おいっどこにパスしてんだよ、イージーミスだぞ」

「わりーわりー」

 バスケで遊んでいた人たちの会話が聞こえると、足に何かが当たった。恐らく転がってきたボールだろう。

 僕は目を開けて足元を見た。なかなかに使い込まれたボールだ。


「すいません」


 ボールを取りに来た人だ。彼が発した声を、僕はよく知っている。姿を見た時に背格好が同じだったのでそうじゃないかと思ったが、間違いないようだ。忘れるはずもない、この声は――。

「ボールを……ふっ、頭に花びらが積もってるぞ、坊主」

 …坊主ときたか。大方、中学生だと思っているのだろう。記憶を失っているのだからこんなもんだよな。

 目の前の長身の青年は、クスクスと可笑しそうに僕の髪に絡まった花びらを払い落としてくれた。

 僕は視線を上げて青年の顔を見た。

 少し日焼けした健康的な肌。見覚えのある艶やかな黒髪。学生らしく前髪を下ろしている様は、オールバックにしていた時よりも若く見える。そして目の色は当然、黒。


 ――ああ、泣きそうだ。鍵太郎が生きている…!


「……あ、れ…?」

 僕と視線が合うと、彼は何かに気づいたように手を止めた。そして確信に変わったのか、僅かに目を見開いた。

「―――まさか、あの…まさかあなたは、保戸塚…紡さん、ではありませんか…?」

「…そうだよ」

「!!!…やっぱり!あ、あのっ俺ここで七年半前くらいにあなたに助けられた事があるんですけど、覚えてませんか!?」

「うん、覚えてる」

「マジすかっ…いっいや、本当ですか!?俺ずっとお礼が言いたくて、たまにこの公園に来てたんですけど、なかなかあなたに会えなくて…」

 ベンチに腰掛けている僕の視線に合わせようと、彼は地面に膝をつき、頬を紅潮させて少し興奮気味に言った。彼の中で僕が憧れのヒーローだと言うことは健在のようだ。

「あの時は本当にありがとうございました!あなたのお陰で人生を変えることができたんです」

「そっか、役に立てたのなら良かったよ」

「俺、一条総士いちじょうそうしって言います」

「…一条総士…それが、君の名前…?」

「はい」

「総士くん、か。そうか、総士って言うん…だ……っ……っ」

「え…、つ、紡…さん?なんで泣いて…」

 それは”生前”の名だから。つまり彼は今、この時をその名で生きているという事だ。鍵太郎の本当の名前を聞いて、堪えていた涙が溢れてしまった。

「はははっごめんごめん、あまりにも立派に成長してたんで感動しちゃって…バスケ、やってるの?」

 転がってきたボールを手渡してやった。分かりきっていることだが、彼にしてみれば七年半振りの再開なので、一応聞いておく。

「はい、この春大学に推薦入学しました」

「凄い!活躍が楽しみだね、僕も応援してるよ」

「…!、ありがとうございます!」


 つい話し込んでしまったら、彼の友人がボールを早くよこせと催促してきた。

「友達呼んでるよ、僕ここで見てていいかな」

「もちろんです」

「バスケ、――頑張れよ」

「はい!」


 鍵太郎の時間は再び動き始めた。

 鍵として僕と共にいた時の記憶を、失ってしまった事はとても辛いけれど、彼がこれから長い年月をかけて色々な経験を積み、人として成長していけるのなら、その方がずっといい。


(僕も負けてられないしね)


 過呼吸の発作もほとんど出なくなった。

 外出恐怖症も克服できた。

 全て自分のせいにするのもやめた。

 人を頼ることを覚えた。


 自分で言うのもなんだけど、この半年で結構成長したじゃないか。

 それも傍で支えてくれた鍵太郎のお陰だ。


 彼こそが、僕のヒーローだ。




本編はこれにて終了。最後までお付き合い下さって、ありがとうございました!

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