13.黄泉がえり
――願い事…?
一体どういうことだろう。
「願い事って、確かノルマを達成したら叶えてくれるっていう…あれですか?」
「そうだ」
「え、でも全然ノルマ達成できてませんよ?」
「魂を本型にするのをやめることにした」
………は?え?
「ええええぇぇっっ!!?」
予想外過ぎて自分でも驚く程、ここ一番の大声が出た。鍵太郎を見ると、彼も目を見開いて言葉を失っていたので、恐らく聞き違いではないようだ。
「なっなんでっ?ですかっ!?」
「失敗だったからさ」
閻王は玉座にどかりと座り直し、頬杖をついてそっぽを向いた。そしてどこか不貞腐れたように、大きな溜め息を吐いて口を開いた。
「いいアイデアだと思ったんだがなぁ…。まさか蟲ごときが人の魂を喰らって知恵をつけるとは想像もしてなかったんだよ。今回の事で痛感した。これ以上は続けられないってね」
「……失敗…」
――驚いた。圧倒的な力を持つ、こんな凄い人でも失敗するんだ。
「ああぁっ!これでまた悪霊が増える!仕事も増えるっっ!!」
地団駄を踏む勢いで髪を掻き毟りながら悔しがっている。美女が台無しだ…。
「…ま、そんな訳で貴様らの役目はこれで終わりという事だ」
「はぁ…、いやいや!でも…」
本当にこれでいいのだろうか。やめてしまう以外に何か手はないのか。
「貴様が思い悩む必要はない。これはアタシが始めたことだ。見過ごせない問題が発覚したから一度仕切り直すんだよ」
「仕切り直し…。じ、じゃあ、またやる可能性もあるんですか?」
「現段階では何とも言えんが…無きにしも非ず、だ。さぁ、願い事を言え」
「………」
願い事。実はどうしても一つ、叶えて欲しい願いがある。できればなるべく早いうちに。
でもそれは、もし閻王の気持ちが変わって本の浄化を再開した時、僕は管理人の役割を果たせなくなってしまう。
しかしそれでも―――。
「どんな願い事でも、叶えてもらえるんですか?」
「無論」
「……人を生き返らせる事もできますか?」
「応」
「それなら、鍵太郎を生き返らせてください」
ずっと思っていた。鍵太郎はもっと生きるべき人間だ。鍵と管理人としてコンビを組んで、困難に立ち向かってきたからこそ分かる。
彼の影響力は大きい。きっと色んな形で社会に貢献できる人だ。
「――な、何言ってるんですかっ?それなら俊樹さんを…あなたの父親を優先させるべきでしょう!?」
うん、そう言うと思った。でも、
「お前はまだ若いだろ。父さんだってきっと同じ事をするよ。何より…僕は鍵太郎が現世で活躍するところを見たいんだ」
「紡さん…」
「紡、一つだけ言っておく。白金を生き返らせる事はできるが、鍵としての記憶は失う事になる。それでもいいんだな」
鍵としての記憶を――。それはちょっと…いや、かなり寂しいかな。でも、それは僕が我慢すればいいだけの事だ。鍵の記憶を失ったとしても、彼は僕のことを知っているんだから。
「…っ、構いません」
「………」
鍵太郎はまだ戸惑っているようだ。無理もない。身内を差し置いて己が生き返るなんて、彼の性格からすれば、到底納得のいくものではないだろうから。
「生きてるうちにお礼言いたかったんだろ?僕に」
「!!」
「待ってるよ」
「……分かりました。そういう事なら、現世で俊樹さんの分まで紡さんの力になります」
「ははっ頼もしいな!大船に乗った気分だよ」
「貴様の願い事は大方予想してたからね、予めこれを用意しておいた」
話が纏まったところで、立ち上がった閻王が胸元に忍ばせていた小さな鈴を取り出した。赤い紐で繋がれた鈴は錆び付いていて、とても古めかしい物だった。
「………っ」
紐を摘んで鈴を鳴らそうとした閻王の眉間に皺が寄った。何故か鈴を鳴らすことを躊躇しているようだ。
「?、閻王?」
「あ、ああ。今、やる…」
彼女は大きな溜め息を吐くと、とても嫌そうに鈴をひと振りした。
錆び付いた見た目とは裏腹に、どこまでも澄んだ透明度の高い、美しい音色が響き渡る。
細く、長く、鈴の音に支配されたこの空間が、とても神聖な空気に包まれた。
「閻せんぱ~いっ!やっと呼んでくれたんスね!嬉しいっス~!!」
「!?」
予想外の事が起きた。と言うか、僕はてっきりこの鈴の音で、鍵太郎が生き返るのかと勝手に思い込んでいたので、この場に第三者が現れるとは想像もしていなかったのだ。
しかも突然現れたこの男、日本の学生服…所謂学ランを身に纏っている。若く見えるが年齢不詳だ。
「阿弥陀如来殿…。天と地、統べる場は違えど我らは表裏一体。私を上に見るのはいい加減やめて頂きたいと、何度も申し上げているでしょう」
阿弥陀如来…!?なんか聞いたことあるぞ。それってもしかして――。
「こちらは天界…つまり極楽浄土を統べるお方だ。ざっくり言うと神様だな」
ふおおっ!神様キターーーーっっ!!!
あれ、でもなんだろう、この有り難味のなさは。
「閻先輩ノリ悪いっスよー」
ああこれだ。この体育会系的な喋り方。そして学ランのボタンを全て外し、中のボーダーTシャツを覗かせた、昭和臭漂うスタイル。元からの糸目を更に細めただらしのない笑顔。
どこからどう見ても神の威厳が微塵も感じられない。
「え、閻王…これは一体…?」
僕が説明を求めると、彼女はくるりと阿弥陀如来に背を向け、小声で言った。
「日本のテレビドラマだか漫画だかにハマってしまったんだよ…。この”先輩後輩ごっこ”にかれこれ五十年ほど付き合わされている」
「ごっ五十年っ!?断ればいいじゃないですか!」
「借りがあり過ぎて強く言えんのだ。今回の貴様の様に、管理人が鍵を生き返らせてくれと願う者は珍しくない。魂を蘇らせるには彼の力が必要なんだよ…それに」
閻王はダンボール箱に貼られていた、護符を指差してうんざりしたように言った。
「宝物庫にある便利グッズは全て彼が作ったものだ」
「えっ」
「やれ新作だと頼んでもいないのに送ってくる。正直、迷惑以外の何ものでもないんだが、実際役立つものもあるから邪険にすることもできん」
そういう事だったのか。閻王にも苦手な人がいたんだ。鍵太郎の言葉遣いを異様に毛嫌いしていた理由がこれか。
そう言えば先程から鍵太郎がいやに静かだ。隣を見上げると、白金の目に剣呑な光を乗せ、神様をロックオンしている。加えて形の良い額には、くっきりと青筋が浮いていた。血は通ってないのに!
彼の今の気持ちを代弁すると、
”お前のせいかぁぁーーーーっっ!!!”
…だろう。
「なにコソコソと内緒話してるんスか~?なんかそこの大きい彼がボクの事睨んでて怖いんスけどぉ」
「……っっ!!!」
「落ち着けーっ!ストップ!ストップー!」
神様に殴りかかろうとした鍵太郎の左腕に、僕は全体重をかけてしがみついた。
「機嫌損ねたら生き返らせてもらえなくなっちゃうかもしれないだろっ!」
「ぐ…っうぅっ」
鍵太郎にしてみれば明らかにとばっちりだ。しかし気持ちは分かるがここは堪えてもらわないと。
「で?ボクを呼んだってことは、今回はこの大きい彼を生き返らせればいいんスか?」
「さすが阿弥陀如来殿、話が早い。毎度申し訳ないが頼めるだろうか」
「ホントはズルっこだけど、閻先輩の頼みっスからね!」
「うっ…ほ、本当に申し訳ない…」
(さすが神様だなぁ。あの閻王がタジタジだ)
「紡さん…」
「…もっと嬉しそうな顔して欲しいなぁ。思う存分バスケができるんだよ?」
「でも、この半年の記憶は失ってしまいます…共に修羅場をくぐり抜けた時間は、私にとって掛け替えのないものです。それを思うと――」
「そうだね、僕も鍵太郎には本当に感謝してるよ。管理人に指名してくれなかったら、きっと昔のままの僕で、今も人の顔色を伺って引き篭ってたと思うよ。それを変えてくれたのは間違いなくお前だよ、鍵太郎…本当にありがとう」
「そろそろいいかい?始めるよ」
「お願いします」
僕はそう言って、未だ戸惑いを隠せない相棒の背中を、文字通り押してやった。
神様は鍵太郎の真正面に立つと、その場でふわりと浮いて、己よりも背の高い鍵太郎の視線と目を合わせた。
糸目だった目が僅かに開き、紫紺の目が現れる。その瞬間、身に纏っていた空気がガラリと変わった。
それまでの飄々としていた態度が、一瞬で重厚且つ神々しいものに変わったのだ。
「――――っっ」
そのただならぬオーラに、全身に鳥肌が立った。やはりこの人は正真正銘の”神”だ。
ゲームのキャラクターのように、派手な呪文やアクションはなく、ただ鍵太郎の目を覗き込んでいる。
その様は目の奥よりもさらに深い所を見ているようだ。まるで途切れてしまった命の切り口を探しているように見えた。
「還るが良い、清き魂よ」
神様が静かに言うと、鍵太郎の体が透け始めた。
「か、鍵太郎っ!」
「紡さんっ!またあの公園で――――……」
――――会いましょう…!
途中で声は途切れてしまったけれど、彼の口元は確かにそう動いていた。
黒いシルクハットに黒いマント、そして黒い燕尾服。紙のように白い肌と白金に輝く髪と目。
見慣れた姿が消えてしまった。
残像が白金に輝く光の粒となって降り注ぐ。
一粒、手のひらで受け止めた。熱は感じないはずなのに、その一粒はとても温かく感じた。
「かぎ…たろ…う…っ」
手のひらの一粒も消えてしまい、途端に大きな喪失感に襲われた。目頭が熱くなり、喉の奥と胸が痛い。
「泣くことないだろう、また会えるんだから」
「な、泣いてません!」
この人は…!!雰囲気ぶち壊しだっ!!
僕は慌てて目元を拭うと、チャチャを入れる閻王に食いついた。
「僕ももう帰ります!足が痛いんですよ!!」
そうだ、現世へ戻ろう。
彼と再開できるまで、どれくらいの時間を要するのか分からないが、いつかきっとまた会える。
その時は、”相棒”ではなく今度は”親友”として、共に生きていけたらいいな――――。




