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ココロ物語の鍵と管理人  作者: 土の屋錦二
第一章 分岐点
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3.黒い男


 午前八時。昨夜降り出した雨はすっかり上がって本日は晴天なり。


 僕は今、いつも通り朝食を終えて洗面所で顔を洗っている。

 鏡の中に映る自分は相変わらずチビで、眉尻とともに目尻も垂れ下がった童顔だ。薄茶の髪はあちこち盛大に跳ねているが、これは寝癖ではなく癖毛で自分では手の施しようがないので諦めている。

「隈が出来てる…」

 爽やかな朝に似つかわぬひどい顔色の自分を見て、本日一つ目の溜め息を吐いた。



 話を少し戻そう。

 昨夜僕は幽霊と知り合いになってしまった。昨日公園で出会ったあの黒い男のことである。


「故人の本の管理人になってくれませんか?」

「そ、その前に一つ確認しておきたいことがあるんですけど……」

「なんでしょうか」

「あなた何者ですか?」

 分かりきった答えだが、話しかけられてしまったからにはこれだけはハッキリさせておかなければ。

「鍵です」

「………は?」

「キーです、Key」

「いや、英語で言ってくれなくても分かるよ?そうじゃなくて…」

 あまりにも現実味がないと逆に冷静になれるのだろうか。幽霊だと思っていたため、予想外の答えが返ってきて思わずツッコミを入れてしまった。


 そこでふと、気づく。目の前の男は全身ずぶ濡れだ。マントを伝って雨の雫がフローリングを濡らしている。少し気の毒になり、箪笥から洗濯済みのタオルを出して彼に渡した。ついでに部屋の電気もつける。

「とりあえずその帽子とマント外してこれで拭きなよ。風邪引くよ?あと靴脱いでね」

 すると彼…”鍵”は僅かに驚いた表情を見せた。表情筋あったんだな。

「私は既に命を落としているので風邪は引きません…ですが折角の御厚意なのでお借りします」

 そう言うと少しだけ儚げに微笑んだ。

 靴を脱いで帽子とマントを外すと、今まで隠れていた鍵の姿が蛍光灯の白い明かりの下に現れる。ツバの広いシルクハットとマントのお陰か、中の燕尾服はそれほど濡れていなかった。髪もほとんど濡れていなかったが、綺麗に撫で付けられたオールバックを意外にも荒っぽくガシガシと拭く。乱れた髪はサラサラのストレートで羨ましい限りだ。

 二十代半ばの西洋人かと思っていたが、こうして見ると意外と若いし顔立ちも東洋人のそれだ。

 しかしそんなことよりも聞き捨てならないことが。

「命を落としたって…や、やっぱり幽霊ッ……!?」

「そうですね」

(認めたぁぁぁ!!!)

「つい先日、交通事故に遭いまして。死にたてホヤホヤの18歳です」

「じゅっ18だとーーー!?2コ下!?て言うかホヤホヤって言うのやめなさいっ生々しい!!」

 いや違う。そんなことが言いたいんじゃなくて―――。


 18で亡くなるなんて気の毒すぎる。18歳って言ったら高校卒業するくらいだろう。人生これからという時にこの世を去るなんて。

 かける言葉が見つからず俯いていると、鍵が思いもよらぬ事を聞いてきた。

「やはり覚えていませんか?あなたは私と一度、会っています」

「え?」

「…分からないのも無理ありませんね。周りには随分変わったと言われていたので…七年前、隣町の小さな公園で虐めを受けていた小学生を助けませんでしたか?」

「七年前?って言うと僕が中一…――――あ、」


 唐突に記憶が蘇る。


 僕がいつも立ち寄る公園は実は隣町の公園だ。自分の住む街にも公園はいくつかあるが少し遠い。我が家は隣町との境目あたりにあるので、同じく境目に位置する隣町の公園が一番近い場所なのだ。こんな体なので、幼い頃からいつも何かあるとあの公園へ行っていた。

 あれは僕が中一の頃だっただろうか。帰宅部なので普段は帰りが遅くなることはないのだが、その日は授業中に過呼吸を起こしてしまい、保健室で休んでいたために帰宅がすっかり遅くなってしまったのだ。

 母に説明するのが嫌でなんとなく帰り辛く、公園に立ち寄ったら目の前で小学生同士の喧嘩が繰り広げられていた。

 しかしよく見るとどうも一方的に一人を虐めているようだったので、思わず考えるより先に体が動いていた。

 自分よりも年下ということもあって少し舐めていたのかもしれないし、苛められている子がとても小さく、自分と重なってしまったのかもしれない。

 勇ましく間に割って入ったはいいが、遠目で見るのと目の前で見るのとでは、いじめっ子のガタイがだいぶ違った。中学生の自分より縦も横もはるかに大きい。

 身の丈に合わないことはするもんじゃない、と思うも後の祭りであっさり袋叩きにされ、あまりの弱さに拍子抜けしたようで、いじめっ子たちはその場を立ち去ったのだ。

 

 体中が悲鳴を上げていたが、ゴミ箱からランドセルを拾い上げて少年に渡してやると、今まで堪えていたのか緊張の糸がプツリと切れたようで、盛大に泣き出してしまった。

 僕は焦った。人に泣かれるのは弱いんだ。それにこれではまるで僕が虐めているようではないか。

 なんとか泣き止ませたくて必死に言葉を探していると、少年がしゃくり上げながら口を開いた。

『あっありが…とうっ助けてくれて…っっ怪我、大、丈夫っ?』

『へっ平気平気!しょっ小学生のパンチなんか効かないよー、ははは』

『強いんだね――ボク、チビだからいつも虐められるんだ』

『チビじゃなかったら虐められない?』

『え…う、うん。だって体が大きかったらみんな喧嘩なんか仕掛けてこないでしょ』

『そうかな。僕は気の持ちようだと思うけど。人の顔色伺って縮こまってると余計小さく見えちゃうぞ?』

 我ながらよく言う。”気の持ちよう”は母の受け売りだ。頭では理解できても実践するのは難しくて、自分では全く出来ていない。

 ただこの時は他人事とは思えなくて、どうしても力づけてあげたかったんだ。負けて欲しくないと思ったんだ。

 とりあえず自分のことは棚に上げて話を続けた。

『大丈夫!こんな事たいしたことないよ。ほら、僕を見てみなよ、こんなチビだけど殴られたってなんともないんだから!』

 こんなことは瑣末なことだと、深く考え込むほどのことではないのだと、自信いっぱいに両手を広げて精一杯、今の――虚勢を張った――自分を見せた。すると少年はキョトンとしたあと、腫れ上がって変形した見るも無残な僕の顔を見て、盛大に吹き出した。

『せ…説得力なさすぎ……ッ』

 目に涙を溜めたまま、腹を抱えて必死に笑いをこらえている。なんとも情けない励まし方になってしまったなと、僕は頭を掻いた。

 でもいいじゃないか。笑ってくれた。

『泣いたカラスがもう笑った』

『え?』

『結構余裕あるじゃん。大丈夫だよ、体のことだって気にすることない。君はこれから成長期なんだし、ご飯いっぱい食べれば背だって伸びるよ』

『―――うんっありがとう…!』

 少年の元気な声を聞き、僕はなんだか嬉しくなってツヤのある黒髪を撫でてやった。



 ――――あった。確かにそんなことが七年前に。

 いらぬことを思い出してしまった。顔から火が出そうだ。ああ、我ながら耳の痛い話だ。天に向かって唾を吐くとはこのことだ。

「当時私は好き嫌いが激しく、食も細かったので体が小さかったのですが、あなたと出会って考え方が変わりました。それ以来偏食を克服して、気付くとこのような体格になっていたわけです」

「…風貌変わりすぎだろう…デカくなりすぎだ!どうやったら七年間であの小鳥の雛みたいなか細い少年が190近い大男になるんだ」

「188cmです」

「細かい情報いらないッ!!」

 これが努力した者と努力しなかった者の差か。自分は一体この七年間、何をしていたのか。

「もう一度お会いして、あなたにお礼が言いたかった。あなたのお陰で私は変われたんです。でも結局会えないまま……」

「いや、ホントお礼言われるようなことしてないから。それより本題に入って?故人の本の管理人ってなに?」

 話を逸らそうと本題に触れると、小さなローテーブルを挟んだ向かいに律儀に正座している鍵の表情が改まった。

「端的に申しますと、亡くなられた方の心残りを解決して、この世に留まっていた魂を浄化するのが管理人の役割です」

「無理」

「大丈夫です、私がお手伝い致します」

「無理無理無理無理無理って言うか嫌だっ僕霊感ないしやりたくないっお化け怖いっできないぃぃ!!!」

「駄々コネないで下さい」

「うっ!こ、これはそういうのと違うぞッ!!」

「とりあえず見て頂くのが一番早いので、明日現場にご案内します」

「聞いてっ人の話っ!!!見るって何をっっ!!?」

 鍵は言うだけ言っていくつかの疑問を残したままさっさと姿を消してしまい、あれこれ考え込む羽目になった僕は、結局一睡もできずに朝を迎えた。


 そして冒頭に戻る―――。



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