12.白金の鍵と管理人
「痛っ…!!」
結界から外へ飛び出し、本を抱えて即座に戻ったが僅かに間に合わなかった。高速で突っ込んできた紙魚の触覚に、右足を引っ掛けられてしまった。
「紡さんっ!」
「うぅっ…ど、どうなってる?」
ふくら脛の辺りに痛みが走る。自分の目では確かめたくないので思わず聞いてしまった。が、すぐに後悔した。
「…結構深いです…」
「マジで!?うぅ~っ」
聞くんじゃなかった。さっきよりも痛みが増してきたような気がする。鍵太郎がマントの裾を破って止血してくれたが、痛みで走れそうもない。しかも護符は竜くんの暴挙で破れてしまった。この大量の本を結界なしで運ばなければならない。こんな状況で足を負傷するなんて。
途方に暮れながらも散乱した本を箱に詰め直していると、若干バツが悪そうに竜くんが話しかけてきた。
「…なんでそんな大量に本持ってんだよ?」
振り向くと鍵太郎が張ってくれた結界の中で、ちゃっかりと胡座をかいて座っている。
「これはコレクターが集めてた本だよ…ある人が倒してくれたんだ」
「マジかよ!…で、なんでてめーが運んでんの」
「――その人…もういないから…。とにかく!色々あったんだよっ」
冷香さんとはそれほど親しい間柄ではなかったが、やはりもう二度と会えないとなると、少し寂しい。だって折角出会えたのに、もっと沢山話とかしたかった。彼女はとても悲しい人だったけれど、それ以上に優しい人だった。
「…ふーん。おい棘!俺は後から一人で行くから、こいつらに力貸してやれよ」
「へっ?」
後から一人で行くって…、何言ってるんだ彼は。
「その代わりこの本もついでに運んでくれ。山門の中に入ったら棘に渡してくれりゃいいからよ」
そう言って手にしていた灰色の本を、僕が持つ箱の上に置いた。なるほど、確かに本を持っていなければ紙魚に狙われることはない。しかし…。
「そんな事したら管理人としての責任を放棄したことになっちゃうよ」
「緊急事態だろ。今回だけは話せば閻王も大目に見てくれるって。多分」
「で、でも…」
「ここは素直に手を借りましょう。そもそもこうなったのは護符を強引に剥がした彼の責任です。それにこの本の量では紙魚の大群もこれまでにない数になると思いますよ」
相変わらず気に入らない人間には容赦ない言いようだが、鍵太郎がそう言うのなら、従った方が良さそうだ。紙魚を倒すのは彼なのだから。
僕は荷物を背中ではなく前に回して抱え直した。その僕を鍵太郎が荷物ごと右腕で抱え上げると、左手にレイピアを握り、棘くんをちらりと見て言った。
「ちゃんと着いてこられるんだろうな?」
「人ひとり抱えてんのに言うじゃねぇか。さすが白金様ってか?任せろよ、背後はオレが守ってやる」
鍵太郎は彼らを信用していないのか、僅かに目を細めて疑わしそうな視線を送り、宙に浮いた。
マントに空気を孕ませ、ゆらりと揺らした直後、もの凄い速さで飛んだ。それまで薄暗い中、辛うじて見えていた岩肌が、高速移動により闇と溶け合って何も見えなくなる。
「……っ」
”見えない恐怖”には大分慣れたが、今回は真っ暗闇の中を超高速で飛んでいる。しかも僕の目には見えない、無数の紙魚が周りを取り囲んでいる…その恐怖たるや――。
「大丈夫です」
「え?」
「すぐに終わります」
「…特急料金払うようかな」
互いに目を合わせたまま笑った。
――この相棒の頼もしさよ。それまでの恐怖心が一気に吹き飛んだ。
「おいおいおい!なんだよそのスピード!!ちょっ…待っ…オレを置いていくなぁぁ!!!」
想像以上のスタートダッシュの速さで、いきなり置き去りにされた棘くんが、遥か後方で叫んでいる。その後ろで竜くんのガンバレよ~と、言う声が小さく聞こえた。
「篁」
延々と途切れる事のない亡者の列を前に、一人、また一人と生前の行いを見極め、采配を振るう閻王が側近の小野篁を呼んだ。
「鈴を持って来い」
燃えるような赤い目は亡者に向けたまま、地獄の裁判官は言った。
「あの”鈴”で、ございますか?」
「そうだ。今、空間が開いた。竜と棘の気配と、何故か紡と白金の気配もする。あの二人が来るという事は、恐らくコレクターが奪った本を持ってくるのだろう」
「――左様でございますか…本当にそれでよろしいので?」
「もう決めた事だ」
鍵太郎がレイピアを振り、空を裂いた直後、七、八体の紙魚が地面に叩きつけられる。たったひと振りでこれだけの数が刃に触れるとは。紙魚が塊となって襲いかかってきている事が分かる。
「!」
縦横無尽に移動しながら、レイピアを振り続けていた鍵太郎の視線が右後方を捉えた。恐らくそこに紙魚が迫ってきているのであろう。しかし間に合わないと判断したのか、鍵太郎の眉間に皺が寄る。僕を抱えているため、どうしても右側が死角になってしまうのだ。
「オラッ!!」
そこへようやく追いついた棘くんが、後方から飛んできた紙魚を斬り伏せた。
「遅い」
「銀が白金のっスピードに追いついたんだぜ?褒めろよっ!」
いきなりダメ出しを食らった棘くんが息を切らせている。
(鍵も息が切れるんだ!)
鍵太郎が息を切らせているところなんて、一度も見た事がないのでとても驚いだ。
その鍵太郎は棘くんの文句を無視して、時折小さな光の玉を出しながら紙魚の群れを牽制しつつ、ひたすら剣を振るっている。
「私はまだ本気で飛んでいない。追いついてもらわないと困る」
「バケモンか…大体、人抱えて光の玉をあんなに出しつつ、この速度で飛びながら紙魚を斬るとか正気の沙汰じゃねぇよ!」
「そんなに凄い事なの?」
「はぁ!?」
他の鍵と比べたことがないので知らなかった。的外れな質問をしてしまったようで、思い切り呆れられてしまった。
「てか、こんなに強いならオレいらなくね?」
「そんな事ないよ。実際、今助けてくれたでしょ。ありがとう棘くん」
そうなのだ。今の後方からの攻撃は恐らく躱せなかった。もっとも、躱せなかったとしても鍵太郎は、身を呈して僕を守ってくれたと思うが…。
彼がフォローしてくれたお陰で無事に済んだのは事実だ。はやり彼の力を借りて正解だった。
「…ふん、そうかよ」
感謝されて満更でもなさそうだ。怖そうなのは見た目だけで、実はいい人なのかもしれない。
棘くんの助けもあって、なんとか無事に山門の中へたどり着く事ができた。
「はぁ~~っつ、着いた…!棘くん、本当にありがとう!君のお陰で一冊も本を食われずに済んだよ」
「言ってろ。ほとんどこの大男の力だろうが。ったく、格差見せつけやがって…」
「紡さん!無理しないで座ってください。まだ出血してますよ」
そう言われて患部を見てみると、マントで縛られた箇所がじんわりと濡れていた。言われていたよりも傷が深かったようだ。
「おい貴様ら、これは一体どういうことだ」
忘れていた。あの紙魚の海と言っていいほどの中を、これだけの数の本を抱えて無事だったことに感動して、閻王の姿が目に入っていなかった。
恐る恐る視線を向けると、玉座で頬杖をついた閻王が、薄~い笑みを浮かべていた。暗闇に赤い目を光らせ、静かにこちらを見ているその様は、ホラー以外の何ものでもない。
「いえ、あの、これは、その」
僕と鍵太郎は他の管理人が開けた空間に便乗し、竜くんと棘くんは浄化した本を他の管理人に託した。
言ってみればこれは二重にズルをした事になる。これらのことをやってはいけないとは言われていないが、人の魂を扱うという特殊性から、罪悪感が半端ない。
「実は…」
閻王の威圧感に完全に萎縮して、上手く話せない僕に代わって、怖いもの知らずの鍵太郎が事情を説明してくれた。
「そういう事なら仕方ない。許す」
「あんたの相方なんなの?無敵?無敵か?」
「ははは…」
閻王と鍵太郎のやり取りを見ていた棘くんの耳打ちに、僕は曖昧な笑みで返すしかなかった。そんなのこっちが知りたい。
「その箱の中か」
何も言わなくても閻王は分かっているらしい。僕は竜くんから預かっていた灰色の本だけ、棘くんに渡して、箱の中から奪われた約二十冊の本を彼女に渡した。
「これで全部です。送ってあげてください」
閻王は積み上げられた本をまとめて燃やすようなことはせず、一冊ずつ丁寧に天へ送った。
最後の一冊を送ると、珍しく彼女は安堵の溜め息を吐いた。
「よくぞ悪霊にならずにいてくれた」
小声ではあったが確かに聞こえた。さすがの閻王も、今回の事では心を痛めていたようだ。
煙が消えるまで見送っていると、閉じていた山門が開いた。
「おー、丁度終わったところか?んじゃ、次は俺らの本だな」
竜くんだ。疲れた様子もなく、靴の踵を引きずりながらゆったりと歩いてきた。
「竜くん、棘くん、君たちのお陰で全ての本を送ってあげられたよ。本当にありがとう」
竜くんはちらりと僕の右足を見ると、覗き込むように顔を近づけてきた。品定めするような目が怖い…。思わず反射的に鍵太郎の後ろに隠れてしまった。
「…あんた、名前なんての?」
「え、ぼっ僕?保戸塚紡だけど…」
「ふーん、白金と組んでるのはダテじゃねぇんだな。見かけによらず根性あるじゃん」
「そ、それは…どうも…?」
絡まれるのかと思ったら褒められた。何なんだ。
「さて、お咎めもないことだし、オレらは先に行くぜ」
「また会おうぜ、紡ちゃ~ん」
彼らが持ってきた灰色の本も閻王に燃やしてもらい、ひと仕事を終えた彼らが先に出口へと向かった。
「お…お疲れ様…」
(できればあまり会いたくないなぁ…)
悪い人たちではなさそうなのだが、やはり彼らとは住む世界がちがう気がする…。
「私たちも戻りましょう。病院へ行かないと」
「ちょっと待て、貴様らには話がある」
鍵太郎に急かされて、現世へ戻ろうとした時、閻王に呼び止められた。何故か神妙な面持ちだ。
一体何の話だろう。思わず身構えたが、彼女の口から出た言葉は予想外のものだった。
「保戸塚紡、好きな願い事を言え」




