10.強さの源
鍵太郎は僕を、冷香さんは森川さんを支えながらの攻防であったが、さすが白金の鍵と金の鍵と言ったところか。
未だかつて経験したことのない紙魚の大群相手でも、この最強の二人が組めば造作もなかった。
僕と森川さんは傷ひとつ負うことなく、山門の向こう側で待つ閻王の元へ無事にたどり着くことができた。
「よく逃げずに来たな、冷香」
「元より処罰は覚悟の上ですわ、閻王様」
かたや長い漆黒の髪を燻らせ、豪華な装飾が施された玉座にゆったりと身を預けている美女と、
かたや黄金に輝く巻毛を僅かに揺らしながら、一歩前へと進んで真っ直ぐ前を見据える美女が対峙している。
「よくぞこのアタシを謀ってくれたねぇ。ま、宝物庫の管理を怠ったアタシも悪いんだがね」
閻王は黒髪をひと房摘んで、指にくるくると巻きつけながら、片眉を上げて斜め上を見上げている。
冷香さんは一体どうなってしまうのだろうか。重い罰を背負わなければならないのではないかと思うと、冷香さんが気の毒で仕方なかった。
「あ、あの閻王…あまり重い処罰は…」
思わず口を挟んでしまった僕の言葉を、閻王は手のひらをかざして遮った。
「事情は白金から全て聞いたよ。情状酌量の余地は十分にあるが、罪のない全くの無関係な魂たちを危険にさらした罪は償ってもらう」
「はい」
「冷香、貴様には永久従事の任を与える」
「………?永久、従事…でございますか?それは一体…?」
「アタシの専属メイドになれと言っている」
「………」
「………」
恐らく今、僕と鍵太郎は同じことを思ったはずだ。
閻王は無類の西洋かぶれ→冷香さんはフランス人形のように可愛い美女だ→つまり、閻王のどストライクゾーンの冷香さんを、どさくさ紛れに侍らそうという魂胆だろう。
「職権乱用…」
「黙れスプラウト」
「――それだけ…ですの?わたくしは消される覚悟でしたのに…。罰が軽すぎるのでは…」
「己の個人的な感情で突っ走ったとはいえ、結果、コレクターを始末できた功績は大きい。これはアタシなりの恩赦だよ。だが貴様が思っているよりこの罰は軽くはないぞ」
物は言いよう、とも思ったが、閻王の眼差しは限りなく真剣だ。これはきっと本心だろう。もっとも、彼女は言動が荒っぽいだけで、根はとても優しい人だと知っている。僕の心配は杞憂だったようだ。
「閻王様…ありがとうございます…っ」
「制服は篁が用意しているはずだ。先に獄界へ行って奴に聞け。アタシはまだやる事があるからね」
もう制服用意してあったのか!?あ、やっぱこの人自分の趣味優先させたな!
ああでも、冷香さんのメイド服姿…見たい気がしないでもないなぁ。
などと、一瞬妄想に耽っていたら、地面に座り込んでいた森川さんがふらふらと立ち上がり、冷香さんの元へ寄った。
「冷香…いや、椿…!行ってしまうんだね」
「真人、貴方と過ごした幼い頃の時間はとても楽しかったわ。でも貴方が知っている椿という名の幼馴染は、もういないの。――土に還ったのよ」
「椿…」
(冷香さんの生前の名前って、椿って言うんだ)
生前の名を使うのは禁じられているが、これが本当に最後の別れだからか、閻王は何も言わない。やっぱり優しい人だ。
名残惜しむように、少しずつ冷香さんの姿が薄くなっていく。
「紡様、鍵太郎様。お二方には本当になんとお礼を申し上げたらよいか…特に紡様にはお父様を亡くされたばかりだというのに、申し訳ないことをしてしまいました。さぞやお辛いことと心中お察し致しますわ」
「大丈夫ですよ、冷香さん」
「え…?」
「父さんは僕の心の中にいます」
「!!」
「冷香さんは?冷香さんの心の中には圭一さんはいますか?」
「―――ええ…ええっ、もちろん…いますわ…っ!!」
圭一さんの肉体と魂は確かに完全に消え失せてしまったけれど、冷香さんが彼のことを忘れない限り、僕の父と同じように圭一さんも生き続けると思ったんだ。
冷香さんは泣いていた。霊体故に涙は流れないけれど、確かに泣いていた。その涙と一緒に重く沈んだ気持ちも流して、少しでも彼女の心が軽くなるといいな。
顔を伏せて嗚咽している冷香さんの体が完全に透けてきた。そろそろ時間切れのようだ。
「もう行かなくては…さようなら、真人。貴方は幸せにならなければ駄目よ…」
改めて森川さんに向き直った冷香さんの顔は、少しだけ晴れやかな表情になっていた。
「椿…っ椿っ!!」
精一杯伸ばされた森川さんの腕は、冷香さんに触れることなく宙を掴んだ。そこにはもう冷香さんの姿はなく、金色の残像さえ残さず消えてしまった。
「さて、次は貴様の番だ紡。白金の本をよこせ」
とうとうこの時が来てしまった。これで本当に父さんとの別れだ。僕は一度、白金の本を強く抱きしめ、それから閻王に委ねた。
――父さん、紙魚から僕を守ってくれてありがとう…!
あの時父の魂が熱を帯びなければ、僕は意識を手放して紙魚に体を乗っ取られていた。
「お願い…します」
閻王は白金に輝く本を手にすると、しばらくの間じっと見つめていた。
「…久々に手にしたよ、白金の表紙の本を。まさか本当に白金の本を浄化しちまうとはねぇ」
「閻王?」
「白金の本にはおいそれと入れるもんじゃないんだよ。煩悩まみれの生身の人間が、白金の鍵に見合うレベルまで精神力を高めるのは容易じゃない。長い時間をかけて追いつくもんさ。それを貴様はたった半年で成し遂げた。――つまり、」
閻王は一旦言葉を切ると、燃えるような真っ赤に輝く目で僕を真っ直ぐに見た。
「貴様は白金の管理人になれたという事だ、保戸塚紡」
―――僕が…、白金の管理人…!?
予想外過ぎて言葉が出ない。だって僕だよ?小心者でヘタレで人に迷惑ばかりかけてた、メンタル最弱の僕の精神力が、最高レベルの鍵太郎に追いついたというのか。
「ふふっさすがアタシ、と言ったところだな!」
…何故そこで自画自賛になるんだろう。僕が困惑していると、閻王は何故か鍵太郎を見て言った。
「白金の、貴様は人の本質を見抜く能力に長けているようだね」
「え、私ですか?」
「ああ、貴様は初めから紡のことを強い人だと言っていただろう」
「!」
「事実ですから」
さも当然のように鍵太郎は答えたが、言われてみれば彼は初めからしつこいくらいに、僕のことを強い人だと言っていた。
「即ち、そんな凄い能力の白金をスカウトしたアタシが凄いだろう?」
「ああ…、はい、そ、そうですね…」
「貴様は優し過ぎる。それ故にヘタレだったわけだが…その優しさが貴様の強さの源にもなっているという事だ」
相変わらす自分に甘い閻王の自画自賛はともかく、僕は最上位の力を持つ鍵太郎に、恥じない対になれたということなんだろうか。
「さぁ、送るぞ」
「あ…、と、父さん!」
「貴様の心の中にいるのだろう?」
「……はい!」
閻王が灯した真っ赤な炎に焼かれ、父の魂は煙となって天へ登っていく。
細く、長く、ゆっくりと。
「…っ父さん!!ありがとうっ!!」
――――紡…紡…。
――――お前の本当の父親になれて、良かった…。
「逝ってしまったね…大丈夫かい?紡くん」
「…はい、大丈夫です。すみません、森川さんも辛いのに…」
「そうだね…でも、君が言ったとおり、椿はオレの心の中にいるから」
そうは言ったものの、やはり森川さんは辛そうだ。彼はこれで大切な人を二度失ったことになる。
一度目は肉体の死。二度目は霊体との永遠の別れ。
冷香さんが言ったように、森川さんにはこれからの人生を、幸せに歩んでいってほしいと願わずにはいられない。
「さぁ、現世に戻ろうか、君たちにはお願いしなきゃならない事もあるしね」
彼が言っているのは集めた本の事だろう。鍵を失った彼に管理人の資格はもうない。この場へ来ることも、もう二度とないのだ。
「あ、そうだ!願い事は?森川さん、もう管理人の役割おしまいでしょ?」
「そんなものあるわけないだろう、阿呆めが」
「閻王の言うとおりだよ、紡くん。オレは復讐と知っていてそれに加担したんだから、処罰されなきゃならない」
「えっ!そうだったんですか?でも森川さんは紙魚に憑依されてて…」
「うん、実は憑依された直後は少しだけ意識があったんだ。その時の椿と紙魚のやり取りを聞いていて、彼女が僕のことを恋人だと嘘をついた事で、彼女の思惑が何となく分かってね…。抵抗もせず体を明け渡してしまった。…これも惚れた弱みだよ」
森川さんは少し照れ臭そうに頭を掻いた。本当に彼女のことを愛していたんだ。
「ふん、自分の立場をよく理解してるようだな。本来、管理人とは迷う魂を救わなければならない。それを放棄し、逆に危険にさらした罪は冷香と同罪だ。よって、貴様はもう二度と冷香とは会えない。それが罰だ。いいな、真人」
「――はい…」
森川さんにとってはとても重い罰だ。きっと冷香さんはこうなるとは思っていなかったんだろう。彼女の復讐心を、森川さんは気づいていないと思っていたのだから。
このことを知ったら冷香さんはきっと自分を責める。しかも果てのない時の中でだ。それも彼女への罰なのかもしれない。さっき閻王がそれほど軽くはないと言っていたのはこういう事だったんだ。それでも魂を完全に消し去らなかったのは、やはり閻王の優しさなんだろう。いつか本当に許される日が来たら、もう一度生まれ変わることができるかも知れないから。
「話は済んだ。ほらほら、出口繋いでやるからさっさと帰りな」
そうだ、元の世界へ戻ろう。なんだか無性に母さんに会いたい気分だ。現世はまだ真夜中だろうから、朝になったら飛び切り元気におはようって言おう。
「紡」
閻王に呼び止められて振り返ると、とても優しい微笑みで僕を見つめていた。
「お前はよく頑張ったね、スプラウト卒業だ」
「―――はい!」
この時僕は、単純にあの閻王に褒められたのだと、とても嬉しい気持ちでいたけれど、”卒業”と言う言葉には、他の意味も含まれていた事に、まだ気づいていなかった。




