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ココロ物語の鍵と管理人  作者: 土の屋錦二
第三章 白金の管理人
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5.白金の本


 父の仏壇に供える仏花を買いに街まで出てきた。

 本当は街まで出てこなくても一応、近所にも花屋はある、が。


(花屋と言ったらやっぱフラワーショップ佐倉でしょう!)


「こ、こんにちは原田さん」

「あっ保戸塚くん!いらっしゃい!」

 ああ、天使だ。背中に花を背負っているとはまさにこのことだ。原田さんは僕だと気づくと満面の笑みを見せてくれた。赤いエプロン姿が眩しすぎて直視できない。

「あの、父の葬儀に参列してくれてありがとう。直接お礼言うの遅くなってごめんね」

「そんなの気にしないで…それより、大丈夫?」

「うん、もう立ち直ったよ。心配してくれてありがとう。あ、今日は仏花買いに来たんだ。いいのあるかな?」

「………」

「原田さん?」

「保戸塚くん、本当に強くなったね」

 原田さんは感慨深げに言った。彼女のように出来た人に言われると、とても嬉しい。そう言えば長谷川たちにも似たようなことを言われた。少しは成長できたのかな。

「そ、そうかな…でもそうだとしたら、それは僕ひとりの力じゃないよ。傍で支えて励ましてくれた人がいるんだ」

 少しでも成長できたとしたら、それは間違いなく鍵太郎のお陰だ。彼と出会わなかったらきっと今の僕はない。

 僕のことを恩人だと相棒は言うけれど、彼の方こそ僕の恩人じゃないか。

 そう思って素直に感じたことを口にしたら、僕の言葉を聞いた原田さんが何故かそわそわしだした。

「え…それってまさか…か、彼女、とか…?」

「ぶふっ!ち、違うよー!!男友達!!凄くいい奴なんだ」

「なっな~んだ、そっか!えへへっ男友達かぁ。あ!仏花だったよねっいいの見てあげる!」

「?」

 今日の原田さんは沈んだり嬉しそうにしたり、なんだか情緒不安定だな。大丈夫だろうか。

「絶望的な鈍さですね」

 鍵太郎が小声で何か言った。なんだと視線で問うと、何でもないと溜め息を吐かれた。一体何なんだ。


 もっと原田さんと話していたかったが、仕事の邪魔になるので名残惜しいが店を後にした。

 そして僕は我が家の仏壇に供える仏花と、もう一つ、真っ白なカサブランカの花束を持って、鍵太郎と共にとある場所へ向かっている。

「着いた。この霊園でいいの?」

「はい」

 ここはこの街ではそれなりに大きな霊園だ。鍵太郎に促されて外人墓地の風情が漂う墓場を進んでいった。鍵太郎が立ち止まった場所にある墓石を見ると、”Keiichi Ozawa”と刻まれていた。

 僕はその墓石にカサブランカの花束を供え、死者のために手を合わせて祈った。

「紡さん、今のうちにこれを渡しておきます」

 鍵太郎が手渡してきたのは丸いガラスの容器に入っている白い炎だった。手のひらに乗るくらいの小さなもので、容器を握っても熱さは感じない。

「なにこれ?」

「それはですね…―――」



「真人、少しは食事を摂らなくてはいけませんわ」

「………」

「ほら、お髭も剃らなくては」

「………」

「常に美しくありたいのでしょう?人間はきちんと食事を摂って清潔にしていなければ、酷い姿になってしまいますわよ」

「………今のオレは…醜い…?」

「少なくとも人前に出られる姿ではありませんわね」

「………っっ!――食べる…」

 森川真人は被っていた毛布の中からもそもそと這い出て来ると、トレイに載せられたスープに口をつけた。顔色が悪く目の下に隈ができている。少しやつれて無精髭の生えたその様子は、まるで薬物中毒者のようだ。

 しばらくスープを啜っていたが、半分ほど胃の中へ入れたところでスプーンを持つ手が止まった。

「…がう…」

「真人?」

「違う…これじゃない、オレが…オレが食べたいのは…!!」

 真人はフラフラと立ち上がると、部屋着のまま歩き出した。

「真人、どこへ行きますの?」

「あいつ…保戸塚紡…あいつさえいなければ…、あいつを殺して白金の鍵を手に入れる」

 冷香の問いに答えたというよりも、独り言のようにブツブツと呟きながら、果物ナイフを手に部屋を出ていってしまった。その背中を、冷香の爛々と輝く大きな金眼が見ている。彼女の口元には笑みが浮いていたが、その微笑みはどこか狂気じみていた。

「――待って、わたくしも…お供致しますわ……」



 午前三時二十分。僕は何故か目が覚めてしまった。

 そろそろ桜の開花が待ち遠しい季節だが、まだまだ寒さが身に染みる。ぼんやりと真っ暗な天井を見つめていると、窓の方から仄かな灯りが差し込んできていることに気づいた。

 一定の間隔で明滅する光に、僕の頭は一気に覚醒した。

「まさか…っ!?」

 冷たい空気が体を冷やすのも構わず、布団を跳ね除けて窓へ寄ると、力任せにカーテンを引いた。

 目に飛び込んできた光景は、宙に浮かぶ一冊の大きな本。慌てて着替えて外へ飛び出した。

 玄関の前に浮かぶそれは、白く輝く白金の本。


「――父さん……っ!!」


 本の中に入らなくても分かる。この波動は父のものだ。僕を十八年間ずっと、見守ってきてくれた空気だ。

「鍵太郎…鍵太郎っ!」

 堪らず相棒の名を呼ぶと、いつもよりも早く現れてくれた。僕の尋常でない様子を感じ取ってくれたようだ。

「紡さん?どうし……っ、!!」

「…父さんだよ…やっぱり、心を残してしまったんだ…っ」

「白金、ですね。――入りますか?」

「もちろんだよ」

 躊躇は全くなかった。初めての白金の本だがそんな事はどうでもいい。早く父を安らかに眠らせてあげたかった。

 鍵太郎は僕の答えなど聞かずとも分かっていたのだろう、不敵な笑みを見せるとその姿を白金の鍵に変えた。


 保戸塚俊樹の物語―――。扉ページにはそう記されていた。

 鍵太郎と共に次の目次のページへと移動すると、目の前が真っ赤になった。

「これは…っ」

 鍵太郎がそう言って絶句した。僕は目の前の光景を目の当たりにして、力が抜けたように膝をついた。こんなのは初めてだ。

 項目の大半が赤文字になっている。目の前が真っ赤に見えたのは、左右に伸びる白い壁が赤文字で埋め尽くされていたからだ。

「………っっ」

 父の心の葛藤が痛いほど伝わってきて胸が痛い。僕はしばらくの間、呆然として動くことができなかった。

「紡さん…」

 鍵太郎が気遣うように声をかけてくれたが、ずらりと並ぶ赤文字から目が離せない。しかしこのままこうしていても父の魂を浄化することはできない。僕は立ち上がると項目を一番初めから読んでみた。

 父が後悔している事と言ったら、僕が過呼吸を発症したあの時だと思っていたが、どうもそれ以前から色々と心を痛めていた事があったようだ。タイトルを読むと、父が本当の親ではないという事をなかなか言い出せないことが、僕に対しての罪悪感として、日々澱のように蓄積していたことが分かる。

 更に読み進めていくと、”取り返しのつかない事を”と言うタイトルが目に入った。


「行こう」


 僕は一つ深呼吸をして、この項目の中に入ることにした。



「篁、現し世の珠を持って来い」

 天蓋付きのベッドの上で胡座をかいて瞑想していた閻王が、静かに目を開いて傍に控えていた篁に言った。

「は、こちらに」

 補佐役の篁が主に手渡した物は、なんの変哲もない無色透明の水晶玉。直径三十センチ程だろうか。

 閻王が手を翳すと日本のとある場所が映し出された。

「あの方が発明されるものは本当に便利でございますなぁ」

「…黙ってろ。ふん、動き出したぞ、罪人めが」

 そこには真夜中の道をフラフラと、足取りの怪しい森川真人が保戸塚家のある方角へ向かっている姿が、映し出されていた。



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