3.犯罪者の子
斉藤勇次。それがこの魂の名だ。
目次の長さを見ると今までの経験上、年齢的には僕よりも少しばかり年上といった感じだろうか。
赤文字のタイトルは
”ここまでするつもりはなかった”――――となっている。
「それじゃあ行こうか」
「はい」
これは金の本だ。少し前までは銀の本の重圧に押しつぶされていた僕だが、不思議とこの金の本の重圧に対する恐怖はない。
鍵太郎といつも通りに赤文字の中へと入っていった。
足を踏み入れるとそこは6畳ほどの部屋だった。思った通り重さは感じず、普通に立っていられる。
いきなり人の家に上がり込んでしまって――しかも土足だ――少し落ち着かないが、しばらく様子を見ることにした。
部屋は散らかってはいないのだが、一見、乱れているように見えた。その訳は襖には大きな穴が開いて所々破けていたり、壁にもヒビが入って汚れているせいだろう。
部屋の中央には傷んだ粗末なテーブルあり、他には茶箪笥が一つあるだけだ。畳も日焼けして茶色くなり、点々と焼け焦げた跡がある。煙草の灰でも落とした感じだ。
その畳の上で煙草をふかしながら横臥している男がいた。どう見ても未成年。日付も表示されるタイプの時計を見ると八年前の平日の正午過ぎだった。
(あ~、ヤンチャ君かー)
昼時なので腹が空いたのか、咥え煙草で横になりつつ、週刊の漫画雑誌を読んでいた少年の腹が盛大に音を立てた。
「チッ、腹減った…」
髪を金髪に染め、眉毛を半分ほど剃ってしまっている少年が不機嫌そうにボヤくと、建付の悪そうな玄関のドアが開いた。入ってきたのはレジ袋を手に提げた中年の女性だった。
「遅ぇんだよ!クソババァ!飢え死にさせる気かっ!!」
何となく予想は出来ていたが、やはり、と言った感じの文句が飛んだ。
「ごめんねぇ、カップ麺の買い置き切らしてたのうっかり忘れてて…これ、お弁当買ってきたから」
恐らく母親と思われる女性がレジ袋を差し出すと、少年は乱暴に奪い取って弁当を食べ始めた。
「じゃあお母さん、昼休憩抜けてきてるから仕事に戻るね。―――それから勇次…煙草は体に悪いから…」
「金」
「え、ああ…はい」
母親の言葉を遮って、勇次と呼ばれた少年は金を催促し、財布を取り出した母の手から金を奪って家を出て行ってしまった。
「見るに耐えませんね」
鍵太郎が眉間に皺を寄せ、彼が出て行ったドアを睨みつけている。
「責めるのは簡単だよ。…でも僕らは彼の全てを知ってる訳じゃない」
「はい…」
長谷川や中野みたいに話してみたらそれほど悪い奴じゃなかった、という例もあるし、この少年――勇次さんもそれなりの事情がある…と思いたい。
勇次さんのあとを着いて行くと、彼はゲームセンターに入っていった。
勇次さんはひとりで格闘ゲームで遊び始め、入り浸るのかと思いきや、1ゲーム遊んだだけですぐに店を出てしまった。
彼はあてもなく街をぶらついている。仲間とつるんだりしないのだろうか。
「一匹狼ってやつでしょうか」
「うん、ずっと一人だね」
一日中、彼のあとを追っていたが、終始一人で次第に孤独の影が見えてきた。
日が暮れ始めた頃、堤防沿いを歩いていた彼の前方からガラの悪そうな少年四人が歩いてきた。嫌な予感しかしない。
「げっ勇次だ」
「怖ぇ~、背中見せたら刺されるぜ!ぎゃははっ」
名前を知っていることから顔見知りのようだが、とても友好的な雰囲気ではない。それにしても刺されるとはどういう事だ。
勇次さんは彼らを無視してその場を通り過ぎようとした。しかし相手はそれを許さなかった。
「カッコつけてんじゃねーよ、犯罪者の息子がよぉ」
不良グループの一人が吐き捨てるように言うと、勇次さんの態度が豹変した。
肩を掴んできた相手の手首を捻りあげると、そのまま引き寄せて拳を繰り出した。勇次さんの拳は加減もなく相手の顔面にめり込み、容赦なく殴られた少年は鼻血を吹きながらその場に崩折れた。
「…っの野郎!!!」
嫌な予感的中だ。殴り合いの喧嘩が始まった。この場にいる少年たち五人は誰も彼も興奮状態で仲裁に入る者が一人もいない。
多勢に無勢、当然勇次さんの方が不利で、彼の顔形が次第に崩れていった。動かなくなった勇次さんの脇腹に最後の一撃として蹴りを入れ、四人組の少年たちはその場を去っていった。
なかなか動かない勇次さんを固唾を飲んで見守っていると、漸くもそもそと動き始めて痛みに呻くでもなく、無言のままよろけながらも歩き出した。こういう状態に慣れているようだ。
勇次さんは口元に血を滲ませたまま、夜遅くまで公園のベンチに座り、ぼんやりと目の前の噴水に視線を合わせていた。”見ていた”ではなく”合わせていた”と思ったのは、彼が心ここにあらずといった様子だったからだ。
季節は春。夜はまだまだ冷え込む季節で体が冷えたのか、勇次さんは漸く重い腰を上げて帰路へついた。
「お帰り勇次。お夕飯出来て…あ、」
古いアパートのドアを開けると居間にいた母親が顔を上げた。宛名のラベル貼りをしていたのだ。昼は外で働いて夜は内職をしているようだ。
「勇次…!またそんなに怪我して…手当しないと」
心配する母を無視するように勇次さんは浴室へと向かった。しかし息子の体を心配する母は薬箱を片手にそれを阻んだ。
「待ちなさい勇次、ちゃんと手当しないとダメよ」
母親が彼の腕を掴んだその時だった。
「触んなっ!!!」
「あっ」
掴まれた腕を振りほどき、母親を突き飛ばした。
「!?」
その瞬間、勇次さんは驚きに目を見張った。僕が見た限りでは彼はそれほど力を入れていなかった。しかし母親は派手な音を立てて倒れ伏し、テーブルにぶつかった拍子に内職の封筒や宛名ラベルが散乱した。
母親はとても痩せていた。恐らく勇次さんはここまで母の体重が軽くなっていたとは気付いていなかったのかもしれない。
「………っっ」
勇次さんは歯を食いしばり、とても辛そうな顔をして箪笥の引き出しから通帳と印鑑を取り出した。
「勇…次っ!―――待って!勇次!!」
打ち付けた肩を抑えながら行かないでくれと懇願する母を置き去りに、彼は着の身着のまま家を飛び出してしまった。
「ここまでか…勇次さんの後悔は多分、この時の母親に対する罪悪感だろうね…」
僕たちは取り敢えず元の世界に戻って聞き込みをすることにした。周りは商店街だったのでなにか情報を得られるかもしれない。
まずは本があった空き地の前に建っている八百屋に足を運んだ。
「裏の空き地?ああ、アパートが建っていた所ね。二年くらい前に取り壊されたよ」
「そのアパートに斉藤さんという親子が住んでいませんでしたか?」
捻り鉢巻をした禿げ頭のいかにもと言った、店主の顔が曇った。
「…なに、あんた警察関係の人?とてもそうは見えないけど」
「ち、違います!あっあの、僕勇次さんの知り合いで、彼の行方を捜していて…」
「おお!勇坊の!そうかい、そりゃあ失礼したね」
”勇坊”――あんなに素行が悪かった割には随分親しげだ。
「警察って…穏やかじゃないですね」
「知らないのかい?確かに斉藤さんはあのアパートに住んでたよ。よくうちで買い物してくれたからな…でもあんな事件が起こっちまって、本当に気の毒だよ」
店主の話では勇次さんの父親は、妻に働かせて自分は昼間から酒を飲むような、酒癖の悪いどうしようもない男だったそうだ。
ある日居酒屋で飲んでいたところ、他の客と些細なことから口論になり、泥酔状態の父親がカッとなって、カウンター越しから店の包丁を奪い、逃げる相手の背中を刺して重傷を負わせ、現行犯逮捕されたらしい。
元々、勇次さんと母親はとても仲の良い親子だったのだが、その事件がきっかけで勇次さんはいじめを受けるようになり、次第に心が荒んでいって母親に当たるようになってしまったようだ。
「それで…今、斉藤さんは?」
「いやぁ、それが泣かせるじゃないの。アパートが取り壊される少し前に出て行った勇坊がお母さんを迎えに来てなぁ。引越しするっつって、俺んとこにも”色々お世話になりました”って、挨拶に来たんだぜ!母に迷惑をかけた分、親孝行するんだと」
八百屋の店主は勇次さんの引越し先も聞いていた。僕の家の最寄駅から三つ先の駅で降りた街にいるらしい。勇次さんに会ったらよろしく伝えておいてくれと頼まれた。どうやらこの店主は勇次さんが亡くなってしまったことをまだ知らないようだ。
「やりきれない話でしたね」
「うん…勇次さんもお母さんも何一つ悪いことしてないのにね…」
翌日、僕と鍵太郎は八百屋の店主から聞いた勇次さんの引越し先へ向かった。




