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ココロ物語の鍵と管理人  作者: 土の屋錦二
第三章 白金の管理人
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2.分けあったエビフライの温かさ


「新しい本を探しに行きませんの?真人」

 渇望してやまない白金の本を目の前にしながら、取るに足らない存在だと思っていた保戸塚紡に阻まれ、欲を満たせなかった森川真人は、あれ以来部屋に引き篭っていた。

 部屋の四隅に貼られた護符は、紙魚の侵入を防ぐだけではなく、部屋そのものを結界で外界から隠す役割も担っている。

 故に閻王の目からこれまで身を隠すことが出来ていたのだ。

「白金がいいんだ」

 ベッドの上で毛布を頭から被り丸まっている真人は、どこか知的な印象を纏っていた男とは思えぬほど、駄々をこねる子供のように幼稚じみていた。

「白金の本が読みたいんだよっ!冷香、お前は何のためにオレの傍にいる!?こんな所にいないで何とかしろよっ!!……でないと”この男”を……!」

「落ち着いて。保戸塚紡はこの街に住んでいるのよ。焦らなくても機会はいくらでもありますわ」

 冷香はヒステリックにまくし立てる真人の頭を、その胸にそっと抱き込んで宥めた。

「白金の本は必ず貴方のもとへお持ち致します。―――だからお願い…”この人”には手を出さないで」



 ふんわりと細く刻まれたキャベツの千切りの上に、狐色に揚がった熱々の大きなエビフライが三本。豆腐とワカメの味噌汁に、僕が家で食べる量の倍くらいに盛られたホカホカご飯。

 我が校の本日の日替わりメニューだ。

 最近食べる量が以前より増えてきたので、学食のランチを注文してみたのだが、やはりまだこの量は食べきれそうにない。

 エビフライ定食を目の前にして途方に暮れていたら、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「なんだよ、席空いてねぇじゃねーか。立って食えってか?」

 以前学食で僕に絡んできた長谷川だ。相変わらず中野とつるんでいるようで、二人揃って料理が乗ったトレイを手に、空いている席を探していた。


 彼らが僕に絡んできたのはきっと僕にも原因があったのだと、今は思う。初めに絡んできた時に、冗談で返してやればよかったんだ。もちろん、具合が悪くて苦しんでる人間を揶揄するのは良くないが、僕も過呼吸に対するコンプレックスでムキになっていたのかもしれない。

「ここ空いてるよ」

 僕が座っている席は四人掛けのテーブルで、僕一人しか座っていなかったのであと三人座れる。

 声の主が僕だと気づいた長谷川と中野は少々面食らっていた。

「すみません」

 狭い通路に立ち止まっていたため、後から来た生徒の邪魔になってしまったので、自然な流れで彼らは僕の前の席に着いた。

「………………」

「………………」

 会話どころか食事も始まらない。当然といえば当然なのだが。

「丁度良かったよ、ちょっと困ってたんだ」

「へ?」

「これ、食べきれなくて…良かったら半分食べてくれる?まだ箸付けてないから」

「い、いいのかよ」

「うん」

 僕はエビフライを彼らに一本ずつとご飯を半分、皿の上に置いた。

「え、ちょ、お前エビフライ一本でいいのか?」

「うん。これ大きいから一本で十分。ご飯と味噌汁もあるし」

「少食すぎだろ!」

 三本あるうちの二本を寄こしてきたので、困惑した長谷川が言った。

「これでも大分食べるようになったんだよ。そのお陰か最近体の調子もいいんだ」

「へぇ、…なんかお前変わったな…熱っうまっ」

 中野がエビフライを一口噛じると、素直な感想が口から出てきた。その流れが彼らの心情に変化をきたしたのか、ボソリと小さな声で長谷川が言った。

「―――その、色々悪かったよ…」

 丁度エビフライを咥えたところで言われたので返事が遅れた。その代わりにドスの効いた低い声が聞こえてきた。

「何だその謝り方は」

 今言ったのは僕じゃない。背後から黒い空気を撒き散らしている鍵太郎だ。

(いいじゃん、十分じゃん)

 僕自身はそう思うのだが、鍵太郎は納得していないようで目の前の彼らを睨みつけている。

「うわっまただ!」

 突然、中野が何かに怯えたように言った。その視線は僕の背後を見ている。

「またかよ、中野。こいつ霊感あるとか言ってこの間から影みたいなのが見えるってしつこいんだ」

「えっ」

「本当だって!長谷川がコケてカツ丼背中に貼り付けた時も黒いモヤみたいなのが一瞬見えたんだよ」

「へ、へぇ~、そっそうなんだ」

「お前も信じてねぇな?保戸塚。…いいよ、どうせ誰も信じてくれねぇんだ」

「…ううん、信じるよ」

 事実、信じるもなにも、後ろに怖い顔をした幽霊がいる。

「マジで!?」

「えぇ~…」

 賛同してもらえて嬉しそうな中野と、それはないと呆れた長谷川の対照的な反応が面白かった。しかし実際に中野の目は確かなので仕方ない。これ以上中野の前にいるのはまずいと思い、相棒には申し訳ないがここは退散してもらうことにした。

 背後に回した手で消えてくれとジェスチャーで頼むと、鍵太郎は渋々獄界へ戻ってくれた。

「あ、消えた」

 鍵太郎が消えたと同時に中野が言った。うん、これは本物だ。彼がいる時は気をつけなければ。今もそうだが、あの時も鍵太郎は怒っていた。中野は負の感情に敏感なのかもしれない。


 食事を終え、午後の講義は三人ともバラバラだったのでその場で解散した。別れ際に中野がまた一緒に昼飯食おうぜと、誘ってくれた。霊感があることを理解してもらえたことが余程嬉しかったのかもしれない。

「はぁ、緊張した」

「さすが紡さんです。見事に手懐けましたね」

「いや、手懐けるって…手下にした訳じゃないんだから」

 いつの間にやら戻ってきていた鍵太郎が的外れなことを言う。謝罪もしてくれたんだし、そこまで悪者にしなくてもいいだろうに。

 彼らに話しかけるのはかなり勇気が必要だったが、ちゃんと話してみればそれほど悪い連中ではないと分かった。まだ胸がドキドキしているが、このドキドキは嫌な感じのドキドキではない。

 きっと僕の卑屈な態度が彼らの癇に障ったのだろう。つくづく人同士って己を映す鏡だと思った。

 本音を言うとエビフライ一本ではさすがに物足りなかったのだが、彼らに分けて良かったと思う。

 今まで食べた中で一番美味しいエビフライだった。



 広大な庭園に色とりどりの花が咲き乱れるここは地獄。

 柔らかな陽射しを浴びる黒い屋根のガゼボに黒いドレスを身にまとった美女が一人、憂いを帯びた赤い瞳で美しく咲き誇る花を眺めていた。

「はぁ~~~…」

「これはまた随分と大きな溜め息ですな、閻様」

「…篁か…」

 束の間の休息に身を委ねている閻王に、補佐役の篁が少しでも休まればと、ハーブティーを運んできた。

「何かお心を煩わせる事でも?」

「―――駄目なのか…」

「は?」

「やはり横着はするなという事なのかっ!?」

 さも重大な案件で心を悩ませているのかと思いきや、この美女は執務をどう減らしたら己が楽を出来るのかをひたすら考えていたのだ。

「あの害虫め!魂を喰らって知恵をつけるとは小賢しい!!」

「あの方にご助力を乞うては如何です?」

「寝言は寝てから言え。――――アレに借りを作るくらいなら………」



 獄界で閻王が進化型紙魚の対応に頭を悩ませている今は、日暮れ間近の逢魔が時。

 本日の講義が全て終了した僕は、閻王の眉間の皺など微塵も思い浮かばず、白い息を吐きながら帰宅の途についていた。

「……………?」

 何かに呼ばれたような気がした。辺りを見回すがいつもの商店街に夕飯の買い出しなのか、大勢の主婦たちで賑わっているだけだ。

 気のせいかと歩き出そうとした時、また呼ばれた。意識を気配のする右前方に集中してみる。

 僕を呼ぶ気配につられるように細い路地裏を歩いていくと、ある八百屋の裏手に出た。そこは家一件分くらいの空き地となっていて枯れ草が広がっていた。なにか胸が締め付けられるような気配が漂っている。そしてその中央付近にあったものは。

「金の本だ」

 僕を呼ぶものの正体は金色の表紙の本だった。

(鍵太郎もいないのになんで分かったんだろう…?)

 霊体である鍵であれば魂の居場所を敏感に察知できるが、人である管理人には離れた場所の魂を感じ取ることは出来ない。

 中野のように強い霊感があれば多少は分かるのかもしれないが、自分には元々霊感はない。

「鍵太郎!」

 何故このような事が出来るようになったのか疑問に思ったが、取り敢えず相棒を呼んだ。名を呼ぶといつものように黒い塊がマントに風を孕み、瞬時に目の前に現れた。

「本があった」

「え?紡さんが見つけたんですか?」

「うん」

「さすがですね、やはり紡さんは別格です」

 いや、少しは疑問に思って欲しい。羨望の眼差しで見つめてくる鍵太郎をスルーして話を続けた。

「浄化しちゃおう」

「…金の本ですよ」

「うーん、なんか出来そうな気がする」

「貴方がそう仰るなら私は全力でサポートするだけです」

 駄目かもしれないとか思わないんだろうか。この男は。恐らくこれが片桐姉妹だったら全力で反対してくるに違いない。

 全幅の信頼を向けられるのは嬉しいが、慣れていない僕には少し居心地が悪い。――と言うか、照れる。

「じ、じゃあ、早速中に入ろう」

 今日の夕飯は鍋なんだ。母ひとりで鍋をつつくなんて寂しい事させられない。


 その身を鍵に変えた鍵太郎で中へ入った。

 初めての金の本だ。



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