13.初雪舞い散る寒い夜
どこをどう走って来たのかよく覚えていないが、僕は今河川敷の高架下にいる。
川原に座り込んで目の前を流れる川を見つめ、父の言葉を反復してみた。
”お前は私とは血が繋がっていないんだ”
”誰がなんと言おうとお前は私の子だ”
そんなに思いつめた顔しなくてもいいよ、父さん。今までひた隠しにしていてさぞ辛かったでしょう。
――――なんて、聖人君子じゃあるまいし、素直にそんな言葉は出てこなかった。
今日まで考えないようにしていた蟠りが、止めどなく沸き上がってくる。いくら躾とは言え、今時子供を外に放り投げるだろうか。
あの時の事がきっかけで僕は過呼吸症候群を発症した。この症状さえなければこの十一年間、こんなに辛い思いをせずに済んだものを。
あの人があんなことさえしなければ―――。
僕に対する態度がどこかぎこちなかったのも、度が過ぎるほどの厳しさも、血が繋がっていない他人だからこそ出来たんじゃないのか。
「…………っ」
ああ、嫌だ。父に対する不満が止まらない。自分にこんな醜い負の感情が、ぎゅうぎゅうに詰まっていたなんて知りたくもなかった。
暗闇の底に滑り落ちていく僕を誰かに止めて欲しい。
そこでふと、ポケットに入っている卵を思い出した。今使うべきではないが、この感情をどうにかできるなら何でも良かった。僕は卵を取り出すと、迷わず握りつぶした。
しかし使いどころを違えたせいなのか、卵は殻だけのもので中には何も入っていなかった。思わず項垂れると視界の端に風に靡く黒いマントの裾が見えた。
「鍵太郎……?」
僕の隣に鍵太郎が立っていた。どうやらお助けアイテムとしての効果は、ちゃんと発揮されたようだ。その場に必要なものが現れると言っていたが、まさか相棒だったとは―――しかし。
「お…まえ、なんでこんな所にいるんだよ」
「………」
「?、鍵太郎?」
「………」
様子がおかしい。何を聞いても無反応だ。僕を見つめたまま微動だにしない。
よく確かめようと立ち上がろうとしたら、ゴロゴロと石が転がる足場の悪い川原だったためにバランスを崩してしまった。後ろへ倒れ込みそうになった瞬間、鍵太郎が咄嗟に腕を掴んで支えてくれたので事なきを得た。
「ああ…なるほど」
これはダミーだ。本物の鍵太郎は今、原田さんの護衛をしているのでその代わりにこれが出てきたのだろう。
中身は空っぽだが僕を守る能力は備えているらしい。
「ニセモノ…か。今の僕には相応しいかも」
クリスマスが近い町並みは街路樹に青や白のライトが施され、夜には幻想的な夜景を楽しむことができる。まだ日暮れ前なので生憎と見ることはできないが、そこかしこの店がこぞってクリスマス向けのディスプレイをしていて街ゆく人々の目を楽しませてくれていた。
「お姉ちゃん、まだ買い物するの?」
「うん、あとポインセチア買って終わり」
傍目には女子高生一人がショッピングを楽しんでいるように見えるが、実際は小学生の少女が隣に並んで歩いている。
目当ての花屋へ着くとこの時期ならではの植物である、赤と緑のコントラストが美しいポインセチアが店先にずらりと並んでいた。
「すみません、これ下さい」
「はぁい、ありがとうございます!」
片桐優麻がポインセチアの鉢植えを一つ、店員である原田小鈴に手渡した。
(うっわ!キレイな人~!髪サラサラ目デカイ!睫毛ながっ!)
「980円になります」
「あっはい!」
思わず小鈴の美貌に見とれてしまった優麻は慌てて財布を取り出し、千円札を渡した。
「20円のお返しになります、ありがとうございました」
釣り銭とレシートを受け取り、レジ袋に入ったポインセチアを片手に下げて店を出ると、優麻は大きく溜め息を吐いた。
(あたしもああなりたいもんだわー。あやかりたい…)
「片桐優麻」
「は?」
小鈴のようになりたいと思った矢先に、名前を呼び捨てにされて思わず地が出た。
眉間に皺を寄せて声の出処を睨むと、店の脇に影のような塊が立っていた。
「かっ」
鍵太郎さん!と、大声を出しそうになり慌てて口を塞いで小声で言い直した。
「鍵太郎さんじゃないですかぁ!こんな所でお会いできるなんて運命ですねっ」
「片桐姉妹、少し頼みがある」
鍵太郎は一人、この街で一番高い場所――高層ビルの屋上に立って全神経を研ぎ澄ましている。
例えるなら己の精神を霧状にして、街全体に拡散するかのようにありとあらゆる物の動向を探っているのだ。初めての試みなので上手くできるか分からないがとにかく集中した。
探るべき対象は黄金の波動。金の鍵である冷香だ。
受身に回っているだけでは埓があかないと判断し、鍵太郎は攻撃に転じることにした。しかしそのためには小鈴の護衛を誰かに頼まなければならなかった。そこへ丁度片桐姉妹が小鈴が勤める花屋へやって来たので、無理を承知で少しの間護衛を頼んだのだ。
(守りに徹するのは俺の性分じゃねぇんだよ)
しばらくすると、覚えのある金の波動を感知した。その方角には確か割と大きな霊園があったはずだ。鍵太郎は迷うことなくその場所へ瞬間移動した。
物悲しい雰囲気が漂う日暮れ間近の墓地に青紫色のドレスを纏った美女が一人、とある墓標の前に佇んでいた。そこへ黒いシルクハットに黒いマントを纏った男が現れた。日本でありながら異国を思わせる光景だ。
「あら…見つかってしまいましたわね」
冷香は突然現れた鍵太郎に気づくと、慌てる様子もなく微笑んだ。
「一緒に来てもらうぞ」
「よろしくてよ。でも今はまだ無理ですわ」
冷香は意外にも拒否しなかった。しかし今はその時ではないと言う。
「まだ続ける気か」
鍵太郎はその目に剣呑な光を滲ませ、冷香を睨んだ。
「ふふ、必死ね。あなたは紡様を守ることが全てなのね」
「恩人だからだ」
「そう…。―――ねぇ、同じ鍵のよしみで少しの間お待ち頂けませんこと?…わたくしは、あなた方の敵ではありませんわ」
そろそろ日が暮れる。午前中に家を飛び出してきたままなので腹が減った。何よりジョギング姿なのでとても寒い。
この季節の夕暮れどきの公園なんて寒いだけなので誰もいない。せめてバスケットボールを持ってきていればシュートの練習でもして体を温められたのだが。
「寒っ」
ベンチに腰掛け、空を見上げた。するとチラホラと白いものが舞い降りてきた。
「初雪だ…寒いわけだ」
隣に佇むニセ鍵太郎は何も言わない。本物の鍵太郎であれば薄着で風邪を引くだのなんだのと、口うるさく言っていたに違いない。
「!?――うわっ」
突然目の前が真っ暗になった。ツルツルとした感触の布が被せられたようだ。この手触りは恐らくシルク。馴染みのある生地だ。
「そんな薄着で何してるんですか。風邪を引きますよ」
頭から被せられたのは鍵太郎のマントだった。大きなマントをたくし上げ、ようやく頭を出して見るとそこにはマントを外した姿の鍵太郎が立っていた。
「本物?」
「はい?」
本物のようだ。ダミーの鍵太郎は本物が現れたことによって消えてしまったらしい。
「原田さんから目を離すなって言ったのに」
「その事なら大丈夫です、彼女に害は及びません。実は冷香が―――」
鍵太郎が何か言いかけた時、携帯が鳴った。母からだ。午前中に家を飛び出したきり帰ってこない息子の身を案じてかけてきたのだろう。
「出ないんですか?」
コール音が鳴り続ける電話を見つめるだけで出ようとしない僕を不審に思った鍵太郎が問うてきた。
「………」
「?…何かあったんですか」
なんて説明しよう。今日あった事を話せばきっと彼は心配する。かと言って黙っていても同じことだろう。何事もなかったかのようにいつも通り振る舞えれば良かったのだろうが、僕にはそんな器用な真似はできなかった。
結局、何も話さないまま家に着いてしまった。鍵太郎は様子のおかしい僕から無理に訳を聞き出そうとはせず、黙って後ろから付いて来ていた。
ドアノブに手を掛けると鍵が閉まっていた。この時間はいつも母が夕飯の支度をしているので家にいるはずなのだが。
「………?」
鍵を開けて家の中に入ると電気はついておらず、寒々しく暗闇が広がっていた。
なんだろう、何か嫌な予感がする。住み慣れた家なのに静か過ぎてとても不気味だ。僕は訳も分からず不安に襲われ、早足で居間へ向かった。
電気をつけるとコタツの上に一枚のメモが置かれていた。手に取って読んでみると、そこには慌てて書いたのだろうか、母の文字でこの街で一番大きな総合病院の名が書きなぐられていた。
ドクリと心臓が跳ねる。父の身に何かあったのだろうか。その瞬間、自分がとてつもない失敗を犯してしまったのではないかと言う気持ちになった。
家を飛び出し、タクシーを拾って病院へ駆け込んだ。
受付で示された場所は病室ではなく、
――――霊安室だった。
第二章終了です。
多分、次の章で完結になるかな?と思います。
ここまで読んで下さってありがとうございました^^




