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ココロ物語の鍵と管理人  作者: 土の屋錦二
第二章 コレクター
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9.奪われた鍵


 鍵太郎が突然消えた。

 あまりにも一瞬だったので何が起こったのか分からず、辺りを見回して彼の姿を探した。

「鍵太郎?どこ行ったんだよ!」

 いつもなら呼べばすぐに姿を現すのに今は返事すらない。答えを求めるように冷香さんを見た。

「真人の部屋でお待ちしておりますわ」

 彼女は今までに見たこともないような冥い微笑みを残して消えてしまった。

「ちょっ…!?待って!なんで!?鍵太郎は!?」

 問うても静寂が返って来るばかりだ。晩秋だというのに生暖かい風が足首にまとわりついて背筋に冷たい汗が流れた。

 我に返って森川さんに電話をかけてみたが電源が切られている。直接会いに来いということらしい。

 フラつく足で走り出す。とにかく森川さんに会わなければ。

 走りながらも混乱していて考えがまとまらない。冷香さんが突然現れて鍵太郎が突然消えた。彼女が持っていたあの黒い小瓶はなんだ。とてつもない胸騒ぎがする。

「ハァッハァッハァッ」

 大した距離を走ってもいないのに息が上がるのは、失血による貧血だけではない。急激な不安に陥ったせいで過呼吸の発作を起こしかけている。それでも僕は街中を建物の壁に手を付きながらやっとの思いで歩いた。

「保戸塚くん!」

 行き交う人々に奇異の目で見られ始めた頃、背後から声をかけられた。振り向くと息を切らせて追いついてきた原田さんだった。

「優麻ちゃんに聞いたよ!保戸塚くん、具合悪くなったから先に帰るって…顔色真っ青じゃない!大丈夫!?」

「原田さ…追い…かけてきて、くれたの…?」

「具合悪いのに一人で帰せないよ」

 肩を貸してくれた彼女は僕をガードレールに座らせてくれて、鞄から未開封のミネラルウォーターを出した。来る途中で買ってきてくれたのだろうか。有り難く水をもらって喉を潤したら少し落ち着いた。

「立てる?家まで送ってくよ」

「ごめん、急用があって帰れないんだ…もう大丈夫だから…」

「こんな状態で?」

「どうしても急いで知人宅に行かなきゃならないんだよ」

「…分かった、じゃあそこまで私も一緒に行く」

 悪いからいいよ、と言おうとして思い止まった。この足取りが覚束ない状態では彼女の力を借りるべきだ。

「原田さんが迷惑でなければ…そうしてもらえると助かる…かな」

 そう答えると原田さんは目を大きく見開いて驚いた様子を見せた。

「?、どうしたの?」

「―――絶対断られると思ってたから…ふふっ」

「な、なんでそんな嬉しそうなの」

「うふふっなんでもなーい!……保戸塚くん、ちょっと変わった?」

 下から覗き込まれるように顔を近付けられてドキリとした。この上目遣いは反則だ。

「そう…かな」

「ふふっ、タクシー乗り場がこの先にあるからそこまで歩ける?」

「うん、ありがとう」

 原田さんの妙に嬉しそうな態度に疑問を感じながら、僕は彼女の肩を借りてタクシー乗り場へ向かった。



「やぁ、紡くん。待ってたよ…おや」

「あの、私保戸塚くんの友達で…彼、具合が悪くなってしまったので休ませてあげてください」

 原田さんはこれまでの経緯を話して僕を森川さんに引き渡した。本当は何を考えているのか分からない森川さんに直接会わせない方がいいような気がして、エントランスまででいいと断ったのだが部屋の前まで付いてきてしまったのだ。

「それは大変だったね、彼のことは任せてくれて大丈夫だよ」

「よろしくお願いします、じゃあ保戸塚くんお大事にね」

「ありがとう原田さん…気をつけて帰ってね」

 彼女を見送ると、森川さんはドアを閉じた。ガチャリと施錠される音が寒々しく響く。

「―――説明してください…鍵太郎はどうしたんですか!?」

「君、本当に具合悪そうだね。立ってるのがやっとの状態じゃないか…もっともオレにとっては好都合だけど…ね!」

「っ!!」

 森川さんは突然僕の腕を掴み後ろに捻り上げた。そして下駄箱の上に置いてあった縄で後ろ手に縛った。

「なっ何するんですか!?痛…っ」

 容赦のない力で縛られて手首に痛みが走る。森川さんが本気だということが伝わり恐怖で足が竦んだ。

「君に見せたいものがあるんだ」

 ニコリと場違いな笑みを見せ、森川さんは僕をある部屋へ連れ込んだ。そこには壁一面に埋め込まれた大きな本棚があった。その本棚の半分くらいが本で埋まっている。背表紙の色は灰色、赤茶、銀、金と、見たことがあるような色をしていた。

「――――まさか、」

「綺麗だろ?半年の間にやっとここまで集めたんだ」

 僕は目を見開いて森川さんと、隣に佇む冷香さんを見た。部屋が薄暗いということもあって、二人の姿が不気味な影に見える。

「コレクター!?」

「ああ、うん。仲間内ではそう言われてるみたいだね」

「何が仲間だ!ふざけるなっ!!だいたい半年って…、あんた管理人になって五年って言ってたじゃないか!!」

「本当のこと言うわけないだろう」

「っっ!!か、鍵太郎は!?」

「ここにいるよ。これは魂封じの瓶と言って、魂を封じ込めることができるんだ」

 そう言ってポケットから取り出したのは先程の黒い小瓶。

「彼にちょっとお願いがあってね、言うことを聞いてもらうために君には人質になってもらうよ…冷香」

 冷香さんはその白くほっそりとした手には似合わぬレイピアを手にすると、切っ先を僕の喉元に当てた。

「くっ」

 頚動脈にピタリと当てられた刃の冷たさに身動きがとれなくなる。森川さんは僕の背後に回ると腕を掴み、器用に小瓶の蓋を片手で開けた。

 すると小さな光の玉が出てきて徐々に人の形を成す。それはいつもの見慣れた鍵太郎の姿だった。

「おっと!」

 元の姿に戻った途端、鍵太郎は森川さんの首元を狙って左手を繰り出した。しかしその手は直前で止まる。

「動かない方がいい。大事なパートナーの首が切れるよ…その様子だと会話は聞こえていたようだね」

「森川……っ!!」

 鍵太郎は射殺しそうな視線で森川さんを睨みつけている。

「君が言うことを聞いてくれれば紡くんには危害を加えないよ」

「鍵太郎っ!!こんな奴の言うことなんか聞くな!!早くここから逃げろ!!―――っっ」

 冷香さんが僕の首に当てていたレイピアを少し引いた。薄皮が切れてほんの少し血が流れる。

「よせ!やめろっ!!」

「では鍵太郎くん。鍵になってくれるかな」

「―――そういう事か…、そんなに白金の本が読みたいのか。その程度のことでこんな…っ!」

「その程度?いやいや、オレにとってはとても大きなことだよ。生まれ落ちてから無条件に知識を得ている君たちには分かるまい」

「?、なんの事だ」

「話す義理はないね。さぁ、どうする?」

「……本当に紡さんには手出ししないんだな」

「ああ、誓って。白金の鍵さえ手に入ればいいんだ」

「………………」

「ちょ、ちょっと待って…鍵太郎っ!!!」

 鍵太郎は僕の目を見て微笑んだ。そしてその姿を鍵に変えた。

 森川さんは白金に輝く鍵を手にして黒い組紐のような物を結びつけた。その紐はとても禍々しいものに見えた。

「なんだよっそれ!?鍵太郎に変なもん結ぶな!!」

「これは時縛りの紐。男に裏切られ続け、死んでいった女たちの髪を束ねて編んだものだよ。この紐には怨念と強い執着心が篭っていて、捉えたものの時を止めて決して離さない」

「時を…止める?」

「もう鍵太郎くんは己の力では元の姿に戻れないという事さ」

「そんな……!!鍵太郎を返せ!!」

 僕の言い分を無視して冷香さんは僕の縄を切り、再びレイピアの剣先を向けた。

「これ以上の長居は迷惑ですわ。この部屋を血で汚したくありませんの。お引き取り下さる?」

 向けられた剣先を無視して鍵を取り返そうとすると、それを見越した森川さんがとんでもない事を言い放った。

「ああ、そうそう。鍵を奪い返そうなんて考えないことだ。君のお友達…原田さんって言ったっけ?彼女可愛いね。オレは美しいものが大好きでね、美少女の波乱に満ちた人生を読むのが何より至福なんだ」

 森川さんはそこで一旦言葉を切ると、仄暗い歪んだ笑みを浮かべた。

「もし彼女が死んで本になったら何色の表紙になるんだろうね?」

「――――っっ!!!………かっ彼女に何かしてみろ……絶対に許さない……!!!」

「君が妙な気を起こさなければいいだけの話しさ」

「く………っ!」

 悔しいが僕一人では霊体である冷香さんはもちろん、力でも体の大きさでも敵わない森川さんに勝てる気がしない。惨めな捨て台詞を吐いてその場を去るしかなかった。


 あちら側に冷香さんがいる限り、鍵太郎を救うにはこちらにも霊的な力が必要だ。

 僕はタクシーを拾い、一度後にした母校へ向かった。



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