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ココロ物語の鍵と管理人  作者: 土の屋錦二
第二章 コレクター
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7.進化


 暗闇の向こう、全方位から無数の邪気が僕の持つ銀色の本に向けられている。

 よほどのご馳走なのだろう、紙魚たちの堪えきれない欲が洞窟内に充満していて息苦しいような錯覚を覚える。

「行きます」

 いつものように鍵太郎は僕を小脇に抱えて宙を飛んだ。左手に持つレイピアを巧みに操って襲い来る紙魚たちを次々と薙いでいく。今回もかなり数が多い。

 この間、僕に出来ることは本を奪われないように胸に抱き込んで、手足を縮めてじっとしているしかない。

 今回も本を死守するために荷物のように丸まっていたのだが、先程の重圧による疲労で手足を上手く縮ませることができない。紙魚はそれを見逃さなかった。

「えっ――――うわっ!?」

 一体の紙魚が後ろから僕の右足首を掴んだ。その拍子に僕の体は鍵太郎の右腕から離れ、地面に叩きつけられた。幸い洞窟内なのでそれほど高い位置を飛んでおらず、大事には至らなかったが右半身を強かに打った衝撃からしばらく起き上がれなかった。

「うぅっ……!」

「紡さん!?」

 突然右腕に重さを感じなくなり、驚いた鍵太郎が地面に倒れ伏している僕を見て声を上げた。

「うああっ!!」

 掴まれていた右足首をもの凄い力で絞められて堪らずに悲鳴を上げてしまった。鍵太郎はいとも容易く紙魚を倒しているので非力なイメージだったが、それは全くの思い違いだった。とんでもない馬鹿力だ。やはりこの化物は人の力では到底太刀打ちできない。

 落下した時に折れたのか、それとも元々折れていたのか、僕の足を掴む目の前の紙魚は左の触覚が折れていた。

「は、離せ…っ!」

 骨が砕けそうな痛みに必死で振り払おうと、左足で紙魚を蹴りつけるも全くビクともしない。それどころかこの程度の蹴りなど痒くもないと言わんばかりにニタリと余裕の笑みを漏らした。そして――――。


「ク、イ……タイ」


 今までこの化物の口から聞いた声は悲鳴のみだった。蟲の悪霊故に言語を解さない、知能のない化物だと思っていた。

(今…”喰いたい”って言った…)

 そう理解した瞬間、全身から冷や汗が吹き出した。痛みも忘れて呆然と目の前の紙魚の空洞のような目を見た。

 周りには無数の紙魚が地面に座り込んだ僕を取り囲んでいる。狙うものはただ一つ、僕が抱え持つ銀の本だ。その本を我がものとするために、邪魔な僕を彼らが持つ鋭い触覚で串刺しにするだろう。

 人生最期に見たものが紙魚の顔面だなんて最悪だと思った直後、いつもの見慣れた燕尾服が視界いっぱいに広がった。その体が複数の触覚で串刺しになっている。

 瞬間移動してきた鍵太郎が、岩壁と己の間に僕を挟んで両手を付き、囲うように守ってくれたのだ。

 僕と鍵太郎の目が合う。彼は信じられないものでも見るような顔をしていた。きっと僕も同じ顔をしていただろう。

 その時感じた感覚は熱。左肩の辺りがとても熱かった。次に僕を襲ったのは激痛。

「あ………っ…っ」

 あまりの激痛に呼吸が上手くできず、悲鳴さえまともに出てこなかった。

 鍵太郎は僕を守りきれなかった。一本だけ彼の脇をすり抜けた触覚が、僕の左鎖骨の下を貫通して背後の岩壁に縫い付けるように突き刺さっていた。



「ご馳走様でした!美味しかったね~」

 原田家御一行はケーキを食べると言うノルマをそれぞれ果たし、手を合わせてティータイムを終了した。

「保戸塚さん遅いねぇ」

 ティッシュで口の周りを拭き、紅茶を一口飲んで和歌が言った。

「今日は人が大勢いるからね、トイレも混んでるのよ」

 小鈴はそう言いながらも目の前の、紡の席にあるほとんど手付かずのケーキを見て内心気を揉んでいた。

(保戸塚くん大丈夫かな…人混みに酔って具合悪くなってたりしてないよね)

 高校時代、よく学校で倒れている彼の姿を見ていたのでこのような時はいつも落ち着かない。

 初めのうちは謝罪する機会を伺うためにいつも彼の姿をこっそりと追っていたのだが、どうにも危うくて見ていてハラハラするのだ。

 そんな彼を見ていて気づいたことがある。倒れた時に周りの友人たちが心配して差し伸べた手を、いつも申し訳なさそうに取っていた。こちら側から言えば全く迷惑だとは思わないのだが、彼はそうは思わないらしい。いや、思えないようだ。

 小耳に挟んだ話だが彼は幼い頃からああいった体質で、いつも人に迷惑をかけていると思っているらしい。そう言うところが危ういのだ。何に対してもいつも自分が悪いと気持ちを内側に向けてしまう。それは彼の優しい性格故なのだろうが、あまりにもその状態が長く続くと最悪、心が壊れかねない。

 紡のそういった面を小鈴は心配していた。

(もう少し周りを頼ってくれてもいいのに…)


「保戸塚さんってさ、仔犬みたいで可愛いよね」

 丁度口に含んだ紅茶を吹きそうになった。

「和歌…年上の人に失礼でしょ」

「でもさ~、あのつぶらな目を見てるとうちの忠勝を彷彿とさせるんだよね」

 否定できない。我が妹ながら人間観察がよく出来ている。

「なんて言うか、庇護欲?が掻き立てられるのよ」

「ひごよくって何だ?」

「………………」

 庇護欲の意味が分からず喚きたてる末っ子をよそに、ませた発言をする三女に頭を抱えた長女であった。



 鍵太郎は大きく目を見開いて、僕の左肩に食い込んだ紙魚の触覚を見ていた。この時の彼の表情が忘れられない。子供が取り返しのつかない失敗をしてしまった時のような、怯えが混じったような顔をしている。かなり動揺しているようだ。

 そんな顔しなくていいのに。お前のせいじゃないのに。少し休んだ方がいいと言ってくれた彼の言葉を聞き流してここへ来たのは僕だ。これは僕のせいだ。

 そうだ、今回こそは僕がしっかりしないと。でなければきっと彼は自分を責める。僕一人の問題じゃないんだ。今僕は鍵太郎とコンビを組んでこの本を守っている。以前のように発作を起こしたからといって、誰かに助けられるまで道端に倒れていればいいと言う訳にはいかない。

 この絶望的な状況を打破しなければならない。そこで思い出したのが、以前森川さんに教えてもらった紙魚の弱点だ。

「か、鍵…た…っ、ひ…かり――――強い光をっ…!」

 左肩の激痛に耐えてなんとか声を絞り出した。

「っ!!!」

 我に返った彼の変貌振りが凄かった。怯えた表情は完全に消え失せ鬼の形相に変わる。

「――――てめぇら……何てことしやがるっっ!!!」

 振り向きざまに右手を横一線に薙ぐと無数の光の球が現れた。直径五十センチ程度のそれは四方八方に散り、彼の感情が具現化したように強い光を放つ。

 薄暗かった洞窟が昼間のように明るくなり、その光をまともに浴びた紙魚たちが断末魔を上げてそこかしこに倒れていった。

 串刺し状態から解放されてやっと動けるようになった鍵太郎は、僕の左肩を止血するために羽織っていたマントで患部をきつく縛り、僕を抱えると山門を目指してものすごいスピードで飛んだ。

 風圧で飛ばされ、遠ざかるシルクハットを鍵太郎の肩越しに見送ったのを最後に僕の記憶はそこで途絶えた。


 山門を抜けて紙魚たちの追撃を振り切った鍵太郎は、抱えていた紡をそっと地面に横たえた。

「なんだ、怪我でもしたのか」

 閻王は玉座に座ったまま、呼吸の浅い顔面蒼白の紡を見た。止血のために巻かれている黒いマントは血の色を映さないが匂いでわかる。出血が酷いようだ。

「紡さんを助けてください!お願いします!あなたなら治せますよね!?俺なんでもしますから!!」

 鍵太郎の必死の懇願には応えず、閻王は玉座から腰を上げて紡の横に膝をつき、シャツを引き裂くと怪我の具合を見た。

「………………」

 すぐに返答をしない閻王に業を煮やし、鍵太郎はとうとう絶対君主である彼女に対し怒鳴り散らした。

「…あんた白金は貴重だと言ったな…俺はこの人以外の管理人と組む気はねぇぞっ!!!」

 辺りの空気にバチバチと火花が散る。

 いつもは言葉遣いに厳しい彼女だが、今は全く意に介していない様子だ。それどころかどこか嬉しそうに不敵に笑った。

「このアタシを脅すか。くくっ見上げた根性だな、それでこそ白金の鍵よ―――まぁ、落ち着け。助けないとは言っていない。ただアタシは生者には直接干渉はできない。それは貴様も知っているだろう。しかし”道具”を与えることはできる」

「道具…?それで紡さんが助かるんですか」

「宝物庫に何かあるはずだ、探してくるから少し待て。動脈は傷ついていないようだが出血が酷い。しっかり押さえとけよ」

 閻王は去り際に紡を見て目を細めた。重症を負って意識を失っていてもなお、その手には魂たる銀色の本が抱きしめられている。

(ふふ…少しは成長した、か?)



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