1.同業者
「ふふ、そうきたか。本当にこの本は面白い」
「その本が気に入りましたの、真人」
「ああ、この可憐な少女が主人公の本はなかなか先が読めなくて面白いんだ」
高層マンションの一室。
間接照明のみで照らされた室内で、ベージュの革張りソファに二十代後半と思しき青年が、足を投げ出し横になって本を読んでいる。男なら誰もが羨む美女の膝枕付きでだ。
青年と同じ年代に見える美女は意志の強そうなつり上がった太めの眉に、同じくつり上がり気味の猫のような大きな目をしていて瞳の色は金色だ。目と同じ色の金髪はハーフアップで縦に巻かれ、何本かの束に分けられて白く華奢な背中を覆っている。
身に纏っている衣服は現代の日本では通常、あまりお目にかかれないような豪華なドレス。
ふんわりした生地をふんだんに使用し、これでもかと言うほど裾の広がったものだ。タンザナイトを思わせる青紫色が金髪を美しく引き立てている。
「これも面白いけど、そろそろ新しい本が欲しいな」
「それならまた探しに行きましょう、あなたのためなら何でも致しますわ」
「ありがとう、冷香。君はオレの最高のパートナーだよ」
その言葉を受けた美女は、青年の右目のすぐ下にある小さな黒子を愛おしそうに撫で、ローズに色づいた薄い唇が満足気に弧を描いた。
「うわっキモチ悪っ」
「何を調べているのですか」
「紙魚だよ、検索してみたら画像がわんさか出てきた。まさか実際にいる害虫だったとは…」
鍵の鍵太郎とコンビを組んで故人の本の管理人として、何人かの魂を浄化してきた。
相変わらず紙魚には手を焼いていて、なにか打開策はないかとダメもとでネットで調べてみたら、どこにでもいる害虫だと分かった。埃っぽくて暗く湿った場所を好み、乾燥した本の紙やお米などを食べるという。見た目は4、5ミリ程度の小さな虫だが、銀色っぽい色をしているところや生体なんかは、あの化物紙魚と同じだ。
しかし殺虫剤で簡単に退治できると分かったくらいで、特に良い手は見つからない。
(あの化物紙魚に殺虫剤は効かないよなぁ)
僕の背後からパソコンのモニターを覗き込んでいる鍵太郎を見た。
彼のお陰で今のところ怪我もなく続けていられるが、あの体を貫通するほどの鋭い触覚は脅威だ。正直、あの猛攻をかわしながら閻王のところまで行くのは命懸けとも言える。
閻王の話によると、紙魚はいつの間にか湧いて出てきた悪霊の類だと言っていた。
僕が考えるに、あれは実際にいる紙魚の霊が悪霊化したものなんじゃないかと思った。
なんにせよ、あの化物は障害物として受け入れなければならないようだ。霊体とは言え年下の鍵太郎に危険な役割を担ってもらうのは気が引けるが、こればかりは仕方がない。
「紡~、暇だったら牛乳買ってきて~」
母が階下から声をかけてきた。
今日は日曜日。苦手な父が家にいるので、僕は二つ返事でお使いを引き受けた。
最近、魂の浄化で頻繁に外出するようになったので、以前より外に出ても発作を起こさなくなってきた。もっとも一番の理由はいつでも傍に鍵太郎がいるという安心感からくるものだが。
我が家では専ら食材の買出しは、通学途中にあるあの商店街を利用している。
今日はなんだか体の調子もいいので牛乳を買う前に、少し足を伸ばして駅前のカフェに寄ってみた。大通りに面した店で、道行く人々を眺めながらコーヒーを飲むことができる。僕は少しでも外に慣れたくて、店内ではなく外の席に座り、陽を浴びながらコーヒーを飲んだ。
「…紡さんが大人に見えます」
(は?今なんつった?見えるもなにも、正真正銘の大人だ。…年齢だけは)
僕以外に見えていない鍵太郎を、どういう意味だと言わんばかりに睨んだ。
「あ、いえ、私はこういう洒落た店に入ったことがないもので…」
そりゃあ、部活に明け暮れてればこんな店で呑気にティータイムなんてできないだろう。そもそも中高生には敷居が高い店だ。期間限定のフレーバーなんか一番小さいサイズでも500円くらいする。
「………………」
”大人”とか威張って言えないな。なにせ、親からもらった小遣いでここへ来ているんだから。
(バイトしたいなぁ…できるかな、こんな僕に。発作の事を考えると恐ろしくて踏み出せない…)
「近くに本の気配がします」
「!」
鍵太郎が向かいにあるビルの屋上を見ている。
僕は半分ほど減ったコーヒーを一気に飲み干すと、店を出てそのビルへ向かった。
建物の間にある細い路地裏へ入り、辺りに人がいないことを確認してから口を開いた。
「このビル?」
「はい、今屋上へお連れします」
鍵太郎は背後から僕を抱え、一気に五階建てビルの屋上まで飛んだ。
本来ならこんな昼間に人の目につく危険性がある場所でこんな真似は極力避けたいところだが、ビル内に入って非常口へ行く方が監視カメラもあるし逆に怪しまれる。
(それにしても、この空飛ぶのだいぶ慣れたな~)
屋上は高さ1.3メートルくらいのコンクリートの塀で囲われていて、さらにその上には1.5メートルくらいの金網が張られていた。
「えぇ~………」
金網の近くに本はあった。その表紙の色は金色。この色の表紙の本とは初めて遭遇した。
「僕には無理だよぉ、この本は」
「大丈夫です、紡さんなら浄化できます」
「いやいや、ついこの間の銀色の本のこと忘れてないよね?」
先日、銀色の表紙の本の中に入った。覚悟はしていたが想像以上に念が重くて、足を踏み入れたとたん僕は潰れた。起きることもできず、かと言って入ってしまったからには放棄もできず結局本の中にいるあいだ中、鍵太郎に背負われていたという屈辱を味わったばかりだ。
「おや珍しい」
「!?」
突然背後から声をかけられて心臓が跳ねた。警備員にばれたかと思い、振り向くとそこには二十代後半くらいの優男が立っていた。
センターパートで分けられた長めの前髪を左右に分けていて、間から除く額が知的な雰囲気を出している。右目のすぐ下にある小さな黒子が印象的だ。
「ああ、ごめんごめん、驚かせちゃったかな。君も管理人だろ、”本”の。随分若いね」
「え!?」
「同業者と会うのは久しぶりだ」
「じ、じゃあ、あなたも!?」
僕以外の管理人!
閻王の説明から他にも管理人がいるであろうことは分かってたけど、こんなに早く会えるとは思っていなかった。
「オレは森川真人、彼女はパートナーの冷香だ。見ての通り金の鍵だよ」
森川さんの背後に影のように寄り添っていた女性が一歩前へ出た。
まるでおとぎの国から出てきたようなお姫様と言った感じの美女だ。長いドレスを少し摘んで軽く膝を折り、僕に向かって会釈して微笑んだ。
管理人になると他の鍵も見ることが出来るのか。
「初めまして、ご機嫌麗しゅう。わたくし冷香と申します。以後お見知りおきを」
ご機嫌麗しゅう!?そんな挨拶されたの初めてだ!
「あっあの僕、保戸塚紡って言います!こっちのデカイのは鍵太郎です!」
「――――もしかして、」
森川さんは鍵太郎を頭のてっぺんからつま先までまじまじと見ると大きく目を見開いた。
「失礼、もし良かったらそのシルクハットを取ってもらえるかな」
「……………」
顔には出ていないが、鍵太郎はムッとしているようだ。ジロジロ見られたのが気に食わなかったらしい。
「か、鍵太郎っ」
このままでは相手に失礼になると思い、帽子を脱ぐように急かすと鍵太郎は渋々シルクハットを外し、森川さんを威圧するように見下ろした。
「ああ、やっぱり!その髪の輝きと目の色…驚いたな!君は白金の鍵か!オレはもう五年この稼業をしてるけど、白金の鍵を見たのは初めてだよ…本当にいたんだな!」
鍵太郎の鋭い目付きをものともせず、森川さんはかなり驚いている様子だ。まるで長年求め続けた宝物をようやく見つけたような興奮ぶりで、僕はちょっと引いてしまった。
自分のパートナーがいる前で他の鍵にここまで食いつくのはどうかと思う。冷香さん、なんだかちょっと悲しげな顔をしているぞ。
「あ、あの」
このままでは冷香さんが気の毒だし鍵太郎も嫌そうにしているので、僕は森川さんと鍵太郎の間に入った。
「あっああ、ごめん!白金はかなり貴重なものだからちょっと興奮してしまったよ。それより君、この金の本を浄化するんだろう?邪魔して悪かったね」
「あー…、それなんですが、金の表紙はまだ僕にはレベルが高そうで困ってたんです」
「え?そうなの?あははっそりゃまだまだメンタルが弱い証拠だね。管理人になったばかりなのかな」
痛い所を突かれてしまった。やっぱり僕にはまだ赤茶が限度かな。
って、鍵太郎、そんな攻撃的な視線を初対面の人に向けちゃいけません。別に馬鹿にされた訳じゃないから。彼は事実を言ってるだけだから。
「まだ一ヶ月くらいしか経ってないんですよ」
「そういうことなら、オレが引き受けようか?冷香なら鍵を開けられるし」
「すみません、なんだか押し付けちゃうみたいで…是非お願いします」
「うん、ちゃんと丁重に浄化するから安心して。そうだ、連絡先交換しないか?なにか困ったことがあったらいつでも相談に乗るよ」
「い、いいんですか!?助かります、僕まだ同業者の知り合いがいなくて…よろしくお願いします!」
金の表紙の本を森川さんに託し、その日はそのまま帰宅した。もちろん母に頼まれた牛乳を買うことも忘れない。
正直、森川さんと出会えてよかった。先輩管理人が知り合いにいれば、分からないこととか色々聞けると思うし。
そうだ、今度紙魚にはどう対応しているのか聞いてみよう。
鍵太郎の負担が少しでも減ればいいな。




