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【ベラドンナの”魔女” -誕生-】

作者: 蒼宮 那雪

 魔女なんて、昔はどこにでもいたものだ。

 西洋のお伽噺に登場するような、杖一本で魔法を使い箒に乗って空を自由に飛び回る、そんな所謂“魔女”ではなく、身も蓋もない言い方をしてしまえば“ご近所の物知りおばあさん”なら、どんな小さな村にも必ず一人はいた。医療が発達していない昔には、“ご近所の物知りおばあさん”に薬を作ってもらったり、出産の手伝いをしてもらったり、年頃の少女はまじないを教えてもらったり、そのおばあさんに聞けばなんでも解決した。そういう知識を豊富に持ったおばあさんのことを、畏敬の念を込めて“魔女”と呼んだ。

 私が最初に住んでいた街は、海に面した漁業の盛んな街だった。秋になると大量に捕れるさんまが特産品で、私もよく母に連れられて加工場に遊びに行った。

 その母は私の歳が二桁になる前の秋に亡くなった。

 過労のせいだっただろうと思う。未婚の母だった。母以外に身寄りのない私は、当然、母がいなくなれば独りきりで後は選り分けられて捨てられていく魚のように、その辺で腐って死んでいくのだと思った。

しかし、そうはならなかった。母が亡くなった翌日、私の父を名乗る男が現れた。男は身寄りのない私を引き取ってくれた。

 私は男に連れられて、山奥の小さな村に住むことになった。そこが男の家がある場所らしい。海鳴りも聞こえなければ、生臭い魚の匂いもしない。鳥の鳴き声が聞こえてくる、森の清浄な空気の匂いがする、そんな場所だった。男に連れられて入った男の家には、二人の女がいた。一人は男の妻だと云う。男に紹介されながら、私に対してもにこやかに、初めましてようこそと愛想よくそう云った。もう一人は私と同じくらいの見た目だった。男は娘だと云った。さらに続けて、君の妹だ、とも。

母親を失った私に、突如、家族ができた。父と、母、そして妹。妹は私より小さく、彼女の母親に似て愛想の良い子どもだった。人懐こい妹は、私という家族に突如入り込んだ異物にも全く抵抗を見せる様子なく姉として私に接してきた。新しくできた母親も母として私に接してきた。それがまるで、私には家族ごっこのように感じられた。

こうして私は姉妹の姉の方として、家族に入り込んだ。

 村には小さな学校があった。学校といっても、年齢に関係なく子どもに属する者たちが、両親の仕事中に集まって勉強をするというような、そんな場所だった。場所を提供してくれていたのは、もう八〇歳を超えようかという老婦人で、優しく子ども好きであることが一目でわかるような、そしてその通りの人柄だった。村でその老婦人のことを知らない人はいないようだった。なぜなら、村の者は誰もが困ったことがあるとその老婦人に助けを求めに来る。困ったこと、とはずいぶん抽象的だが、それしか云いようがない。子どもに勉強を教えたり、怪我、病気はもちろん、料理のレシピや掃除の仕方といった日常にかかわることから、冠婚葬祭まで人生のすべての場面における知識と、それに対処する術をこの老婦人は身に付けているようだった。

 村の者は、その老婦人を“魔女”と呼んでいた。

 老婦人の家、私たちが云う所の学校には、膨大な数の書籍があった。一体、この小さな村にどこからこれほどの数の本を集めて来たのかと不思議に思ってしまうほど、村の書籍の全てはここだった。幼い頃から同じ空間で育ってきた子どもたちの中に、私はなかなか入っていくことができなかった。子どもたちが私を拒否していたわけではない。私が彼らのように遊びまわることを拒否していたのだ。だから私は一人で本を読んでいることが多かった。むしろ学校にいる間は常に本を読んでいた。老婦人の本はジャンルを問わず、どんな本でもそこにはあった。まだ一〇歳にも満たない私には、其処にある本が世界の全ての本であるように感じた。貪るように読む私を見て、老婦人はそれを止めて他の子どもたちと遊ぶようにと説教することは全くなく、むしろ私が面白がりそうな本を勧めてくれた。

 家族の中で私はいつまでも異質な存在だった。血のつながりのない家族はとても優しかった。その優しさが、余計に違和感を引き立てるような、妙な罪悪感を抱えて、私は家族の中に入り込んでいた。そのためだろうか、私は学校がある日は誰よりも遅くまで残って老婦人と話し、学校がない日であっても学校で老婦人の側にいた。

 老婦人は私がいつ来ても優しい顔で出迎えた。家族のそれではない。他人だからかもしれないが、私にはその温かな笑顔が心地良く、次第に本よりも老婦人と話しをすることを目当てに訪れるようになった。

老婦人は猫を一匹飼っていた。黒い艶々とした毛並の、すらりとした猫だった。黒猫はいつも窓辺で寝ているか、まったくそこにいないかのどちらかだった。私は窓辺の寝床で寝ている以外の黒猫を見たことがなかった。老婦人は寝ている黒猫を見つめる私に云った。黒猫は不吉だと嫌われることもあるけれど、場所によっては吉兆なのだ、と。

それが、私が教えてもらった“魔女”の知識の一つ目だった。

おばあちゃんのところには、毎日村の人が入れ替わりやってきた。子どもが熱を出した、木の実を拾ったが食べても安全か、キッチンの油汚れはどうしたら綺麗になるか。毎日違った悩みを持つ人が訪れてはおばあちゃんに助けを求めた。それに嫌な顔一つせず、おばあちゃんは応えた。おばあちゃんの近くで村の人とのやりとりを見る私は、おばあちゃんの知恵を少しずつ学んでいった。掃除の仕方、森で採れる木の実やきのこはどれが食べることができるのか、空を見て明日の天気を知る方法、などだ。

毎日、おばあちゃんの側でおばあちゃんの“魔女”を見ていた私に、おばあちゃんは云った。

お前に、“魔女”を教えてあげよう。

その日から、おばあちゃんは毎日私に、私だけに丁寧に教えてくれた。おばあちゃんが“魔女”と呼ばれる理由、その知識のいろいろを、村の人を助けるときのようではなく、きちんとその知識が身につくように教えてくれた。おばあちゃんの口癖は、“魔女”は必ず人を助けるためになくてはならない、だった。

三年が過ぎる頃には、私はすっかり“魔女”の右腕だった。

“魔女”から習う知識の中で、最も難しかったのが薬の調合だった。“魔女”は森の中にある草や花を使って、あるときは木の皮やきのこを使って、村の人が求める様々な薬を調合した。私は森の草木の種類を見分けることがまず苦手だった。どれも同じに見える緑の中から、自分が欲しいものを見つけるのは至難の業だった。簡単な風邪の薬を調合しようと森に出て、採ってきた野草を見せると、“魔女”にこれはお腹に効く薬を作るのかいと聞かれたこともあった。私はむっと膨れて、来る日も来る日も“魔女”を真似て薬を作った。“魔女”が薬を作っている隣で、同じ道具で同じように調合し、森に行けばメモを欠かさず、私はこの時になると、無意識に“魔女”の全ての知識を受け継ごうとしていたのだろう。

その私を見て、“魔女”はただ優しく微笑んでいた。

さらに四年をかけて、私は漸く“魔女”の薬を一人前に調合できるようになった。







私がこの村に来て、八度目の秋、“魔女”は死んだ。

老衰、だと村に呼ばれた医者は云った。村の者全員が、“魔女”の死を悼んだ。しかし、私にはどうしても“魔女”が死んだとは思えなかった。母が死んだときとは違う。私は”魔女”が死ぬ前に、“魔女”からあらゆる知識を受け継いだ。それらが私の中で生きているからだと、私は暫くしてから気付いた。そして、それに気づいてから私はようやく泣くことができた。やはりまた、秋だった。

 私は山を一つ越えた先にある街で、そこにある高等学校に通っていた。村からその街には、一日に二度バスが運行していた。それに乗って通っている。私が学校に行くことは、“魔女”の望みだった。“魔女”としての修業だけしていたかった私に、“魔女”の修行は一日に二時間までだと厳しく云ったのも、“魔女”だった。私が妹とその学校に通う頃になると、私たちの両親はすでにこの世になかった。私たちは二人で生活していた。妹は私と違って、明るく誰からも好かれるような、月並みな表現だがそうした娘になっていた。笑うことの少ない私の代わりも請け負っているかのように、妹は二人分の笑顔を持っていた。ただ、そんな理想の娘の妹にも、一つだけ悩みがあるようだった。それは、庭に咲いた女郎花を摘みながら妹がぽつりと打ち明けた悩みだった。妹は顔立ちが小さいことと、前髪をいつも伸ばしていたので目立たなかったが、私と比べても瞳の大きさが足りなかった。私は母から受け継いだ黒い髪と黒い瞳を持っていたが、彼女は彼女の母親から受け継いだ栗色の髪とグレーの瞳を持っていた。グレーでは、白に混じって余計に目が小さく見えた。それが悩みだと彼女は云った。

 女郎花は、どこかの国では美しい女性に喩えられると“魔女”から聞いたことがある。妹には女郎花が良く似合った。それを伝えても、妹は悲しげに笑っていた。丁度、妹が一六になる年のことだった。

 私は“魔女”から受け継いだ知識で、村の新しい“魔女”になっていた。先代の“魔女”には身寄りがなかったらしい。そのため、“魔女”が持っていた財産、学校として使われていた“魔女”の自宅にあった膨大な数の書籍、はすべて私に遺された。“魔女”の死後、自宅から遺書が見つかったのだ。文字通り、私は“魔女”の全てを受け継ぐことになった。そのため、これまで先代の“魔女”の元に通っていた村人は、必然的に私の元に助けを求めて通うようになった。私は“魔女”として、村の中での地位を獲得したのだ。後に私が聞いたところによると、先代の“魔女”もこの村の者ではなく、随分前にどこかともなく別の場所からこの村にやって来たらしい。偶然とは時に奇妙なものだ。先代の“魔女”の家をそのまま受け継いだ私は、すべての部屋を確認した。特に書籍に関しては、私が今まで読んだことのあるものと、読んだことのないものに分類し、読んだことのないものは全て読もうと決めて、家に持ち帰った。家の中の全ての本を分類するのに、一月はかかった。分類が終わり、ほっと一息ついたとき、私は今まで本棚の下敷きになっていた床に、取っ手があるのを見つけた。本棚を避け、その取っ手を開けると、地下へ続く階段が現れた。先代の“魔女”から、その場所について聞いたことはなかった。私は灯りを持って、その地下へ降りて行った。暗い闇の中で、その小さな灯りはなんとも心細かった。目が暗闇に慣れてくると、その場所が露わになった。そこは四畳ほどの小さな部屋だった。そこにあったのは、ひび割れたフラスコや乾いたアルコールランプ、埃を被った注射器、そして医学書を中心とした書籍数々だった。先代の“魔女”は、医者か、研究者だったのだろうか、と私は初めて“魔女”の素性について考えた。考えながら、本を漁っていると、その中の一冊に、“魔女”が自身で書いたらしい本があった。手書きのその本は、随分古いもののようで、触るとぼろぼろと表紙が崩れてしまうような、そんな本だった。私はその本だけを持って地上にあがった。

 地上に上がり、私は満たされるような幸福を感じていた。

 こうして、私は女子高生と“魔女”という二つの生活を送ることになった。私が学校から帰宅する時間、隣街からのバスが到着するなり、村人は私のことを待っていた。気分は悪いものではなかった。元々、余所者である私が村にやっと受け入れてもらったような気がしていた。

 高校生としての生活の方は、ごくごく普通のものであった。幼い頃から先代の“魔女”の元にあった膨大な書籍を読んでいたおかげで、勉強で不自由することはなかった。他の多くの者よりもよくできたと云っても、云い過ぎではなかったと思う。友人と呼べるようなものこそ少なかっただろうが、毎日をそれなりに過ごすには充分な人数を私は知っていた。

 その中に、その人はいた。

 学級が二つしかないその学校で、その人は私の隣の学級に在籍していた。目立つ存在ではない。いや、むしろ女子学生の注目する他の男子高校生、勉強ができたり運動が出来たり見た目が良かったり、よりも特徴のない、控えめな人だった。その人はいつも図書室にいて、他の学生があまり手を出さないような厚い本を読んでいた。元来、本を読むことが好きで図書室にもやはり入り浸っていた私は、必然的にその人と顔を合わせることが多かった。話をすることも、私が他の学生と話す頻度と比べれば多かった。その人にも弟が一人いるらしい。きょうだいの話で私たちは多くの時間を使った。話に興じすぎて、バスの時間が迫っていることに気付かず、妹が迎えに来ることもしばしばあった。そうしたときは決まって、少し残念そうに眉を歪めて優しくまたねと云ってくれた。

 好きだったのだと思う。

 学校では何が起こるともなく、普通に過ごした。村での生活はと云えば、村に帰れば他の人があまりしていないというだけで、“魔女”は私にとっては普通の毎日だった。普通の毎日。しかし、普通だとしても、その二つを私が往復する毎日だったために、それは起こったのだろう。

 妹もまた、その男子高校生を好きになった。

 それを知ったとき、私は腹違いとはいえやはり姉妹だったのだと、改めて妹との関係を再確認した。我ながら、珍しく呑気な感想だったと思う。また妹は私の気持ちを知らなかった。だからこそ、私に相談したのだろう。庭の女郎花を摘みながら。想いを伝えたいのだと私に云った妹は、それでもコンプレックスの目のせいで伝えることができないと云った。綺麗になりたい、とも。

 私は妹の悩みと願いの間の、僅かなズレを感じていた。

 妹があの人を好きになった。それは私を多く悩ませた。それまでぼんやりと感じていた自分の中の違和感を、その悩みは明確にさせた。私も、妹と同じくあの人が好きなのだと気づいたとき、私は恐らく人生で初めて涙というものを流した。妹にはかなわないと、そのとき自身で直観したのだ。

 どうにかできないかな、妹はそのとき確かに“魔女”に向かってそう云っていた。

 妹は本当に愛らしい娘だった。こんな風になれたら、と何度思ったかわからない。その妹が、私に、“魔女”に綺麗になることを望んでいる。私は自分の中に初めての感情が浮かんでくるのを感じていた。

 そして、あの先代の“魔女”の書物を開けた。

 地下室から見つけた手書きの本。それには人の願いが綴られていた。金持ちになりたい、長生きをしたい、そして、綺麗になりたい。その願いと共に、願いを叶えるための方法も記されていた。

 綺麗になりたい、その願いの項目に、妹のコンプレックスをなくすことができる方法があった。

 ベラドンナの妙薬。

 そう書かれていた。ベラドンナ、私はそれを先代の“魔女”と共に森で見ている。ベラドンナは小さな黒い実だった。先代の“魔女”はその実を決して食べてはならないと云っていた。しかし、食べてはならないと云った本人が書いたものに、それを使った薬が載っている。それは先代の“魔女”が試したということではないのか。

 私は、妹に願いを叶えてあげるとだけ告げて、すぐにベラドンナを採りに行った。

 ベラドンナの妙薬は、三日で出来上がった。

 それは黒い、艶のある液体だった。

 妹は出来上がったそれを愛おしげに見つめ、私に礼を云った。“魔女”の本によると、それは直接点眼するらしい。妹は一つ深呼吸をすると、そっと目にその黒々とした液体を落とした。

 一瞬、痛みを感じたのか、妹は表情を歪めた。

 妹の目は、見違えるほどに大きく開いた。彼女が望んだとおり、瞳が大きく、ぱっちりとした目になった。彼女の人懐っこい性格を助長する、完璧な瞳だった。

 ありがとう、という妹の嬉しそうな顔に、私は笑った顔で応えた。

 妹はあの人に想いを伝えた。

 そのことを私が聞いたのは、私が森に消えて一年が過ぎたころだった。妹にありったけのベラドンナの妙薬を残し、私は彼女の前から姿を消した。先代の“魔女”が書いた本だけを持って、私はそれ以上彼女の前にはいられなかった。あの人と、妹が一緒にいるところなど、私にはとても耐えられそうになかった。

 妹はあの人と結婚し、子どもができた。

 妹が光を失って死んだと私が聞いたのは、それから五年もあとのことだった。


                         終


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