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八人の魔法使い  作者: 小伽華志
サトラ・ミナ編
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初めての感情






 点滴の中に滴り落ちる水滴の響きが、何故だか震えているように感じた。


 ケージの中で丸まった彼の存在は、とても希薄で危うい。


 まるで、皮膚から伸びる管のみが、彼をこの世に繋ぎとめているようだ。


 ふと、彼が瞼を上げる。


 生気の抜け落ちた瞳が、彼女の姿を認めた瞬間、憎しみの焔を灯した。


 「き……さ、ま…!」


 体毛の下でも分かるほどに血管の浮いた喉を震わせて、彼は怨嗟の呻きを発する。


 不意に、彼の瞳から滲んだ雫がくすんだ毛並みを滑り落ちていった。


 「……何故……貴様達は、我から『死』を……取り上げたのだ……」


 じわりと、彼の全身にどす黒い澱みが滲む。


 彼が流した悔し涙は、紅い血涙となって澱みの中へ紛れ込んだ。


 「娘……貴様も、あの場所にいたのだろう……?貴様の肌から匂うぞ…あの、腐った力の悪臭が……‼」


 彼の瞳で燃え上がる焔は憎しみだ。しかし、その芯となっているのは悔しみだ。


 「何故貴様は!その腐敗した力を呑み込んだのだ!?何故、それを呑み込んでなお生きようと!そう思えるんだ!?何故……貴様は、貴様にそれを植え付けたのは人間だぞ!?それなのに、どうして……あいつらと同じように、生きれるんだっ………!」


 憎しみを、悔しさを、怒りを、疑問を、そして哀しみを込めた彼の叫びは、部屋の中で空しく木霊す。


 その瞬間、彼の目の前に光が舞った。


 彼女の動きに置いて行かれた淡い金髪が、ふわりと空気を孕んで膨らむ。


 琥珀は、彼の首元にしがみつきながらそっと口を開く。


 「私ハ、人間ノ過チヲ呑ミ込ンダ、貪欲デ厭ラシイ存在。誰ガ何ト言ッテモソレハ変エラレナイシ、ソレヲ責メラレテモ私ハ何モ言イ返スコトハ出来ナイ。」


 「ならば……」


 「デモ、アノ子ハ私ニ、ソンナコトナイ、ッテ言ッタ。間違イジャナイ、ッテ、独リジャナイ、ッテ。ソレニ、アノ人ハ最後マデ私ノコトヲ守ッテクレタ。」


 彼は沈黙して、琥珀の言葉に耳を澄ませた。


 「同ジニナンテ生キテイケナイ。ソレデモ、私ヲ守ッテクレタ人ガ、私ニ怒ッテクレタ人ガ、私ニ、琥珀ッテ、名前ヲ、居場所ヲクレタ人ガイタカラ。」


 彼女の抑揚のない言葉は、時折不自然に途切れた。


 「ダカラ、私ハ、ココデ生キテイコウッテ、私ニ色ンナ物ヲクレタ人達ガ、ココデ生キテイイヨッテ、ソウ言ッテクレタヨウナ気ガシタカラ。」


 突然、彼女の体が重みを増した。それと同時に、彼の体も軽くなる。驚いて目を落とすと、身体に纏わりついていた穢れが跡形もなく消え去っていた。


 彼女の指が、何かを探るように首元を這う。


 その指先にささくれ立った硬い物が触れ、それを手探りで弄りまわす。


 不意に、彼の首を風が撫でた。


 琥珀は、その手に色褪せた首輪を握りしめながら、そっと彼の、毛が擦り切れて露わになった皮膚に刻まれたバーコードと文字に手を伸ばす。



オ――035。



 「ダカラ、私ガ貴方ノ生キル理由ニナリタイ。貴方ガ、ココデ生キテイキタイッテ、ソウ思エルヨウナ、ソンナ居場所ヲ作リタイ。」


 琥珀が体を起こす。そうして、彼の顔を静かに見つめる。


 その時初めて、彼は彼女の顔を見た。



 肉の削げた身体。色と艶が抜け落ちた銀色の体毛。鋭い眼光の後ろに隠れた瞳は優しい薄ピンク色をしていた。


 眩く輝く金髪と、深みのある煮詰めた黄金色の瞳。青ざめた肌と、痩せ細った肉体は育ちの過酷さを物語っていた。



 琥珀という名前の少女が、小さな口を押し開く。



 「……私ニ、貴方ヲ、『サンゴ』ト呼バセテクレル?」



 ふっと、彼の目元から力が抜けた。


 「……好きにしろ。」


 目を閉じ、琥珀の頬に顔をすり寄せる。


 琥珀は驚いたように目を瞠ったが、その直後泣き笑いのような歪な表情を浮かべて、彼の体を再び抱き締めた。



 彼は久しぶりに、温もりを感じた。






 「ん、終わったか?琥珀。」


 大学の応接室で教授と話し込んでいた静藍は、戻ってきた琥珀の姿を認めるときりのいいところで話を切り上げて、立ち上がった。


 「今回は、こちらの我儘を聞いていただいてありがとうございました。」


 静藍が頭を下げたのを見て、琥珀も同じように頭を下げる。


 面会を取り計らった女性教授は朗らかに笑うと、二人に頭を上げるように促した。


 「いえいえ、琥珀さんのお陰であの狼を保護できましたし、むしろこちらからお礼を申し上げたいくらいです。何かあったらまたご報告しますね。」


 「アノ。」


 不意に琥珀が口を開く。


 教授は脳内に声が流れ込むという生まれて初めての感覚に驚愕したようだったが、琥珀は構わずに話しかけた。


 「彼ノ身体ニハ複数ノ人間ノ魔力ガ人工的ニ投入サレテイマス。ソレカラ、私ニハソレヲ吸イ出スコトガ出来マス。ナノデ、何カ力ニナレルコトガアッタラ言ッテ下サイ。」


 琥珀の言葉に衝撃を受けた教授は、思わず口を押えた。


 「なんてこと……」


 「アト、」


 琥珀が付け足すように真面目な顔で言い足す。


 「彼ノ名前ハ、『サンゴ」ッテ言イマス。」


 その言葉に教授だけでなく静藍までも呆気にとられたような顔をしたが、ふっと教授が唇を綻ばせた。


 「分かりました。サンゴさんのことは私達に任せてくださいね。」


 それを聞いて、琥珀はもう一度「オ願イシマス。」と深々と頭を下げた。





 学園に帰ってきた静藍と琥珀は、玄関の前でソワソワと落ち着かないように立っている七人の少年少女の姿を見つけた。


 「何やってんだあいつら……っとー、そういや訓練は午後からの半日だけになったっつってたっけ。」


 呆れたように言いながら頭をがしがしとかいた静藍は、ふと白衣の袖を握る力が強まったのを感じて目を落とす。


 「どうした琥珀?ああ、永遠と会うのが気まずいのか?」


 本音を言い当てられた琥珀が、ビクッと体を跳ねさせる。


 それを見て、静藍はにやっと意地の悪い笑みを浮かべた。


 「ああ、琥珀。私ちょっと用事があったのを思い出したから、先に戻っていてくれ。」


 「は?」とでも言いたげにぽかんと口を開けた琥珀の指を解き、薄情なほどあっさりと静藍は背を向けて校舎裏へ姿を消してしまう。


 残された琥珀は今にも泣きだしそうに瞳を揺らしながら静藍の後姿を睨んでいたが、完全に静藍が消えたのを見て諦めたように足を進める。


 その途中、目敏く琥珀を見つけた菫青が声を上げ、皆が自分の方を振り返る。


 不意に目元に何かが込み上げるのを感じながら、深く息を吸い込んだ琥珀は、自分の出せる限りの大声で叫んだ。



 「タダイマッ‼」



 彼女の声に皆が目を瞠り、そして口々に何かを叫びながら駆け寄ってくる。


 琥珀は、自分の頬に熱が伝うのを感じた。



 やっぱり、私はどこかおかしいのかもしれない。


 こんなに嬉しいのに、何で涙が流れるんだろう。




 初めての感情に戸惑いながら、それでも心からの笑顔を浮かべて泣く琥珀はとても清らかで美しかった。



 「……よかったな。琥珀。」


 校舎裏で笑みの余韻と共に、白衣の裾が翻った。







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