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八人の魔法使い  作者: 小伽華志
サトラ・ミナ編
23/29

恐怖






 「・・・・・・・ぅ・・・・・・・」


 短く呻き声を上げると、少女は薄っすらと瞼を上げた。


 霞がかった視界は、何重にも物を捉えてはっきりとしない。


 体中が痺れたように上手く動かせず、少女が力なく床を引っ掻いていた時、


 「気付イタカ。」


 耳に荘厳な声が届いた。


 焦点の定まらない瞳で少女が視線を彷徨わせると探すと、隣の檻で音も無く声の主が立ち上がった。


 序所に明確になっていく視界に、立派な縦じまの入った見事な銀の毛が鮮やかに飛び込んでくる。


 「マタ今日モ痛メツケラレタノカ。」


 優雅に尻尾を一振りすると、囚われの身である虎は檻を区切る格子に顔を寄せた。


 「チコウ寄レ。」


 虎の呼びかけに、少女はくず折れながらも下半身を引き摺って両腕で這い寄ってくる。


 「モット、モウ少シダ、ヨシ良イ子ダ。」


 格子に力なく寄りかかる少女の頬を、親しげにぺろりと舐めると、虎は少女の額に己の鼻先をくっつける。


 その瞬間、少女の体から浮き上がった澱みが虎の鼻先を伝って吸い込まれていった。


 「・・・・・・・サア、コレデ良イダロウ。」


 虎の声に、少女は閉じていた瞼をそっと押し上げる。


 幾分か毛並みの艶を失った虎が、慈愛を込めた眼差しで自分を見つめていた。


 痺れは抜け、随分と軽くなった枯れ木のような痩せ細った腕を格子の隙間から伸ばし、感謝の意を込めて虎の鼻先に触れると、虎は心地よさそうにぐるぐると喉を鳴らした。


 「ナニ、礼ニハオヨバン。」


 そう言うと、虎は少女に背を向けて丸くなってしまう。


 決して彼は怒って少女を無視しているのではない。澱みを吸ったことで気だるくなったことを少女に気負わせないようにわざと素っ気無い仕草をとっているのだ。


 そのことを知っている少女は、もう一度虎が見ていないことを承知で深く頭を下げる。


 それでも気配で察したのか、ひょいっと尻尾を一振りしてくれた。


 その時、がちゃがちゃと力任せに扉が外から開け放たれた。


 一瞬で空気が張りつめる。虎も頭を上げて歯を剥き出し、毛並みを逆立てて威嚇をする。


 入ってきた男は、虚ろと言っても過言ではないほどの無表情で両手に抱えた袋から野菜やペレットと言った餌を格子の隙間から投げ入れていく。


 どさりと音を立てて落ちてきた食物に、動物達はびくりと身を竦ませ牢屋の奥へと後ずさりする。


 虎の前まで来ると、そっと目を伏せて男はトングで掴んだ肉の塊をぎゅうぎゅうと押し込む。


 その様子を男から目を離さずに、虎は喉の奥で唸り声を上げながら睨みつけている。


 男は顔を虎から背けるようにして離れると、今だ白目を向いて倒れている男の檻の手前に置いてあったコップに水差しからちょろちょろと水を注ぎ込み、栄養補助食をゴトンと落とし込む。


 そして最後に少女の檻に向き直り、そっと窺うように目を上げた瞬間その顔を紛れもない感情が彩った。


 ぺたんと腰を下ろして床に座り込んでいる少女。その体躯は哀れなほど痩せ細り、身にまとっている衣服も粗末な物でしかない。本来ならば周りが支え、保護しなくてはならない立場である筈の無力な存在。


 しかし、その顔を隠す影から覗く爛々と黄金色に光り輝く瞳に射竦められた瞬間、彼は本能的な恐れを感じた。


 背筋に氷水を注ぎ込まれたような感覚に全身の鳥肌が立ち、こめかみから首筋にかけて噴き出した冷や汗が伝っていく。口からはみっともない喘ぎ声が漏れ、がたがたと震えが止まらない。


 幼い少女から発せられる異様な気迫に呑まれ、鼻を覆われたように上手く呼吸ができなくなる。


 瞬きをすることも叶わず、剥き出した眼球には涙が滲み、視界がぶれていく。



 これが、恐怖。



 絶対的な、逆らってはいけない存在。


 気付けば彼は少女に向かって跪き、手に持った食べ物を献上するように捧げ持っていた。


 縋るように少女を見つめると、少女は冷酷なまでにその瞳に感情を映さない。


 少女の様子に僅かな落胆を感じ、彼はその感情に目を瞠る。


 自分が今まで見下していた少女にゴマをすっていたことに気付き、あまりの衝撃に一瞬まわりの景色がくらりと揺れた。


 震える腕で注ぐ水がばちゃばちゃと零れ、まともに入らない。補助食の箱を落とし込むのも躊躇われ、床の僅かな隙間から滑り込ませるように押し込むと、男は身を翻してばたばたと通路を駆けていく。


 途中、ガシャァアンと金属を打ち鳴らすような音とキィキィと小動物の喚く声がしたのは、男がケージに足を引っ掛けたのだろうか。


 叩きつけるように扉が閉まり、いつもよりも盛大な音を立てて何度も失敗しながら鍵を閉める音が部屋中に響く。


 男が部屋から居なくなるとほっと空気が弛緩し、あちこちでくちゃくちゃと咀嚼する音が聞こえ始める。


 少女も半ば這うようにして箱に近づくと、ミシン目に向かって人差し指を振り下ろす。ひしゃげた箱を引き千切って、アルミフィルムに包まれたバーを床に落とすとその内の一本を手に取る。


 端っこを口に銜えて思いっきり首を振り動かしてフィルムを噛み千切り、中から出てきたバーを無造作に握って齧りつく。


 時折コップに注がれた水を舐めながら、一心不乱にバーを貪る少女の姿に不満げに鼻を鳴らすと、虎は目の前に転がっている生肉に苛立ちを隠そうともしないまま豪快に齧り付いた。






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