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八人の魔法使い  作者: 小伽華志
サトラ・ミナ編
19/29

琥珀の覚醒






 「分かりました。」


 染太郎が頷く。


 その瞬間、森の方からつんざくような叫び声が轟いた。


 「奴だ!狼の奴がまた吼え始めた!」


 野太い男の声がそう叫んでいたような気がするが、よく憶えていない。


 叫び声を耳が捉えた刹那、琥珀の頭に悲鳴が響き渡っていた。



 (誰か、誰か、誰か、誰か―――ッぁああああああああああああああああああああああ!!)



 悲鳴はいつの間にか絶叫に変わっていた。


 魂をばらばらに引きちぎられているような、そんな叫びを、誰が無視できるというのだろう。


 「琥珀さん!?」


 気付けば、琥珀は外に飛び出していた。


 「駄目だ、譲ちゃん!!」


 スーツ男が伸ばした手を間一髪、すり抜ける。


 森を囲むように張り巡らされた立ち入り禁止テープを飛び越え、琥珀は迷わず森の奥へと突き進んでいく。


 その間も、絶叫は留まることなく叫び続けられていた。



 (ッるああああああああああああ、あああああああああ、あああ、あ、あ・・・・・・)



 しかし、言葉にならない叫びは段々と弱くなっていき、



 (――――――)



 やがてふつりと聴こえなくなった。



 声のする方へと道なき道を突っ走っていた琥珀は、突然聴こえなくなった悲鳴に動揺し、周りを見渡してみたが琥珀を囲うのはどれも似たような木ばかり。


 焦りと不安が、琥珀に最悪の事態を想像させる。


 「琥珀さん!」


 と、茂みの中からフードを目深に被った少女が飛び出してきた。


 「良かったぁ、やっと追いついた。」


 荒い呼吸を繰り返していた永遠は、顎に伝う汗を手の甲で乱暴に拭う。


 思わず琥珀が目を見開いたその時、



 (・・・・・・もう、嫌だ・・・・・・・・・・・・誰か、終わらせて・・・・く・・・・・・・・れ・・・・・・)



 微かに、終わりを願う声が届いた。



 琥珀は弾かれたように身を翻すと、より鬱蒼とした茂みの中へと飛び込む。


 間髪入れず、永遠もその後ろへと続いた。


 ちらりと琥珀から問うような視線を投げかけられた永遠は、「何でだろう。」とその唇に淡い笑みを刻む。


 「今、琥珀さんと一緒に居ないと、後悔するような気がするから。」


 永遠の抽象的な物言いに、琥珀は軽く目を瞠るとふいと背けて無言で走り続けた。


 やがて、ねっとりと重たい空気に僅かに混ざった鉄臭さが鼻についた。


 琥珀が力任せに視界を阻む草を押し退けた瞬間、ぴしゃりと水溜りを踏みしめる。


 否、赤黒く澱んだそれは水溜りなどではない。


 琥珀が息を呑む。


 根元からへし折られ、薙ぎ倒された草花の上に、紅の筋が引かれている。幾重にも枝分かれした紅の元を辿ると、黒い、黒い塊が横たわっている。


 足に根が生えたように動けない永遠を置いて、ふらりと琥珀は塊へと近づいていく。


 ぴしゃりと音を立て、琥珀のローブの裾に赤黒い点が散った。


 ふらふらと覚束ない足取りで進んでいた琥珀は、塊の前で足を止める。


 その黒く濡れた毛並みは、己の血で染まり、首に嵌った白い首輪がアンバランスに光沢を放ち、逞しい四肢はぴくりとも動かない。半開きになった口から覗く鋭い牙は汚れ、その瞳は固く閉ざされていた。


 これが、皆に恐れられた、魂を引き裂かれるような叫びを上げた、狼なのか。


 その瞬間、狼の瞳がカッと開かれ、その口から大量の鮮血を撒き散らす。


 呆然と立ち尽くす琥珀のローブを、狼の血が紅く彩った。


 「何・・・・・・これ・・・・・・」


 永遠の呟きに、狼の気迫に呑まれていた琥珀がハッと正気を取り戻すのと、狼が琥珀を認めるのがほぼ同時だった。



 (人間か・・・・・・ッ!)



 「琥珀さん!」


 即座にその瞳に宿った敵意に、永遠が声を上げる。


 琥珀は、狼の口から吐き出される血と憎しみの声に動けずにいた。



 (憎い、憎い憎い憎い憎い憎い、憎い人間め!我が身から終焉を奪い、終わらない苦しみを植えつけた人間よ!この恨み生涯忘れることはなかろうよ!)

 


刹那、琥珀の目の前に奇妙に色褪せた風景が映りこんだ。


 嫌がるように身を捩る白銀の獣を、白衣を着た男達が力任せに押さえ込む。狼の目の男は、注射器を手に持ち心底楽しげな笑みを浮かべていた。


 瞳に絶望を浮かべる狼の体に注射器の針を突き立てると、男はいたぶるようにゆっくり、ゆっくりと中の液体を押し込んでいく。


 やがて、きゃおんと悲鳴をあげてぐったりと弛緩した狼を前に、男は甲高い嗤い声を上げた。


 と、空間が捻れるような衝撃が遅い、気が付くと目の前には先程と変わらず敵意を剥き出しにしている狼がいた。


 琥珀はくずおれるように膝をつくと、凍りついた瞳で狼を見返した。


 「琥珀さん!」


 地面に両膝をつき、だらりと腕を垂らし、虚ろな瞳で狼を見つめ続ける琥珀の只ならぬ様子に、永遠が声を上げて駆け寄る。


 目の前の奇妙な少女に狼が一瞬気を取られた瞬間、ドクンッと心臓が大きく脈打ち、世界が大きく傾く。


 視界が暗闇に包まれると同時に、胸を貫くあの嫌な衝撃。


 口から熱い血が流れ出す感触に、視界は暗転。間を置かず、切り込む衝撃。そしてまた、視界は暗転する。


 血を吐き出し続けながら痙攣する狼の姿に、琥珀は喉の奥が塞がれたように呼吸がままならなくなった。



 (なぜ・・・・なぜ、我がこのような思いをせねば・・・・・・ならんのだ・・・・・・なぜ・・・・・・我だけが・・・・・・)



 引き攣れたように息を吸い込んだ琥珀に、その声が届いた瞬間、パキンと喉の枷が砕けたような衝撃が貫いた。


 そして、ローブが汚れるのも構わず狼に覆いかぶさると、狼を押さえ込むように、力一杯抱き締めた。


 間を置かず、膝をついた永遠は気休めにしかならないと思いながらも、苦し紛れに土を掻いていた狼の足を押さえつける。



 その瞬間、狼の体の奥深くからどろりとした澱みが浮き上がってきた。



 それは、行き場を求めるようにぞろりと蠢くと、狼に直に触れていた永遠と琥珀の両手に吸い込まれるように侵入していく。


 「!?」


 それが体内に入った瞬間、永遠の体中に鳥肌が立ち、背筋に悪寒と嫌悪感が這い上がっていった。


 本能的に危険だと察した永遠は、思わず体の奥深くから澱みを押し返すイメージを浮かべる。


 すると、イメージ通りに永遠の掌からどろりと澱みが流れ出してきた。


 澱みはしばらく意思があるように右往左往してたが、やがて獲物を見つけたように琥珀の掌へ吸い込まれていく。


 ハッとして見てみると、琥珀は額に玉の汗を浮かべ、苦しげに顔を歪めていた。


 「琥珀さん!早く吐き出して!押し返すようにすれば、勝手に出て行くから!」


 しかし、琥珀は頭を振ると、泥水を吸い込むスポンジのように澱みをがんがん吸い込んでいく。


 「どうして・・・・・・琥珀さんだって、苦しいのに・・・・・・」


 困惑して呟いた瞬間、空気を伝う耳の間を走り抜けるようなキンとした感覚に、思わず永遠は顔を顰める。


 絶えず我を忘れて暴れる続けていた狼に、琥珀は無我夢中で息を吸い込み、無意識に口を動かしていた。



 「大丈夫、私ハ貴方ノ苦シミヲ知ッテイル。ダッテ、私モ同ジトコロニ居タノダカラ。」



 その声が聞こえた瞬間、永遠の頭の中に一瞬の光景が駆け抜ける。



 体中にコードの伸びた吸盤を貼り付け、体を弓なりに反らして絶叫を上げる華奢な体躯の金髪の少女。



 その光景が掻き消えた瞬間、狼に覆いかぶさっていた琥珀が身を起こす。


 あれだけ暴れていた狼は、嘘のように大人しく紅く染まった大地に横たわっていた。






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