挨拶
いや、嗤い声と言ったほうが相応しいのかもしれない。
今まで大騒ぎだった部屋は、水を打ったように静まり返った。
「その場にいらっしゃる皆さん御機嫌よう。」
謎の声は、そう挨拶をした。
「あら、姿が見えないと分かりづらいかしら?」
謎の声がそう言った瞬間、誰もいなかった空間にその人は浮き出るように現れた。
真っ黒なローブには、薄っすらと光り輝く銀髪が流れるように垂らされており、顔には、微笑の浮かんだ口元から上を覆い隠すような黒いベールを付けていた。風が吹いているのか、はためくベールから時折見える目元には、銀色の仮面が着けられていた。
「それでは、改めましてこんにちは。わたくしの名前はもう皆さんご存知だと思われますが、艶麗と申
しますわ。皆さん、ぜひ仲良くしてくださいね。」
ローブの端を摘み、優雅にお辞儀をしながらその人___艶麗は、そう自己紹介をした。
その言葉を聞いた途端、人々は、恐怖で声にならない悲鳴を上げた。
「優しき衣となり荒れ狂う刃となる風よ、我が思うがままに動くのだ!!」
一人の先生が呪文を唱えた瞬間、弾丸のように固まった空気が艶麗の胸を直撃した。
が、
空気の弾丸は、容易く艶麗の胸を素通りし、零の顔のすぐ横を通り抜けていった。
「きゃっ!!」
零は、短く悲鳴を上げて身を竦ませたが、その時永遠には右腕の袖から鋭く光った何かがちらりと見え
たような気がした。
「零!!」
そんなことは気付かない静藍は、血相を変えて零の元へと向かった。
「言い忘れたけれど、これは現実の体ではなく、幻ですわ。ですから、いくら攻撃してもすり抜けて
いってしまうことをお忘れなく。」
艶麗は、付け足すように言葉を添えると、無限の書から出てきた青年___四季へと体を向けた。
「さてと、愚かな精霊さん。どうして今になって出て来てしまったのですか?」
四季はその質問には答えず、艶麗に向かって端的に述べた。
「貴様は本当に艶麗か?」
胸元に手を当てて、艶麗は言った。
「先程も言いましたけれど、わたくしが正真正銘、艶麗ですわ。」
四季は冷静に言い返した。
「そうか、しかし、我が会った艶麗は貴様とは違う見た目だったはずだが?」
艶麗は口元に微笑を浮かべて答えた。
「わたくしは、過去艶麗の意志を受け継ぐもの。過去の艶麗とは見た目は異なります。しかし、ここにある魂は同じなのです。」
その言葉を聞いた瞬間、人々は恐怖の壁を打ち破り、心に怒りの炎を燃やした。
「ふざけるな!!何が『ここにある魂は同じ』だ、お前は艶麗の名前を利用しただけだろ!!」
政府からそんな叫びが上がった。
その叫びに艶麗は冷笑した。
「わたくしに艶麗のような力は無い、そうお思いですか?何を根拠にそんな戯言をほざけるのです
か?」
さっきと同じ人がまた叫んだ。
「戯言をほざいているのはお前の方だ!!お前に何千人という人々の心を操れることが出来るのか!?出来ないだろう!?」
その瞬間、艶麗は嗤った。
「艶麗のことをろくに知らないくせによく話せますわね。では、わたくしの実力をとくとご覧あれ。」
艶麗はそう言うと、大地に向かってサッと片手をかざし、不敵に嗤った。
その瞬間、艶麗の足元からむくむくと何かが形作られた。
『何か』はじょじょに大きくなり、やがて人型の茶色い塊が現れた。
塊は一つ、二つと増えていき、その内に数え切れないほどの塊が艶麗の前に並んだ。
「この泥人形たちは、意思を持たず、無差別に攻撃いたします。まずは、キトラ・サナを狙いましょう
か、それともアトラ・エマかしら、カトラ・マヤも忘れてはいけませんわね。」
艶麗は人差し指を頬に当て、首を傾げながら次々に街の名前を挙げていったが、ふと永遠の方を見る
と、にやりと口角を上げて言った。
「決めましたわ。まずは貴方たち・・・サトラ・ミナを狙います。」
艶麗は実に楽しげに永遠たちの街の名前を言った。
「日にちはわたくしの気が乗った時、場所はその時そこの子供たちのいる所にします。ああ、実に楽し
みですわ!!」
艶麗は喜びを噛み締めるように言うと、現れた時同様、ローブの端を摘んでお辞儀をした。
しかし、ふと何かを思い出したかのように顔を上げた。
「ああ、忘れるところでしたわ。」
本当に忘れていたらしい。
「そこの赤いのと灰色と三つ編み。」
艶麗は、ビシッと紅玉と瑠璃を指差した。
「貴方達は、『力』を恐れ、隠し、忘れている。そうではなくて?」
小首を傾げる様にしながら艶麗は問いただす。
瑠璃は不思議そうにパチパチと瞬きしていたが、紅玉と菫青は思い当たる節があるのかビクリと体を揺
らした。
「それから、金色。」
次に艶麗は琥珀を指差した。
「貴方は、『力』に目覚めつつある。」
琥珀は、指された指から逃れるように永遠の背中の後ろに回りこんだ。
「そして、フードと黒いのと白いのと茶色いの。」
艶麗は、永遠、陰、陽、翡翠と人差し指を動かした。
「貴方達には、まだ眠っている『力』がある。」
艶麗は、手を下ろすと言い聞かせるように言葉に力を込めた。
「忘れないで。『力』は恐ろしいものかもしれない。でも、いつか必ず貴方達を助けてくれるから、だから、大切にして。そして、」
その言葉は、後に何度も思い出されることになる。
そして、艶麗の口調は元の冷酷なものに戻った。
「その『力』で、このわたくしを倒して見せなさい。」
艶麗は口角を吊り上げて嗤った。
「それでは、御機嫌よう。」
艶麗が頭を上げた瞬間、その姿はふっと掻き消えた。
後には、恐怖で怒りの炎が凍りついた人々を残して。