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第三十七話 小畑愛 (8)

 小畑愛は夢に目を背けることを止めた――それが樹の意志であり、自分にとっても重要であると信じたからだ。

 そうして、夢を最後まで見終わった愛は結局、自分の判断が正しかったと思った。

 夢を通じて、愛は曜子の死の真相と――現在、香波に迫っている危険を知ることができた。

 香波の状況は、かつての樹の体験とほぼ同じだ。このままだと彼女は樹の二の舞――自らの命を断つ可能性が、非常に強い。

 香波を死なせるわけにはいかない――彼女を救うことができるのは、真実を知る自分だけだ。もうなりふり構ってはいられない。



 そして愛は、千春に連絡をとった。


 『――どうしたのさ? いきなり』


 突然の電話に思い当たることがあるのかないのか、その声は平然としている。


 「……香波、ずっと学校に来てないよね?」


 『は? いや同じクラスだから、そんなこと知ってるし』


 「……そんなこと?」


 悪びれた様子のない千春に、思わず声を荒げそうになり、愛は自制した。


 「少しは後悔してる? あの子にしたこと」


 『後悔? 後悔ね……ま、確かにやり過ぎたかも』


 千春もやはり血の通った人間だ――さすがに罪悪感は持ち合わせているだろう。そう安堵しかけて――。


 『香波が来ないから最近は退屈だし。まだまだ楽しめると思ったのに、マジで拍子抜けっていうか』


 ――裏切られた。更正の余地はなさそうだ。


 「もう香波に関わるのはやめてくれない?」


 駄目元で言ってみる。


 『またそれ? いい加減、聞き飽きたって』


 「これで最後にするよ……本当に、やめるつもりはないんだね?」


 『しつこいっての……っていうか何でそんな上から目線なんだよ。バラされたら困るものがあるのは愛も一緒じゃん。これも言うの何回目?』


 「もう聞かないって。最後に一応、確認したかっただけだから」

 

 それだけ言って、愛は電話を切った。



 千春の会話後、スマホを操作して今までの会話がちゃんと録音されているのを確認する。このためにあらかじめ専用のアプリをインストールしておいたのだ。

 これこそ、動かぬ証拠というものだ。

 もし千春がやめると――二度と香波に嫌がらせをしないと誓えば、すぐに削除するつもりでいた。だがどうやらそれも望めそうにない。

 自分のやり方は決して誉められたものではない――相手に同様のことやり返すのは、自身を相手と同じ土俵にまで身を堕とす行為に他ならない、むしろ恥ずべきことだ。他に良い方法もあるはずだ。例えば教師に相談するなど。

 だが、それでは時間がかかる――ずる賢い千春が、そう容易く認めるわけがない。それまで香波が持つか分からない。荒っぽく卑劣ではあるが、強行手段に出る以外に、自分では思いつかなかった。




 そして、その夜――愛はまたしても夢を見た。

 それはこれまでのどの夢とも異なった。

 夢に現れたのは、樹自身だった。その他は何も見えない。とにかく視界には、樹の姿だけがあった。

 こちらをまっすぐ見て、樹は喋っている。いつになく、切羽詰まった顔付きだ。

 何を言っているのだろう――これもまたきっと、怪異の解決に関わることに違いない。夢の中の愛は、決してきき逃さないよう自分の耳に全神経を集めて傾ける。


 ――き……こっ……。


 水中で話しているかのように声はこもり、非常きき取り難い。


 ――にき……っちに……。


 もっと明瞭にきこえないのかと、若干の苛立ちを覚える。


 ――こっちに……きて……。


 ようやく何を言っているのか、きき取れた。『こっちにきて』だ――だが、それでもまだ分からない

 『こっち』とはどこのことなのか? そこに行けば、この疑問も解消されるのだろうか――そこに行けば、香波を救えるのだろうか?

 だが謎は謎のまま残されたまま、愛は夢から覚めた。




 部屋は暗く、窓に閉められたカーテンの向こうも静まり返っている。

枕元のスマホで、現在の時刻を確認する――午前一時十分だ。

 睡眠不足のはずが、今の愛の頭は意外なほど冴えていた。


 「いったい……何が言いたいのさ……」


 樹が目の前にいたら、文句の一つでも言ってやりたい気分だった。


 「だいたい、こっちってどこだよ……場所くらい言ってくれないと分からないじゃん」


 ぶつぶつと愚痴を零す。


 ――こっちに、きて……。


 いきなり声がして。愛の心臓は縮みあがった。


 「えっ!? な、何っ?」


 暗闇かつ静寂の室内で聞こえるはずのない声をきくのは、生きた心地がしない。愛にとっては先ほど耳にしたばかりの声で、その正体も判明している分まだましではあるが、それでも不意を突かれるのは勘弁してもらいたい。心臓に悪い。


 「植草の声……」


 ――こっち、に……きて……。


 きこえる声は、紛れもなく現実だった。神経を研ぎ澄ましていないと発せられる言葉が不明瞭なのは、夢と同じだ。

 そこまで夢と似てなくてもいいのにと、愛はそこにも不満を覚えた。


 ――こっ……ちに、きて……。


 また声がした。愛はそちらに顔を向ける。懸命に耳を澄まし、聞こえてくる方角に見当をつける。


 ――こっちに、き……て……。


 「……外?」


 ベッドから離れて、窓際に近付く。カーテンと開き、窓の鍵を外す。心地好い夜風を肌に感じる。


 ――こっちに、きて……。


 五度目となる声――愛はそちらに目をやる。


 「あっちって……」


 それなりに距離があって暗いせいで目視できなかったが、それでも愛は見えないその場所に目を凝らしてた。


 「学校……?」


 樹の声は、愛たちの通う高校の方からきこえていた。

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