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第三十一話 沖田香波 (9)

握り締めた写真を、びりびりと破った。嗚咽が漏れそうになるのをこらえる。

放課後の女子トイレの個室内といえど、居残っている生徒が来ないとも限らない。人に知られるのは、なるべく避けたい。

そうして細かく千切った何枚もの写真を、香波は洋式便器の中に捨てていく。詰まったりしないよう、少しずつ水で流した。そのせいで思ったよりも時間がかかってしまった。

言うまでもなくそれらの写真は、ストーカーに盗撮されたものだった。

今朝になって登校してみると、下駄箱だけではなく、教室の机の中にまで、大量の写真が押し込めるように入れられていた。これまでより明らかにエスカレートしている。

すべての写真を処分して、香波は個室を出る。洗面所で、今の自分の顔を覗き込む。

泣き腫らした目――涙のあとが残る頬。唇もかさかさに乾いている。

溜息が漏れるのを、どうにも止められない。

濡らしたハンカチで、目元を拭う。そして傍目からは分からないかどうかを確かめた。

これからも、このようなことが続くと思うと、たまらなく辛い。

もう学校に来たくない――家から外に出たくない。

クラスメイトに虐げられていた頃の樹も、これと似たような気持ちを抱いていたのだろうか――?


――ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……。


「…………?」


音が聞こえる。水滴が落ちる音のようだ。それほど大きな音ではないが、人気のない静寂の中だと、余計に耳について仕方がない。


――ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……。


香波は、音のする方に顔を向ける。どうやら一番奥の個室トイレから聞こえてくるようだ。


断続的な水の滴りは、一向に止む様子はない。少し緊張している自分を意識しながら、香波は足を踏み出す。


――ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……。


個室トイレからの音に、それに比べるとほんのかすかな、香波自身の足音が重なる。別に誰がいるというわけでもないのに、彼女は知らず知らずに忍び足になっていた。


――ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……。


こんな何でもないことにこわがっていては、こちらの神経が保たない――つまらない物音にいちいち過剰に反応してしまうのは、自分が臆病なせいなのかと、香波は卑屈な気持ちになる。

 

――ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……。

 

個室のドアに近付いていき、開いているドアから中の様子を、そっとのぞいてみる。

 

――ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……ぴちゃっ……。


「…………」

 

そこには、何も――誰もいなかった。

 

よく見てみると、タンクから伸びる給水管の接合部が、水漏れを起こしていた。香波が見ている間も、ぴちゃっ……ぴちゃっ……と水がタイルの床に滴り落ちている。

 緊張が解け、香波はほっと息を吐いた。やはり何もない――いちいち気にし過ぎだ。

 

 ――それでも、なぜだろうか? これ以上はこの場所に、長居したくないと思ってしまう。

 

 空の個室に背を向け、香波は足早に女子トイレを後にした。      

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