第二十七話 過去 (1)
少年は、痛みを抱えていた。
それは、決して慣れず、無視することもできず、たえることもままならない――痛みだった。
痛みは癒えるどころか、日に日に悪化していくように思えた。まだ九歳の少年が体験するには、あまりに残酷に過ぎる。
転んで膝をすりむくのとはわけが違う。心の痛みは触れることはおろか、見ることすら叶わない。
それでも目にうつらない傷口は、少年の内で次第にじくじくと膿んでいった。
病気でも怪我でもない――この痛みを誰にも伝えられず、誰にも理解されないと、少年は諦めていた。
表面的には何でもない風を装い、いつもの生活を続ける。痛みを一人で抱えたまま。
そんな日々は、少年を孤独にした。
これから先もずっと、この痛みとともに過ごして行かなければならないのだろうか――想像する度に、生きていくことが辛くなる。
ある日、少年はついに学校を休んだ。
朝、ランドセルを背負って家を出たときは、休むことなどまったく考えていなかった。
普段と同じように通学し、普段と同じように授業を受け、普段と同じように帰るつもり
でいた。
だが学校に向かって歩いているうち――少年は何もかもが嫌になってきた。
家も、学校も、代わり映えのない日々も、そんな日々に身を委ねているだけの自分も。
そして少年は、いつもの通学コースを外れた。
元より目的などなかった。自分を取り巻くすべてがどうでもいいと、自暴自棄になっていた。
ぶらぶらと、あてどなくさまよう――いっそ、自分の知らない、自分のことを知る人間もいない、どこか遠い場所に行き、そのまま野垂れ死んでも構わない――そんな気持ちになっていた。
だが、小さい子どもが徒歩で行かれる距離など、たかが知れている――体が疲労を訴えたところは、かつては何度も足を運んだことのある、見慣れた公園だった。
遠く離れた場所どころか、まだ町すら出てもいない。それでも体力は限界だった。
少年の足は、自然と公園に向いていた。この場所は――この公園だけは、彼にとって特別だった。そこはのこされた思い出、戻らない過去が眠る場所だった。
休日は賑わう公園も、今は閑散としている。遊具こそ少ないが、野球やサッカーなどの球技ができる広場はあるため、人の見当たらない公園は余計に寂しい。それでも一人、かつての思い出に浸るには丁度いい。
公園内に入り、隅にあるブランコに座る。物思いに耽っているうちに、心の痛みが――喪失の悲しみが忍耐の間隙を狙ったように、少年の瞳が涙で潤み始める。
――直後、気配がして、少年は涙を引っ込めた。
顔をあげた先に、自分以外の人間が立っていた――少年より年上の少女だ。中学のものか高校のものか、ブレザーの制服姿だ。まだあどけなさの残る顔は、まっすぐ彼に向けられている。
「あ……ごめんね。邪魔しちゃった?」
少女はそう謝り、少年に微笑みかけた。だが、その表情にはどこか陰が感じられた。
「……別に」
ぶっきらぼうに、少年は答えた。
実際は一人になりたかったため、少女の出現を少なからず不快に思っていた。それでもそのことを相手に 悟られないようにうまく隠せないところが、少年の幼さだった。
「ごめんね……何だかとても悲しそうだったから、放っておけなくて」
どうやら少女は、少年の様子が気になり、声をかけようと近付いてきたらしい。
だが、それにしても妙だ――学校の始業時刻は、とうに過ぎている。
「ねぇ……学校、もう始まってるんじゃない? 行かなくて、大丈夫?」
眉を寄せ、気遣わしげに少女はきく。
「お姉ちゃんの方こそ、いいの? こんなところにいて」
少年はつい反発したくなり、そう言い返した。
一瞬、少女は言葉に詰まった。それから苦笑して口を開く。
「わたしは……ええと……今日はサボり、かな?」
「何だよそれ? 駄目じゃないか」
「そうだね、ごめん……ところで君は? ここで何をしてるの?」
「え……ぼ、ぼく? ぼくは特に何も……」
目的もなく何をしていたわけでもない少年は、どう答えるべきか迷った。
「ぼ、ぼくも……サボり……」
ようやく、それだけ言った。
「そうなの? 何だ……じゃあ、お互い様だね」
言って、少女は安心したようににっこりと笑った。
――これが植草樹と松島栞の、最初の出会いだった。




