第九話 沖田香波 (2)
曜子が死んだ――親友の曜子が。
あまりに突然の訃報に、香波はまるで、自分だけが通常の時間の流れから置いていかれたような気分だった。曜子の死というのも、どこか異国の言語でも語り聞かされているかのようで、すぐにはその意味を理解し難かった。
ようやく理解して、悲しみに襲われた間も、なぜ曜子が死ななければいけなかったのかという疑問は強く、香波の心に存在していた。
曜子は自宅の浴室で死んでいるのを、彼女の母親が発見した。風呂から上がるのが遅いため、様子を見に行ったという。
浴室内は最初、蒸気が充満しており、窓をあけて換気しなければ視界がほとんどきかない有様だったらしい。しかも浴槽にはられた湯は高温で、入ることはおろか、素手で触れることもできないほどだった。
曜子の死体は、そんな浴槽の中に沈んでいた。状況から鑑みる以上に、きっと死体は酷い状態だっただろう。こと発見したのが肉親なら、その心情は察するにあまりある。
全身に負った重度の火傷によるショック死というのが、警察による曜子の死因だった。
知れば知るほど、余計に分からなくなる。曜子の死に方は、どうも不自然な気がしてならない。死因が溺死ではなく、火傷というのも引っ掛かる。具体的にどこがおかしいのかと問われても、はっきりと答えられない。ただ曜子の死に、自分が納得がいっていないだけなのだろう。このまま事故死として、あっさりと片付けられてしまうのが、親友として我慢がならないというところが本音なのだろう。
つまり自分は、意地になっているのだ。受け入れ難い現実に、反抗的になっているだけかも知れない。
「……大丈夫?」
声をかけられ、香波ははっと我に返った。いつの間にか自分の座っている席の傍に、安西千春と小畑愛が立っていた。
「元気出して――って言っても無理だろうけど……あたしたちがついてるからさ」
「その通りだよ……あたしたち、友達なんだから……一人じゃないんだから。何でも言ってよ。力になるから」
励ましの言葉を口にする二人の表情も、一段と暗い。
「香波さ……顔色悪いよ? 今日は早退したほうがよくない?」
愛が香波の顔を覗き込み、そう言った。
「ううん……大丈夫だよ」
「ほんと? でも無茶はしないでよね?」
「うん、分かった。ありがとう……」
そして二人を安心させようと、香波は笑いかけようとした――が、うまく笑顔が作れない。口の端をわずかに動かせた程度だった。思っていた以上に、自分は曜子の死に参っているのだろう。
学校での体感時間は、曜子がいたときのそれと比べてずっと長かった。本当に些細な、何気ない瞬間にふと曜子の不在を認識させられると、香波は喪失感に心を押し潰されそうになってしまう。所構わず泣き出してしまいたくなってしまう。そんな自分を、彼女はぐっと抑え込んだ。それでも危ういときは、顔をうつむけて表情を隠した。自分のために、周囲に余計な気を遣わせたくなかった。
ようやく放課後を迎え、香波はそそくさと帰り支度を始めた。もちろん、直帰するつもりだった。
「一緒に帰ろう? 香波」
千春が彼女の席に来た。隣には愛もいる。
「え……二人とも、バイトがあるんじゃ?」
「バイトと友達、どっちが大事なのよ? そんなこと、気にしなくていいんだって」
千春が言い、その言葉に愛も頷く。
「ありがとう……でも、気持ちだけで充分だから」
「……ん。香波がそう言うなら……」
渋々、二人は引き下がった。
千春や愛のような友人がいて、香波はずいぶん救われていた。だからこそ、彼女たちの好意に甘えてばかりいるわけにはいけない。自分自身も強くなるべきだ――辛いときほど、香波はそう思う。それぐらい二人は、彼女にとってかけがえのない友人だった。
今日の授業で使った教科書等を、鞄の中にしまっていく。
最後に机から、英語の教科書を取り出す――と、ページの隙間から、何かが滑り落ちた。
何だろうとは思ったが深く考えることもなく、香波はそれを拾い上げる。
一枚の、写真だった。そしてそこに写っているものを、香波は目にした。その目が、驚愕に大きく見開かれる。
写真には――体育の授業前に、体操着に着替えているところの、香波の後ろ姿が写っていた。
言葉を失った香波の手から離れ、写真が床へと舞い落ちる。
裏返しになった写真には、筆跡の判別も困難と思えるほどの殴り書きで、こう書かれていた。
『泣かないで。ボクが慰めてあげるよ、香波ちゃん』