1話 「その魔王の名は」
天井の抜けた玉座の間の中央で、細い銀の光が閃いた。
「死ねっ! 〈魔王〉エルリアーナ!!」
焼けた天幕。
崩れた玉座。
ぽたりぽたりと剣を伝って床に落ちる血は、ひどく紅い。
「やったァ……」
旧名〈九鬼・クリスティーナ・旋律〉。
現名〈エルリアーナ・グランブル・ガルツヴェルグ〉。
その日わたしは、ようやく次の人生へ旅立つための切符を手に入れた。
「な、なぜ貴様が喜ぶ……!? まさか貴様の死が起動の鍵になる終末術式が――」
「大丈夫、安心して、そんなのないから」
ぶかぶかの黒いローブ。
やたらにごつくて宝石がじゃらじゃらはめ込まれた杖。
左手にはか弱い乙女に不似合いな巨大な剣が握られている。
しかし、こんなものとも今日でおさらばだ。
「とても……」
胸に突き込まれた勇者の剣が、こんなにも愛おしい。
「とても長い、旅だったのよ……」
わたしは魔王。
人間に仇なす災厄の象徴。
存在するだけで天災を呼び、人を絶望へと陥れる世界の害悪。
「っ、最後に貴様だけが残った。今や魔物たちは人間と同盟を結び、二種族が協力して新しい平和な世界が作られつつある」
そう、もはやこの世界に『魔物対人間』というありきたりな図式は存在しない。
「……わたしなりにがんばったんだから」
「貴様の差し金だとでも言うのか」
「……さあ、どうかしらね」
魔王は生まれつき魔王である。
どんなに平和に生きようとしても、生まれついて体に宿る圧倒的な力と呪いが、その邪魔をする。
前者はともかく、後者――呪いの方はどうにもならない。
「まあ、壊したくて壊してたわけじゃないってのは、できれば信じて欲しいけど……」
死んだ方が世界のためだ。
そんなこと百も承知だった。
それでもわたしにみずからを殺す勇気などなかった。
だからせめて、この魔物対人間という不毛な状況を変え、意図せず天災を呼んでしまう呪いの償いにしようと思った。
「……なにはともあれ、これでおしまい。いずれにせよ、あなたたちはなにも知らなくていい。事実、半分はわたしのわがままで世界が大変な目に遭ったんだから」
膝が崩れる。
力が抜ける。
「次こそは……もっと普通の……女の子らしい人生と……名前を……」
苦節三百年。
本当に面倒で長い――魔王人生でした。
◆◆◆
わたしには前世の記憶がある。
それもはっきりとした記憶だ。
どうやらそれが〈世界遊子〉と呼ばれる者の特質なのだということは、最初の死のあとに知った。
「はあ……今日も残業ですよ……なんで私が〈世界遊子〉の勧誘なんて……」
不幸な事故で体が木端微塵に砕け散ったわたしは、死の瞑目のあと、気づくと真っ白な空間の中に立っていた。
――ここどこかしら。
最初は御伽草子に描かれるような閻魔大王のいる冥界へ行って、そこで罪を裁かれたあと、天国か地獄へ連れて行かれるのだろうと思っていた。
しかし魂だけになった私の目の前に現れたのは、疲れきった表情をした一人の若者だった。
「あー、えーっと、九鬼・クリスティーナ……旋律さん?」
ぴしりと整ったスーツ姿。
髪は少しぼさぼさだが最低限の身だしなみは整っている。
目の下に大きなくまがなければそれなりの美青年だ。
「あ、その……メロディです……」
いったい何度このやり取りをしてきただろうか。
慣れ親しんだ返しをしたことで、逆にわたしは平常心を取り戻す。
「ああ、メロディって読むんですね。すみません、こちらの手違いでフリガナ書いてなくて」
いいんだ。
フリガナ振ってあっても間違いなく目を疑うから。
「えー、早速ですけど、実はあなた――〈世界遊子〉なんですよね」
「ん? れ、れるーざ?」
そのときのわたしはこんな反応をした。
当然だろう。
説明ひとつなく知らない単語を並べられれば、「なにいってんだこいつ」となる。
察しの良さは母の腹の中に置いてきた。
「ああ、すみません。初めての人でしたね」
わたしが答えると、彼は一度謝ってからこう続けた。
「えーっと、〈世界遊子〉というのは魂が世界を渡ることに適している人たちのことです。ある世界で死んでも魂は消えずに残り、記憶などの損傷もないまま次の世界へ召される。あるいは突発的な越界現象に巻き込まれても五体満足のまま異世界へ転移することができる。そういう人たちのことを〈世界遊子〉と呼びます」
なるほど。
――なんてすぐに呑みこめるものか。
「中途半端な適性持ちだと魂の一部を前の世界に置いてきてしまったりして、どんどんボロボロになっていくこともあるんですよね。でも、メロディさんは大丈夫みたいです。実に優等な〈世界遊子〉だと思います」
できれば下の名前では呼ばないでほしい。
「ではクリスティーナさんとお呼びしましょうか?」
ミドルネームもやめてくれ。
……ん? 今あなた、わたしの心を読んだ?
「わたしも元〈世界遊子〉ですので。まあ、いろいろな世界を渡り歩いていると心を読む技能くらい身についてしまうものです。――では九鬼さんとお呼びしますね」
「は、はあ」
そういうものなのだろうか。
「……あ、あの、いまだによくはわからないんですけど、わたしってまだ死んでないんですか?」
「いえ? 死んでますよ? 事故で体が木端微塵になりました。これで生きてたらゾンビも真っ青です」
彼は「パーン」となにかが破裂するようなジェスチャーをしながら言った。
いちいちやらんでいい。
「九鬼さんは前の世界で間違いなく死にました。でなければこの〈魂の天海〉にいません。――で、〈世界遊子〉として越界性能に優れたあなたの魂は、これから自然に次の世界へ誘われます。ここ最近の隣接世界の誘魂周期を考えると……んー、まあ、比較的平和な世界が多いと思うのでたぶん大丈夫です」
なぜだろう。
その「たぶん」がものすごく信用しがたい。
「どの世界もここ最近百万単位で生物が死んでる形跡はありませんし」
ちょっと待って。
規模がでかすぎる。
「ともかく、あまり心配しなくても大丈夫です。九鬼さんは優等な越界適性をお持ちなので、魂に付随した記憶や意識などはそのまま持ちこせます。知識があるぶん、最初の人生よりは生きるのが楽だと思いますよ」
「そ、そうですか……」
〈世界遊子〉とはそういうものであるらしい。
もはやそう解する以外に術などなかった。
「ちなみに紹介が遅れましたが、私は越界の力を利用して各世界の均衡を保っている〈神士〉というものです。〈神士〉はいくつかの世界を渡り歩いた〈世界遊子〉が神界からスカウトされてなるものでして、実は今回、私はあなたをスカウトしに来ました」
「え?」
「三つ以上の世界を渡っていなければ神士にはなれないので、今回は簡単に言うと唾つけですね。最近は神士に敵対する妙な勢力もありまして、人員の確保も結構大変なんですよ」
「は、はあ……」
「九鬼さん、あと二つ世界を渡ったらぜひ神界にいらっしゃってください。確約して頂けるならいろいろとサービスしますので」
「サービス?」
「ちょっとした越界の補助です。妙な越界事故に巻き込まれないように、その都度あなたの魂を誘導しましょう」
なんだかそれだけ聞くと良いサービスに思える。
五体満足で次の人生を得られるということなら。
「そのほかにも目に見えない特典があるので、ぜひこの機会に」
通販の宣伝かな?
「ちなみに確約って、どうすればいいんですか?」
残念ながら今のわたしは判子など持っていない。
指印で結構だろうか。
「言葉で結構です。言霊の力で契約を締結できるので」
「言霊……」
「神士になっていただけますか?」
どうすべきだろうか。
ぶっちゃけよく考えたところでなにがなんだかわからないことに変わりはない。
人生というものに未練もあれば、ああしておけばよかったという後悔も人並みにあるわたしは、もし次の人生をもらえるならぜひ頂きたいと述べる程度にはがめつい。
それに際して、神士という先人たちに見守ってもらうのは、なかなかメリットがありそうではある。
「ちなみに神士って具体的になにをするんですか?」
「そうですねぇ……担当した世界になにもなければお茶を啜ってるだけです」
「なにそれ暇か」
「たまに世界の危機とか起こりそうだったら未然に防ぎます」
「どんな感じに」
「直接は手を下さないことが多いですね。違う世界の知識を断片的に与えて、無理のない範囲で発展を促すとか」
「箱庭育成みたいね」
「おおむねそんな感じです。とにかく、担当した世界が平和であれば本当に楽な職業ですよ」
でもわたしはさっきからあなたの疲れきった表情が気になる。
「ああ、私はちょっと自分でヘマをしてしまいまして。ちゃんと仕事をしてればこんなに疲れることもないのでご安心ください。それにほかの神士もいろいろなところにいますし、神士同士の仲も結構いいですよ。アットホームな感じで働きやすいです」
「そ、そうなの」
そこまで言うなら……。
「わ、わかった。じゃあ、あと二つ世界を渡ったら神士になります。――これでいい?」
「はい、大丈夫です。言霊印紙に記録しました」
言ってしまった。
「さて、ではお返事もいただけたところで、あなたを次の世界へご案内します。ちょうど世界の手が伸びて来たので」
「えっ、あ、あの、次の世界って選べたりしないんですか……?」
基本的にわけがわからないままだったが、ここにきてなにか選択権を求めておいた方がいい気がして彼に問いかける。
彼はわたしの問いを聞くと安らかな微笑を浮かべて、こう言った。
「そういうのはないです」
いかん、下手を打ったかもしれない。
「越界の補助はできますが、どの世界へ飛ぶかは神士といえど容易に干渉できません。もう何度も世界を渡って越界に耐性がついた世界遊子で、一等神士と呼ばれる上位神士以上に魔法適性に優れた人なんかは、自分で手を加えちゃう場合もあるようですが……それはそれで問題があったりするのでちょっと困ります」
結局どうしようもないということか。
「まあ、あと二回世界を生き抜けばいいだけですので、そう悲観しないでください」
「あの……ちなみにそれって意図的に越界の回数を稼いだりしたら……」
あまり取りたくはないが、自殺という手段もある。
「ああ、自殺等の場合は神士としての適格なしとして、神界へ召される権利をはく奪されます。ついでに地獄行きですね。オススメはしません」
そ、そうよね、ズルはいけないわよね。――地獄ってやっぱりあったんだ。
「ええ、そもそも自殺する程度だと神士になってからもどうせ持ちませんし」
ん?
「まあでも、ただひたすらに世界遊子として世界を渡るというのも結構キツいものがありますので、ぜひあと二回を頑張って乗り越えて神界に来てください。大丈夫です、こちらからはちゃんと見てますから」
「久々に見つけた神士適格者ですからね」と獲物を見つけた獣のような眼光が彼の目の中に閃いて、わたしの中の嫌な予感は一瞬でMAXになった。
「では、いきますよー」
ちょっと待って。
まだ心の準備が――
「あ、よりによってそこかぁ……」
ふと、最後に聞こえた神士の言葉にいろいろと質問を投げかけようとしたところで、わたしの意識はあえなく闇に呑まれた。