第二話~出発~
『御霊移し』の警備任務当日の朝。
剛はキッチンで朝食を作っていた。
タイマーセットした炊飯器が白米を炊き上げる傍らで二人分の魚を焼き上げ、味噌汁を作っていく。
「・・・・うん。やはり味噌は白に限る・・」
小皿に掬った味噌汁を味見しながら料理の出来を確かめる。
剛が守宮の屋敷を出て、この家に住んでから毎日のように繰り返れている光景。
二人分の皿を用意して朝食を食卓に並べていると――――。
「ふあぁぁ・・・・・。おはよ~タっくん・・・・」
寝ぼけた眼を擦りながら、ダボダボなTシャツをパジャマ代わりに着ている三葉が食卓にやってきた。
「タっくん、お水~」
「はいはい・・」
剛は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、コップに注いで三葉に渡す。
「うく・・・・こく・・こく・・」
Tシャツの袖に隠れた両手でコップを受け取った三葉はミネラルウォーターを飲み干していく。
ちなみに、彼女のTシャツのサイズが明らかに合っていないのは、元々このTシャツは剛が着ていた物で、物ぐさな彼女が適当に箪笥から適当に引っ張り出して着ているためである。
「ぷはぁぁ~!!」
水を飲んで目が覚めたのか、三葉は食卓の食器を並べ始める。
「今日も和食?偶にはパンが食べたいな~」
「だったら自分で作ってくれよ」
「あ~~。それはパス。めんどくさ・・・・もとい、タっくんのごはんの方がずっとおいしいんだもん♪」
「今、めんどくさいって言おうとしただろ!?・・まあ、いい。和食の方が栄養のバランスがいいからな」
まあ、嘘は言ってないが本心でもない。
剛の作る料理は、所謂『男料理』であり、味にある程度は気を使っても、栄養バランスまではそんなに考えて作ってはいない。
元々、剛はハンバーグや餃子などと言った、白米と相性のいい食品を好み、自然と作る料理が和食中心となってしまっているだけである。
「それに、朝からしっかり食べた方が体もよく動く。確か今日はこの後、戦闘訓練があるんだろう?」
三葉は小柄ながらも魔術公団である『警察特別機動隊』に所属する魔術師なのだ。
部隊の教導官の仕事も務めている実力は折り紙付きであり、彼女が本気を出せば彼女よりも二回り以上大柄な剛さえ手玉に取るようにポンポン投げてしまうだろう。
――――と言うより、剛は初めて出会ったその日から彼女に体術を教わっているのだが、今までに一度も彼女に勝てた例がないのだ。
「にゃははは~。お姉さんの心配なんて100年早いぞ~。・・・・・・・・・(ボソッ)でも、嬉しいよ」
「何か言った?」
「何でもないです~」
他愛のない話をしながら朝食を終えた二人はスーツに着替える。
「じゃあ、私は先に出るから戸締りよろしくね~」
「はいよ」
さっきまでのだらしない姿とは打って変わり、ぴっちりとしたスカートタイプのスーツに身を包み、腰まであった黒い長髪を頭の後ろで結い上げた彼女の姿はそれまでにない凛々しさを放っていたが、小柄な体型のせいか、どちらかと言えば服に着せられている感がある。
剛は玄関の三葉に弁当を渡し戸締りをして出掛けるのであった。
「警部殿、おはようございます!!」
「おはよう」
警察署の駐車場についた剛を若々しい青年が敬礼で迎えていた。
彼の名は小林純一。
剛の後輩である巡査部長で、魔術に何の関わりもない極々一般的な家系の出身であるが、偶々変換回路を持っていたために刑事課から零課に引き抜かれた青年である。
剛と小林は警察おなじみの白と黒のツートンカラーのパトカーに乗車し、守宮家の屋敷に向かった。
「警部殿、一つ聞きたいことがあるのですが・・・・」
「何だ?」
目的地に向かうパトカーの中で、運転を務める小林が剛に質問してきた。
「今回の警備任務先で行われる『御霊移し』とは一体何なのですか?」
「局長から聞いていないのか?」
「警部殿以上に詳しく説明できる者はいないとのことで、直接本人に聞くようにと言われました」
なるほど、確かに剛以上にあの儀式に詳しい者は零課には存在しないだろう。
「『御霊移し』とは魔術組合『封杖院』・・いや、正確にはその中心一族である守宮家の当主が代々執り行っている重要な魔術儀式だ・・・・」
そもそも、守宮家の始まりは300年前の江戸時代にある妖魔を封印したことから始まる。
妖魔とは人々から化物や妖怪、悪魔などと呼ばれる『人ならざる』存在の総称である。
その知名度や強大さから、『童謡』『民話』『伝説』『神話』と順に区分され、守宮家は当時、猛威を振るっていた神話級の妖魔を封印した功績により幕府に取り立てられ、今の地位を確立した一族なのである。
『御霊移し』とは、現在の妖魔を封印している地とは別の場所に同じ封印の術式を構築し、そこに妖魔を移して再封印する儀式である。
このような行いには二つの重要な目的がある。
まず、封印した妖魔の封印場所を定期的に変えることで、強大な妖魔の力を悪用しようと目論む存在から封印場所を特定されないようにするためである。
次に、もっとも重要な理由として、封印技術と智識を途絶えさせないためである。
これは三重県の某神宮の社が定期的に建て替えられるのと同じ理由でもあり、彼の社が20年周期で建て替えられるのは諸説あれども大きな理由の一つとして、携わる大工職人の建築技術を途絶えさせないためである。
神社のような特殊な建築法は現在の一般的な建築物では使われることがまずないため、仮に神社の立て直しがなければ、プロの大工職人であろうとも一生その技術に携わらない者も多いのだ。しかし、それでは、いざ神社が破損して修復が必要になった時に文献の資料だけで当時の技術を完全に再現することは不可能である。そのため、その技術を忘れないようにするためと、新たな世代にその技術を継承することを目的として定期的に新しく建て直すのである。
『御霊移し』も同様であり、封印術と結界術を専門とする守宮の一族においても、神話に登場するような神々を封じ込めるような封印など、通常はまず一生構築することなど無い。しかし、最悪の事態になってしまったときに『出来ません』など論外である。故に、守宮家ではもっとも重要な儀式と言われているのである。
「・・・・とまあ、そんなところだ」
「へぇー。そんな重要な儀式に自分のような若輩者が参加して良かったのでしょうか?」
「局長が判断したのだから大丈夫だろう。自信を持ちなさい。それに、この儀式は徹底して秘匿されているから、そうそう大事が起こるとも思えないが、油断はしないでほしい。過去の儀式は特に大きな介入もなく終了しているようだが、今は大陸の連中やテロリストなどがきな臭い動きを見せているようだからな」
「りょ、了解っす!!」
二人を乗せたパトカーが郊外にある大きな屋敷に到着した。
「初めまして!!零課所属の小林純一巡査部長です!!」
「「「ご苦労様です」」」
敬礼をしながら自己紹介をする小林に柔和な笑みで会釈を返す守宮の人々であったが、助手席から出てきた剛を見た瞬間、その笑みを崩した。
「お、お前は!!」
「お久しぶりです・・・」
「はっ!!今更どの面下げて帰ってきた!!出来損ないのお前が!!」
「・・・・・・・」
無能、出来損ない、役立たず。
それが幼いころから剛に与え続けられたこの屋敷での評価である。
剛は守宮家の現当主の実の息子でありながら、魔術を使用するために必要不可欠な変換回路を生まれながらに持っていない。
しかし、いくら勉学が秀でていても、体術に天賦の才があろうとも、その一点だけで彼は『無能者』の烙印を押されてしまったのだ。
これが戦闘能力に至上の価値を見出す土御門家を主体とする魔術組合『陰陽堂』に生まれていたならば、あるいはここまで卑下されることもなかったかもしれない。・・・まあ、あの組合は陰陽術至上主義でもあるため一概にそうだとは断言できないが、一目置かれる存在にはなれただろう・・・・しかし、結界や封印などの現代の科学技術では代用不可能な分野を専門とする守宮家では剛には変換回路を持たない時点で一片の価値もなかったのである。
「騒がしぞ!!お前ら!!」
「「「お嬢!!」」」
「!?」
屋敷の奥から声が響き、剛に忌避の視線を向けていた者共がその声の主を見遣る。
そして、剛はその声の主を目の当たりにして、まるで呼吸を忘れてしまったかのように見入っていた。
「・・・・・・・禊・・・・・・」
屋敷から出てきたのは毛糸のセーターを着込んだ制服姿の非常に小柄な少女。
冬用の黒いセーラー服とミニスカートの下にスパッツといったスポーティーな恰好をしていた。
そう。
彼女こそが剛の妹であり、次期当主の守宮禊である。
「ふん!!この家を追い出された無能者が今更何の用だ?生憎、今回の儀式はボクたちが政府から全権を任され、零課ができる以前から執り行っている伝統ある儀式だ!!部外者に立ち入ってもらう気はない!!」
「・・・・・・・」
禊のかつての記憶とはあまりにもかけ離れた言動に酷く動揺するものの、心のどこかでは納得している自分がいた。
そうだよな――――。
あれだけ放っておいて、今更になって兄貴面するのなんておかしいよな―――――。
剛は今まで禊にしてきた仕打ちを思い、自分がどれだけ彼女に都合のいい考えを押し付けていたかを思い知った。
しかし、剛はそれを承知で帰る決意をしてここまで来たのだ。
嫌われたままでも構わない。
彼女との関係を一から、否、0からまた始めよう。
そう決意し、彼女に歩み寄ろうと言葉を紡いだ。
「・・・・いえ、我々はそこまで深く踏み入るつもりはありません。ただ、皆さんの身の安全や情報の漏洩を防ぐことを最優先で任務に当たらせていただきますので、どうかお気遣いなく・・」
精一杯の笑みを浮かべながら禊に告げる。
「精々足を引っ張らないことだね!!無能が無能なりにちっとは役に立つんだね!!」
そう言って禊は屋敷の奥にずかずかと引っ込んでしまった。
「・・・・警部殿、今のがもしかして・・・・?」
「ああ、私の妹だ」
「ずいぶん嫌われてますね・・・・」
「まあ、8年も放ったらかしにしてしまっていたからな・・・・・・約束しておいて一度も果たせなかったんだ、まあ当然かもしれないな・・・・」
「?」
最後の言葉は口にした剛以外には誰にも届かなかった。
「・・・・・・やっちゃった・・・・・・・」
自室に戻った禊は盛大に落ち込んでいた。
それはもうまさにこの世の終わりではないかと言うくらいに。
「ああああ~~~~~~~!!ボクの馬鹿~~~~~~~~~~~!!せっかくお兄ちゃんが帰って来てくれたのに~~~~~~~!!馬鹿馬鹿馬鹿~~~~!!」
頭を抱えながらベッドの上を転げまわる。
「何をやってるの?」
「弥生ちゃん~~~~」
ベッドの上を転げまわっていると、部屋の扉から禊に面影が似た少女が入ってきた。
彼女は結城弥生。
守宮家の分家筋の人間であり、禊と同い年の少女である。
遠縁の割に二人はよく似ているが、禊の髪型がボリュームのあるウルフカットであるのに対し、弥生は髪の量が少ないすっきりとした感じである。
弥生の方が早生まれのせいか、禊はことあるごとに彼女によく相談事を持ちかけていた。
「う~~~~。せっかく兄様が帰ってきてくれたのにボクつい酷いことを・・・」
「私の前だからって言い直さなくても・・・・大好きなお兄ちゃんに何て言ったの?」
弥生は眠そうな瞳を禊に向けながら聞いてきた。
「・・・それがね・・・」
禊は先ほどの事情を弥生に話した。
実のところ、禊は最初こそ剛を恨んでいたが成長し、守宮家の内情を知るにつれて剛がどのような苦境に立たされていたのか理解していた。
だから本当は分かっているのだ。
剛が出て行くことが最も波風が立たない次善解であったことも、剛が屋敷を追い出されてどれだけ辛い思いをしてきたかも―――そして、剛をそういう状況に追い込んでしまった原因が他でもない自分にあることも―――。
しかし、理性と感情は別物である。
例えそうであったとしても、禊は剛に傍にいて欲しかった。
あるいは一度でも顔を出していれば、また違った結果になったかもしれない――――。
「・・・・落ち着いて。・・・・儀式は一週間にかけて行われるのだから、まだ剛さんとの時間は十分にある。・・・・ゆっくりと開いた距離を埋めていけばいい・・・・・」
「大丈夫かな?・・・あんなひどいこと言って・・・ボク嫌われてないかな?」
「・・・大丈夫。・・・私も協力してあげるから・・・・・・ね?」
「ぐすっ・・・・・・うん。そうだね・・くよくよしてもしょうがないよね!!うん!!絶対兄様と仲直りして、この家に帰ってきてもらうんだもん!!」
「頑張って・・・」
こうして一人の少女が決意を新たにするのであった。
補足:零課は国家主体としては初めての魔術公団(零課ができる以前に存在していた陰陽寮は土御門家が主体で取り仕切っていた)であり、発足して100年程度の組織であるため、魔術絡みの捜査や対策へのノウハウが不足している。
そのため、魔術組合に外部協力を求めることが多く、国家権力でありながら、特に日本の三大組合には頭が上がらない(組合の母体となった血族が政財界に非常に顔がきくのも要因の一つである)のが現状である。