第一話~任務~
警察局本庁特務捜査機関、通称『第零課』が剛の所属する仕事場である。
かつて陰陽術の大家である土御門の一族が中心となって取り仕切っていた陰陽寮が明治維新により解体された後に新たに設立された、主に魔術を始めとした異能により引き起こされた事件を中心に捜査、逮捕するために作られた組織である。
公式には存在しない秘密の部署であるため、本庁の片隅、警察関係の者ですら一部を除いて誰も近寄らない場所に部署を構えている。
剛はその部署の局長室に足を踏み入れていた。
「今回呼んだのは他でもない」
目の前の白い長髪に眼鏡をかけた青年、第零課の局長が机の上で手を組みながら剛に切り出した。
「他ならぬ君ならばよく知っていると思うが、今年は魔術組合『封杖院』の重要儀式である『御霊移し』が執り行われる。そして今年からは守宮のご令嬢がその儀式を執り行うそうだ。そこで、今回も我々魔術公団である零課が警備任務に当たることとなった」
魔術関係の組織は主に三つの形態に分類される。
一つは魔術師の仕事の斡旋や仲介を行う『組合』。
一つは魔術師同士による研究や交流などの活動を行う『協会』。
そして、最後の一つが先ほどの二つが民間の組織なのに対し、国家機構である『公団』である。
「そこで、今回の任務には君と小林巡査部長が儀式の警備として封杖院の人間に同行してもらいたい」
「自分がですか?」
局長の言葉に複雑そうな表情を浮かべる剛。
「そう嫌な顔をするな。君の事情は聞いているつもりだが、今は他の者は手が空いていない。最近頻発している儀式殺人の調査に忙しくてな」
「儀式殺人ですか?」
剛はその言葉に訝しんだ。
零課が担当していると言うことは、魔術師が絡んでいる事件であることは間違いないが、真っ当な魔術師ならば好んで儀式殺人をするような物好きなどいない。
犯すリスクに対して得られる成果など高が知れているからである。
なので、魔術絡みでこのような事件を引き起こす者と言えば、真っ当でない理由で形振り構っていられない異端魔術師や独学で魔術を、それも性質の悪い黒魔術の類を会得した似非魔術師、異能での殺人に狂った精神欠落者、あるいは・・・・・。
(最も実用的で最も厄介な理由の奴がいたな)
しかし、それは非常に希少な事例なので、剛は心の中で即座に否定した。
「まあ、そう言う訳だ。これを機に実家の方に顔を出してみてはどうかね?」
「はあぁ・・・。分かりました。謹んでその任務お受けいたします」
「うむ。健闘を祈っているよ。出発は二日後。『鬼切』と『自壊乱』の使用許可書も書いてあるから今日中には備品室で装備の受け取りを済ませてきなさい」
二枚の書類を局長から受け取り、剛は部屋を後にした。
魔術。
それは現代に一般的に普及している科学技術と対をなすもう一つの技術体系である。
人間の体内の『気』を魔術師が持つ疑似臓器である『変換回路』で『魔力』へと変換し、呪文や祝詞と言った『言霊』の詠唱や刻印や魔法陣と言った『陣』を描くことで組み上げた『術式』に流し込むことによって特異な物理現象を引き起こす技術の総称である。
その法則を知る者が使いこなせば、空を飛び、火災を鎮め、川の氾濫を抑え、疫病を食い止め、怪我を癒すなどと言った奇蹟さえ起こすことさえも可能にする技術なのであるが、世間一般ではその技術は『存在しないもの』とされている。
その技術が秘匿される理由は産業革命を境に過去と現代では大きく異なる。
古の時代、魔術を探究し、その秘奥を修めた者たちはその恩恵を多く受けていた。
なぜなら、科学技術が十分に発達していない時代においては魔術でしか実現不可能なことの方が大多数だったからである。
現代において魔術師の名家と呼ばれている家系の大多数は、かつて、その秘奥の智識と技術を以てして時の権力者に取り入り、寵愛を受けることにより、その甘い汁を啜ることで発展していった。
そして、取り入っていた者の権威が失墜すれば、別の国で同じように取り入ることでまた繁栄すると言ったことを繰り返してきたのである。
魔術師にとって、自らの一族がその人生を賭して探究し、蓄えたその智識や技術は一族にとっての象徴であると同時に、その一族に莫大な利益をもたらす貴重な知的財産でもあるのだ。
古の時代で魔術が秘匿されていたのは、所謂『智識の専有』であり、一族で利益を独占するために門外不出の秘密として守られ続けてきたのである。
しかし、これが産業革命以降の科学技術の台頭により、魔術でしか実現不可能であった多くのことが科学技術によって代用可能となった。
いや、むしろ現代のような大量消費型社会においては、同じ規格の物を安価で大量に生産する点で魔術より優れる科学技術は代用ではなく不可欠な技術となっている。
そのため、魔術の絶対性が崩れ、魔術師の事情が大きく変わってきた。
魔術の必要性が薄まり、魔術師の存在意義が危うくなってきたのだ。
かつては火を起こそうと思えば、枯れ木を集めて火打石で火種を着火させるよりも火の魔術を使用した方が効率よかったが、今では100円のライターが一つあれば事足りるし、同じようなライターは近所のコンビニですぐに手に入れることができる。
そう言った事情により、多くの魔術師の家系が衰退の一途を辿って行った。
その上、飛行機や高速新幹線などの移動手段の発達による人口移動の活発化やインターネットなどの情報技術の発展による高度情報化社会における情報の拡散により、独学による似非魔術師が増えてきたため、一族の秘術を守るのが難しくなり、一族だけでの利益独占が難しくなってきたのだ。
衰退した魔術師はそれまでの血族主義による極端な秘密主義から時代に適合した形に移り変わって行った。
その一つが魔術組合である。
同じような系統の魔術を得意とする者同士が集まって技術を共有し、仕事の斡旋と仲介を行うことでその利益で繁栄を維持するのだ。
そのような流れを組む魔術組合は多く、規模の大きなものほど母胎となった血族が存在する。
例えば、先ほどの『封杖院』も結界と封印の魔術を代々得意とする名門守宮家が母胎となっており、伝統的に魔術組合の組長も一族の当主が務めることとなっている。
魔術師は時代に合わせてその在りようを変え、秘密主義もかつてと比べればだいぶ
薄くなったが、それでも魔術の存在は秘匿され続けた。
何故ならば、魔術は『万人に使える』技術ではない為である。
魔術の使用には『変換回路』が必要不可欠である。
しかし、それは全ての人間が持つものではなく、日本人では約3割、世界規模で見ても2割に満たぬ人間しかこれを持たないのだ。
そして、それを持たぬ者には決して魔術を使うことが出来ないのが当然の理である。
しかし、産業革命以降の高度経済社会において技術に求められるもっとも重要な要素とはその『誰が使用しても同じような結果をもたらす』と言う普遍性であった。
これが中世の時代における、貴族の様な一部の特権階級が大多数を支配すると言った社会構造であれば問題はなかっただろう。
『生まれながらに持つ者』と『生まれながらに持たざる者』が存在することが当たり前であった時代ならば技術や智識は『一部の者が理解できればいい』とされてきた。
しかし、時代は変わり、現在は支配者の特権であった『教育』を万人が受けられ、王政から民主政に移り変わり、『万人は平等である』と言う思想が根強く浸透している。
そんな社会で魔術と言う存在を不用意に公開してしまえば、それを使用できる者に対し歪な『選民思想』を助長する要因となる可能性が高く、社会基盤を揺るがすような混乱を生じかねない為、『必要性の薄い技術なら最初から知らなくてもいい』と言った方針で魔術の存在を秘匿し続けてきたのだ。
だからこそ、剛たちは警察の同僚からもどんな仕事をしているかは理解されず、時には『ただ飯ぐらい』だの『窓際部署』だのと揶揄されながらも社会の裏でその『存在しないもの』の情報の漏洩を防ぐために日夜頑張っているのだ。
局長から書類を受け取った剛はその足で『備品室』と書かれたプレートのある部屋に来ていた。
『備品室』には零課職員の装備一式が保管されており、拳銃や警棒、手錠などと言った通常の警察と同じ道具や魔術関係の道具、それに大がかりな戦闘を想定した高火力の武器まで管理されている。
無論、通常業務には必要ないと判断されるような特殊な品は局長直筆のサインと許可印が押された許可書を持ってこないと渡されることはない。
剛はそう言った品を取りにこの部屋を訪れていた。
「失礼します」
扉をノックして室内に入る。
「いらっしゃい~」
剛が声を掛けると、やけに間延びした返事が返ってきた。
「トメさん。いつもの装備一式お願いします。これが許可書です」
「あいよ~」
受付にいるトメさんに書類を渡すと部屋の奥へと消えていき、しばらくすると、アタッシュケースを持って奥から戻ってきた。
「おまち~。いつもの装備一式ね~。『鬼切』と『自壊乱』27発ね~」
「ありがとうございます」
アタッシュケースを開けると、白木の箱に収められた刀身と拳銃の弾倉のようなものが9本収められていた。
「しかし、珍しいもんね~。『自壊乱』はよく使用許可下りるけど『鬼切』まで使用許可が下りるなんてね~」
「今回の任務は『御霊移し』の警護任務だそうですよ」
「あ、なるほどね~」
剛の説明にトメさんは納得した表情を浮かべた。
「それにしても大丈夫かい?」
剛の事情を知るトメさんも剛を心配するが―――。
「いえ、いいんですよ。こんな機会でもないと、これからもずっと先伸ばしにしてしまいそうで・・・むしろチャンスだと思ってます」
「そうかい。それならあたしからは言うことはないね~。頑張っておいで!!」
「ありがとうございます」
そうして剛はアタッシュケースを持って備品室から出て行った。
今日の業務を終えて本庁を出た剛は二日後の出発の為の買い物を済ませ、家に帰宅した。
「ただいま」
「た~~~け~~~る~~~!!遅いよ!!お腹す~~~い~~~た~~~!!」
帰宅した途端、同居人の声が鳴り響く。
「三葉姉。たまには自分で作ったらどうなんですか?」
剛はその声の主に対して白い眼を向ける。
視線の先には下着姿にTシャツを着た褐色の肌を持つ黒い長髪の少女?がソファーでくつろいでいた。
ソファーの前の机には大量の缶ビールが散乱している。
「それとどうして空腹でそんなにビールが飲めるんですか?」
「ビールは飲み物じゃないよ!!私の血そのものだよ!!」
意味不明な言葉をのたまっているが、確かに今、血液検査したらアルコール度数100%って出そうで怖い。
「それに~タっくんのごはんおいしいんだもん!!私タっくんのごはんがた~~~べ~~~た~~~い~~~!!」
完全にたちの悪い酔っ払いみたいになっているが、こうなっては何を言っても無駄だと経験から知っている剛は素直に台所に向かう。
「やれやれ・・・・これじゃあどっちが保護者か分かったもんじゃないな・・」
そう、何を隠そうこの少女?こそが高校時代に守宮家を出て行った後、警察学校に入学するまでの間、剛の保護者を務めていた人物であり、卒業後は警察での先輩でもあった朝倉三葉なのである。
今は亡き母の親友らしく、彼がまだ幼かった時に初めて会ってからもう20年近く|経っているはずなのであるが、その外見は一向に変わらず、今でも中学生に間違われる外見をしており、大のビール好きなのにも関わらず、初見では誰も売ってくれないくらいである。
「何か言った~~?」
「いえ・・何も・・・・」
「にゅふふ~~。口答えするなんて生意気だぞ~~」
「ああ、もうっ!!包丁使ってるんだからじゃれつくな!!」
首をホールドしようとジャンプするが身長差が大きく、腰にしがみつくに留まっている三葉を振り払いながらもテキパキと調理を続ける剛。
「ほら、できたよ三葉姉」
「やったーー!!」
剛は出来た二人分の料理を机に運び、三葉が二人分の食器とコップと出す。
「「いただきます!!」」
少し遅めの夕食を食べていると――――。
「ねえ~タっくん・・・「駄目!!」・・・まだ何も言っていなよ?」
「ビールはもう駄目。これ以上飲んだら肝臓に悪いよ」
「にゃっ!?どうして分かったの!?」
「あんたの頭の中にはアルコールの事しかないんかい!?」
当たっていると確信していても、いざ当たってしまうと突っ込まざるを得ない剛であった。
やがて食事を終えると――――。
「今日遅かったね?何買ってきたの?」
三葉はリビングに置かれたビニール袋を眺めながら剛に聞いて来た。
「少し泊りがけの警備任務があって、そのための準備」
「警備任務?」
「『御霊移し』だよ」
「タっくん!!それって!?」
「ああ、分かっているよ。いい加減腹くくらなきゃね」
「そうか。ようやく決心したんだね。お姉さん嬉しいよ」
二人でいるとほぼ100%妹に間違われるお姉さんが嬉しそうに剛に語り掛けてきた。
「まあ、頑張ってね」
「あいよ」
剛は食器を片付けに机を立ち上がり、台所に向かった。
補足:零課は刑事課に分類されるが、魔術絡みなら交通課(飛行魔術の取り締まり)や少年課(異能に悩む子供たちの保護・監督)、警備課(儀式の護衛任務)などの幅広い分野を担当している。