僕は妃と話ができない2~夜の二人~
僕の父が治める帝国が、歴史在る王室を持つ小国を滅ぼした。これはよくある話。
更に歴史在る王室を穏便に乗っ取るため、父帝は皇子である僕と、小国王室の生き残りとの政略結婚を画策した。これもよくある話。
そうして僕と妃は、周囲の思惑によって成立した政略結婚に至り、夫婦となった。
大小様々な戦火があちこちに燃え広がり、国々が興亡するこの時代においては、取り立てて騒ぐようなものでもない、本当によくある話だ。
――まぁ妃が赤ちゃん(生後三ヶ月半)っていうのだけは、珍しいのかもしれないけどね。
「ぅおーっ、おっおっ、う゛ぉーっ、ぶーっ」
「……うんうん妃、ご機嫌だね」
僕が横に寝ている巨大な寝台の上で、ブンブンブンと僕の妃の手足が振られる。
「だぁーっ、ぶっぶぅーっ、あーっ、ぬーっ、ぶぉあっふーっ」
「お昼寝が長かったんだってね? ……乳も飲んだし、すぐにまたおねむになるって乳母殿は言っていたけど……なんか夜中になるほど、目が冴えてないかい君?」
そろそろ寝返りができるようになるのか、腰と背中の力まで利用して勢い良く、ブンブンブンブンと妃の手足は振り回される。
乳母殿曰く、これは自分の身体を使った遊びであり、挑戦なのだそうだ。とても楽しそうだ。
「ぶーぶあほーっ、あぶーっ、あぶーっ♪」
「――ああもうっ」
ここは帝国の属国――元滅ぼされた小国の城内にある、国王の寝所。
結婚したので当然、僕と妃は一緒の寝所で眠っている。
「妃っ、夜着を跳ね飛ばして、お腹丸出しになっちゃだめだろうっ?」
「うーっ?」
彼女は僕の妃にして、滅ぼされた歴史ある王室の直系血筋。処刑された最後の王の、第一王女。
僕は彼女と結婚する事で、この国の王となった。僕にとって彼女はこの国の王位継承権そのものであり、国民にアピールする王冠や王錫でもあるのだ。
という事で僕は、彼女を失う訳にはいかない。
だからこの妃の夫として――嫌がられても彼女の健やかな成長を、守らなければならないんだっ。
「女体に冷えは厳禁なんだぞっ。それに風邪をひいたりお腹壊したりでもしたら、怖い御医者から苦~いお薬を飲まされるんだからねっ?」
「だうーっ? だうーっ、ぶぶーっ、ぶぅーっ」
僕は身を起こして、遊びの邪魔をされてぶぅぶぅ抗議する妃の薄い夜着を直し、毛布をかけてやりながら妃を窘める。
暖用の火は女官達によって心地好く焚かれているが、早春の深夜から朝はまだまだ冷える。下手な事をすれば大人だって風邪をひく季節なんだ、油断はできない。
「熱冷まし薬や咳止め薬は、良く効くモノほど苦~くて臭~いんだよ? 君そんなの飲まされて耐えられるの? まだ乳以外のものを食べた事もないのに?」
「ぶーっ、ぶーっ、ぶーぶーぶーっ」
「……あれ? 乳児って投薬できるものなのかな? ……後宮ではどうしてたっけ……昔の事過ぎて、よく憶えてないな……」
「ぶぶぅっ、ぶぶっ、ぶっ!」
「――あっ、こらっ、言ってる側から毛布を蹴り上げるんじゃあありませんっ。今はあったかくても、眠ってるうちに寒くなるのっ、僕の言う事を聞きなさいっ」
「ぶーっ」
だが夫の心妃知らず。
まだまだ遊び足りないのか、自分の邪魔をしている毛布や夜着の長い裾を短い足で蹴り上げながら、妃は元気に動き回る。
「こっ、こらっ、本当に怒るよっ?」
「きゃーっ、あうーっ、ぶーっ♪」
……いや、毛布を蹴り上げるのが既に、遊びになっているんだろうか? 僕が直す度に薄い毛布はあっちこっちに蹴り上げられ、妃の視界を飛び回った。
「きゃっきゃっ♪」
「こ……こらぁっ、君ねぇっ、僕は君と遊んでないからねっ、二人寝台で色々楽しむのは、君が大きくなってからなんだからねっ?」
「きゃっきゃっきゃっ♪ だーっ」
「だからもーっ。――ほらっ、ちょっとここに座りなさいっ」
「だう?」
埒があかない僕は、妃を膝の上に抱き上げて座らせた。
「……きゃっきゃっ。あうあうっ」
首が据わったばかりの妃は、こうやって座らせてもらって、寝ている時より高い目線になるのも好きだ。膝の上で、椅子(僕)とユサユサ揺れるのも好きだ。
「……いいかい妃、これはとても大切な事なんだよ」
「だぁっ」
ユサユサと揺らしてあげながら、座っている妃の頭を撫で、僕は言い聞かせる。
言葉と会話を覚えさせるためには、こうやって繰り返し話しかける事が大事だって乳母殿も言っていた。だったら王族の常識も一緒に教えておけば、一石二鳥のはず。
「僕ら王族にとって、健康はとても大切なものだ。特に国王、王妃が倒れれば、それは国家運営において、致命的な弱みになりかねないんだ」
「だぁっ」
「僕達の間には、まだ次代(子供)がいない。王室直系である君にもしもの事があれば、この国の王位継承問題は大きく紛糾するだろう」
「だぁっ」
「だからこの国の末永い安寧のためには、君は健康に成長し、僕との間に男児を成さなくてはならないんだよ妃」
「だぁっ」
「……判ったかい?」
「だぁっ」
「……本当に?」
「だぁっ」
「…………1、2、3」
「だぁーっ!!」
……ハッ、僕は何を?
いやそれはとにかく。うん。ご機嫌ではあるけれど、判ってないよね妃。……まぁ判ってくれるなんて、期待はしてなかったけどね。
……本当はほんの少しだけ、そんな奇跡が起きたらこれから楽だなとか、思ったりしただけだけどね。
「……」
「……」
ちょっと部屋隅に待機してる女官達、素知らぬ顔してるけど、肩揺れてるの見えてるからね。別に聞かれたって気にしないけどさ、笑いを噛み殺すなら完璧にやってよ。
「……はぁ……もう寝なさい。はいおねむ、おねむ」
「ぶっ?!」
諦めて再び妃を寝台に寝かせると、それが不満だったのか妃はぶぅぶぅと声を上げて、再び手足をバタバタさせ始めた。
「……ねぇ妃~、僕もう寝たいんだけどねぇ~?」
「だっだっだっだっぶーっ」
まだまだ遊び足りないらしい。
……ああ、女は話が通じないとボヤいていた、兄皇子達の気持ちが今判った。いや、兄上達が言いたかったのは、こういう意味じゃないだろうけど。
「……妃と話ができないってのは、なかなか難しいもんだねぇ……」
「ぶぅ~ぶぅ~」
「……ははは」
……今まで父や兄達に教わった事が、君には役に立たないんだね妃。
それは悲しいような……ちょっと嬉しいような、不思議な気分だよ。
「……君が十五、六の小娘だったら、理想の王子様を演じて、こちらの意のままに操れるよう懐柔してあげたんだけどなぁ……」
「ぶぶーっ、ぶぅぅうぷー」
「……はは、今更無理だねぇ」
……ねぇ妃。これでも僕は大帝国皇帝の息子だ。
大勢の王侯貴族達の前で、下々の前で、相手につけ込み誑かし、帝国の有利になるよう懐柔する態度や会話術は、子供の頃から叩き込まれていた。そしてどこに婿入りしても、それを政略結婚先でも大活用するようにと、命令されてきた。
……命令通りしていた方が、今まで楽だったからさ。だから僕はね、未来の妃に対しても、そうするんだろうってずっと思ってきた。
「ぶぅぶぅ~っ、むむ~っ」
「こらこらこら、いいかげん疲れて寝てよ~……」
でも君には、そうできない。だからそうする意味も必要も感じない。
……それが良い事か悪い事かはまだ判らないけど。……でも僕はさ妃、君に対してはこれからも当分……正直に接していくと思うよ。
「ぶぅぶぅぶぅ、あぶぶぅぶぅ」
「……というわけで、これ僕の本音だ妃。――眠いんだ。大人しくして僕を安眠させて」
寝っ転がってもう一度毛布を掛けた僕に、妃はぶうー、と声を上げて、毛布を蹴り上げる。
「……ふふふ」
「ばぶばぶばぶーっ♪」
中々の脚力だが妃……そこまで君が反抗すると言うのならば、そろそろ僕も、強硬手段に出ざるを得ないね。覚悟したまえ。
――という事でっ。
「――えいやっ」
「ばぶーっ?!」
僕は身長よりも随分長い妃の夜着の裾を掴むと――それを足がすっぽり覆う長さでしっかり結び、袋状にした。
「ぶーぅ! ぶぅー!」
「ふははは、これだけしっかり袋にしてしまえば、はね飛ばせないだろう妃?」
「ぶぶぶぅーっ! ぶっぶぶぅーっ!」
「無駄無駄。動きを阻害する程じゃないから、そこまで嫌がらないの。……毎晩こうしておけば慣れて、大人しく寝るようになるかな~?」
これも君がお腹出して寝て、風邪をひかないためさ妃。少しだけ窮屈かもしれないけれども、夫の愛情を、素直に受け取りたまえ。
「……それじゃあ、おやすみ~僕の妃~」
「あぶぅうううううううっ!」
妃の怒りのあぶーを聞きながら、僕が寝台に埋まるようにして目を閉じる。
ちょっと五月蠅いけどとりあえす、これで妃を心配せず眠れそうだね。
「あぶあぶあぶぅううううううっ!!!」
……ふぁ。
――そして翌朝。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………どうしてこうなった」
「……すやぁ」
裾袋に全力で抵抗した僕の妃は――とうとうそれを自力で脱出し、すやすやと安眠していた――全裸で。
「……」
「……」
……あ、寝返り打てるようになったんだね。じゃなくて。全裸って君……。
――いやちゃんと毛布はかかってる!! かかってるけどさちょっとそこの女官!!
「……答えよ。何故余の腹の上で、妃が寝ておるのだ?」
お応えいたします陛下、と恭しく頭を下げた女官は、やはり笑いを噛み殺しているとしか思えない震える肩で、簡潔に返答した。
「御夫婦としては何の不思議も無い、仲睦まじいご様子であられましたので」
――そうだね――二十年後なら僕もそう思うけどね!!
一発ネタ派生消費。
女官達……貴人に仕える淑女達だが、王と妃の結婚以来笑いの発作に堪え、腹筋が鍛えられている。