五:銀灰・金・鉄・紅・『闇』
約3ヶ月近くの更新停滞をお詫び致します。
評価、感想、指摘、リクエストなど随時お待ちしております。
空を切る黒い霧。シャルトリューは紙一重で回避する。彼女の本能が告げていた。「アレに触るな」と。
外套に隠していた二振りの刃は抜かず、ただ敵の不規則な攻撃を避け続けていた彼女だったが、さすがに不可能と判断したのだろう。刃を勢いよく引き抜くと同時に襲い来る黒霧を容赦なく切り裂いた。
「シャル!」
「ダイジョブよ…とりあえずアラシはここから離れて!」
逃亡を促すシャルトリューだが、アラシは応えずに腰に差してある細剣を引き抜く。彼女にとって逃げるという選択肢は端から持ち合わせてはいないらしい。アラシの目が細められる。
「私が逃げる? 馬鹿なことを言わないでくださいな。私を誰だと思っていますの? 元黒獅堂エージェント、ヒストリックですわ!!」
真半身になり敵と向かい合うアラシ。シャルトリューは忘れてはいなかったが、彼女の好戦的な性格を見誤っていた。『数ヶ月前』の事とはいえ自分たちは同じ場所に所属していた。
『株式会社 黒獅堂』
そこは様々な依頼を請け負いそれを完遂し報酬をもらう、一般的に言ってしまえば『何でも屋』の拡大版。しかし、それは文字通り『何でもやる』ということ。赤ん坊の子守、買い物、家事。さらには魔物の討伐、殺人や、戦争の支援といったものまでだ。シャルトリューは殺人の依頼はあまり請け負わない。それは偶然だったのだろうがアラシは違う。
彼女はコードネームとは違う異名を持っていた。その名は『処刑執行士』。その名の示す通り、彼女は殺人の依頼を数多くこなしてきている。その処刑率は約100%。
「アラシ。お願い、今回だけは退いて! こいつはなんだか知らないけどヤバイのよ。アラシの剣じゃ多分『取り込まれるわ』!」
『言ってくれるな小娘。あまり俺の主を侮辱することは言うんじゃねぇよ』
聞こえてきたのはアラシとは対照的な低く、そしてどこか下品な声。声はアラシの持つ剣から聞こえてきていた。
「ティル。剣の形が変わってもその声は変わらないんだ…まぁいいわとにかく行って」
「……わかりましたわ。シャル、死なないで下さい…」
「冗談はティルの声だけにしてほしいもんだわ」
『てめぇ…いい度胸だ!! 主、斬り刻―――』
ティルの声はアラシが剣を収めると同時に消えた。アラシは敵に背を向けその場を走り去った。彼女は逃げる際、背後を襲われる事を危惧していたが奇襲はなく敵は常にシャルトリューのみを狙っていた。
* * *
前から見知らぬ女が走ってきた。髪はツインテールの銀灰色、着ている服はドレスに似た服、腰には随分と高価そうな細剣。どう考えてもダブルディーには不釣合いな格好だった。
「あ? んなとこに何で貴族がイんだ? お嬢様の探検ってか」
アイアンは酒を飲みながら大通りの真ん中を歩いていた。一方の彼女も大通りの真ん中を駆けていた。
アイアンは女が避けると思っているのか道を譲る気がない。
彼女は必死にこの場を離れようと、一心不乱に駆けているため前方を見ていない。その状態で起こりうる結末は当然、衝突だった。
「おいおい、ちゃんと前見て歩け。じゃねぇか前見て走れお嬢様」
「っ!! あなたこそ気づいていたなら避けなさい!」
双方が自己正当を訴えていた。これではキリがないと先に判断したのは少女の方だった。アイアンの右を抜けようと走り出したが、アイアンが右手を掴んだために走れない。ここで一般人を見つけたのは運が良かった。一般人なら『ブラット』の情報も少なからず持っているはずだと彼は踏んでいた。アイアンが振り向くとそこには左足を自分の側頭部に振り上げる少女の姿があった。
「また痴漢ですの? 今度は息の根を止めますわ。私の蹴りを食らって地面に這い蹲りなさいな。っ!?」
手応えはあった。しかし、振りぬいた足が未だに地に着かないことに違和感を覚え彼女は男を見る。
「いきなりこめかみに蹴りとは…なかなか転婆なお嬢様だなおい。まぁいい。俺は人探しに来てんだ。体の一部か全身が黒い霧みてぇのになってる奴しらねぇか?」
少女の蹴りを左手で受け止めた状態でアイアンが問う。彼女の蹴りは長年の戦闘経験が無意識に体を動かし、見事に防いでいた。
アイアンの問いが少女を驚愕させていた。まさかこのお嬢様は『ブラット』を知っている?という期待がアイアンの胸にはあった。期待は現実になり少女はアイアンに掴まれていた右手をそのままに、路地へ戻ろうとした。右手を掴んだまま半ば強制的にアイアンは少女の後を追った。
* * *
「あんまり来たくなかったねぇー……ここは嫌いなんだよまったく!」
頭を掻きながらダブルディー区域に到着したレンナは開口一番に愚痴をもらした。『昔』はここでイロイロとしていた彼女は一番慣れ親しんでいるここを嫌悪している。昔の知り合いには会いたくないと心から願い彼女は情報屋の館に向かう。しかし、少し進んだ先に赤く大きな水溜りが幾つも見つかった。
足を止め、辺りを見回せば数人だが『見知った顔』があった。だが、彼女は数秒足を止め、それからすぐ歩みを再開した。誰がこの惨劇を作り出したかは理解したからだ。
「やっぱりここはガラが悪いねぇ。ま、あたいには関係ないけど」
無数の死体を無視し、レンナは先に進む。途中、ピチャリと血溜りを踏んだ。自分の髪とよく似た色。そんなことを思ってしまったレンナは憤慨し地面を右手で思い切り殴りつけた。ドゴン。と地面が響き、土埃が辺りを覆った。土煙が晴れるとそこにはただ死体だけが無残に残されていた。
* * *
「まったく…なんなのよコイツは!!」
生気のない人間がシャルトリューの眼前に『ある』。右手首の先から『黒い霧』を鞭のように変形させて彼女を襲う敵は直立のまま『黒い霧』のみを操っていた。一方、シャルトリューは向かってくる『黒い霧』、否『黒鞭』を二振りの刀で斬り捨てる。最初こそ苦戦したが、コツを掴めば彼女には乱軌道の鞭を斬り捨てるなんて事は造作もなかった。隻眼故の死角からの襲撃には持ち前の勘と高速の剣技が襲撃を無意味にした。
「処刑士……賢者……舞踊師……騎士……曲芸師……道化……」
敵は理解不能なことを言いながら攻撃を続けていた。だが、一つだけ理解できた言葉が彼女にはあった。幾度となく繰り返される攻撃をしながら彼女は黙考する。
『処刑士』。
それは間違いなくアラシだとシャルトリューは確信していた。理由は分からないが、何故かその単語に当てはまる人物がアラシだと彼女の持つ何かがそう断定していた。だが、それにしたってこの男は何故自分を狙ってきているのかがシャルトリューには理解できなかった。『黒鞭』は速度を上げ尚も彼女を狙う。
「キリがないわ…!!」
一向に変わらない状況を歯噛みするシャルトリュー。あと一人でも助けがいるだけでこの劣勢を覆せることは分かっている。しかし、彼女に味方する者はいない。それどころか、周りには味方どころか人がいない。ここでもし死ねば無残な死体が作られ野犬の餌になりかねない。そんなことは断じて嫌だ。『黒鞭』の攻撃は止まず、『霧』は枝分れを繰り返し敵の攻撃の手は増えていくばかりだった。それを全て斬りおとしている彼女の剣の腕は間違いなく一流のそれだろう。しかし、体力は徐々に減少し先の見えない持久戦は体力より精神力を削っていった。
「もう限界だわ……ごめんねアラシ。あたしはここでサヨナラよ」
迎撃していた刀をカランと落とし汗だくになった顔は俯き、彼女は地面に膝をついて死を覚悟した。敵の『黒鞭』は一斉に先端の形状を銛状に変形させ彼女の全身に降り注いだ。
彼女が最後に見た光景は目を覆わんばかりの『闇』だった。