四:鉄の騎士、紅の舞踊士、道化は銀…
「はぁ…はぁ……ぐっ!」
顔から汗を大量に流し胸を押さえ、苦しむリアをワイズはただ見ているしかなかった。彼は医学的な知識を持ち合わせてはいたが体調不良の起因が『ブラット』ではどうすることもできないのが現状。
ふぅ。とため息を吐きワイズは部屋を後にしようとしたが不意に後ろから聞こえた声によって首を振り向かせる。
「種は蒔かれ、薔薇は咲き誇る。皮肉な言葉だと思いませんか? ワイズさん…」
不可解な声はリアのものだが『彼は喋っていない』。いまだ胸を押さえ呼吸を荒げているのだ。とんがり帽子を深く被りワイズは一言だけ台詞を口にして部屋を出た。
「薔薇は淫猥、種は色欲。か…」
* * *
ダブルディー区域には人だかりが出来ていた。ダブルディーの出身者、または移住者が一人の男を取り囲んでいる。アイアンだ。
周りの奴らはナイフや電撃剣を持っていた。そんなものはアイアンにとっては何の恐怖もない。もとより、そんな武器を持つこと自体、自分は強いと相手に思わせているものだからだ。
「アイアン。真に強いものは無用に武器を振り翳すことはしない。覚えておけよ」
脳裏に『あの人』の声が思い出された。頭をガシガシと掻き、周りの誰にも悟られないように口角を歪ませた。頭を掻いているときに彼の結った髪が動物の尻尾のように左右に振られていた。
痺れを切らしたのか、周りにいた者達が一斉に襲い掛かってきた。
「こんなとこに『ブラット』がいるわきゃねぇよな……出直すか。いや、奥にいるかもな」
平然と歩き、四方八方から襲い掛かってくる者達をまるでいないかのように振舞っている。
背後から背中を切りつけてくる電撃剣は体を捻り半身になり避け、正面からの男のナイフの一突きは足を振り上げ、ナイフを男の額に返す。襲い掛かる者達を無視しているようですべてを相手にしているアイアンの怒りのボルテージは高まっていた。
「このくそったれ共が……邪魔だっつうの」
アイアンの愚痴は周りに聞き入れてもらえるわけはなく、尚も攻撃は続いている。ナイフや拳、蹴りは受け止めることが出来るが電撃剣だけはそういうわけにはいかない。電撃剣の通常電力は掠っただけでも生物を数秒気絶させることができる。だがおそらく、ダブルディーにある電撃剣は不要に改造がなされているはずだとアイアンは考えているだろう。
事実、その通りだった。利害の一致で協力関係にあるダブルディーの住人は連携などは不得手、そのために同じ住人に攻撃を加えているのも多々見受けられた。その際、電撃剣が掠った瞬間、または直撃した瞬間に電撃剣を食らった者は死に絶えていた。通常の電力では考えられないほどの電力があれから発せられている。何度目かの剣閃を回避した後にアイアンが呟いた。
「あぁー面倒くせぇ……もういい、死ね」
一瞬。まさに一瞬で周りの者達は壁や地面に『鋼鉄の剣』で磔にされていた。ダブルディー区域で音もなく襲撃が始まり、音もなく惨劇で幕を閉じた。ゆったりとした足取りでアイアンはダブルディー区域の奥に足を踏み入れた。
* * *
「右手がない男ねぇ……見たことないな」
「そうかい……」
自由市場。ここは『合法な商品しか』売ってはいけないワノール唯一の平和区域と都市内では噂されている。自由市場の表の顔は噂どおり、しかし裏の顔は『違法な商品しか』売ってはいけないという差の激しい市場ということは知る物は少ない。
「悪かったなレンナ。そうだ、お前の部下共にやらせればいいんじゃないか?」
野太い声で露店の店主はレンナに提案する。板に飾ってあるのはネックレス、地面の布に置かれているのはブレスレットやピアスなどからアクセサリー屋なのだろう。
店主の指示にレンナは笑いながら答えた。肩を震わせ笑う度に彼女の赤い長髪が揺れ動く。
「あはは…そんなの無理だね。あいつらは……」
レンナの声のトーンが一つだけ落ちた。
「最悪のクズ野郎どもなんだから……」
声と共に殺気が彼女から発せられる。百戦錬磨の屈強な男でも、今の彼女と目を合わせればおびえて逃げだすのは必至だろう。それほどに彼女は怒っていた。
失言と思ったのか店主は咳払いをした後に口を開いた。なにかを話すときは店主は顎髭を触るのが癖のようだ。
「あぁ…っと、そうだレンナ。それならアーバスに訊けば良いんじゃないか? アーバスなら何かしらの情報は持ってると思うぜ。何せ彼女は―――」
「情報屋……だっけ? あんまり信用は出来ないけど……ありがとオッチャン」
「いいってことよ。ってか俺はオッチャンって年じゃ―――」
レンナは店主にウインクをした後にその店の前から姿を消した。取り残された店主は涙目になりながら呟いた。
「俺…これでもまだ26だぜ? やっぱ髭か? 髭なのか…?」
店主の呟きは呪いのように市場の雰囲気を暗くした。後日、店主が髭を剃ったことで店は繁盛したらしい。
ため息を吐きながら市場を歩き回るレンナは怒りが収まっていない様子だった。まさか『数年前の人生の汚点』を言われるとは思っていなかったからだ。あの事は今でも記憶に残っているのが尚、自身の嫌悪感を増加させていた。
「お嬢さん」
ついには両手を腰に当てて体内の酸素を全部吐き出す勢いでため息をつく始末だった。
「お嬢さん。そこのため息ついたお嬢さん」
「あぁ?」
『お嬢さん』と呼ばれ自分とは気づかなかったが『ため息をついたお嬢さん』と言われれば自分と気づいたのか、明らかに不機嫌そうな顔で露店の店主を見やった。彼女はその服装に奇妙な違和感を感じた。
店主はワイズに似た服装だった。ボロボロの黒のローブを羽織り、とんがり帽子を深く被っている。だが、それ以上にレンナが奇妙に思ったのは露店で何故占いをしているのかだった。明らかに露店でする商売ではない。その上、本来『自由市場』で情報の売買はあまり儲からない。情報などは合法か違法かは店主の独自の判断によって決められる。合法な情報などは高値で売りさばけないためにやはり儲からないのだ。
「この先の未来…知りたくないかい?」
声を聞く限りでは若い女。
「未来?」
「そう…。未来。占ってあげるわよ?」
女の台詞を鼻で笑いレンナは腰に手を当てて口を開いた。
「はっ。あたいの未来を見る前に過去を見てみたら? 見れないだろうけど…さ」
レンナはそう言い捨て長髪を翻し、その場から姿を消しダブルディー区域に向かった。
占い師は水晶玉を覗き口を開いた。
「舞踊士……呪われた腕……血の髪。約束は守っているんでしょうか?」
占い師は音もなくその場から存在を消した。
* * *
場所は『自由人』上空。そこには銀髪の道化が浮かんでいた。
格子柄の服装、右頬に赤い星、左頬には水を模した黒のペイント。誰が見ても彼は道化と感じるだろう。そして、空中に浮いている様がそれを一層際立たせた。
「リアをあそこまでするなんてね………マジで許さねぇ。見つけ次第…消してやる」
双眸は青玉のような色で物静かな雰囲気があるのだが彼から発せられている殺気は静かな雰囲気を微塵も感じさせなかった。だが、それ故に妙なこともあった。
リズは動かなかった。何かを待っているのか、それともただ気まぐれで動いていないのか。理由は定かではないが彼は動かない。
「アイアン、レンナ。5分だけ時間をあげるよ。必死に探せ………信じてるからね」
リズは二人のことを信じている。だが、どこかそれが信じられなかった。
二人のことは信じているが、自分のことが信じられない。ふと、そんな考えが頭に浮かんだリズは頭を振り幻想を振り払った。
「ま、探したところで無意味だろうね。俺が着くまでに来てくれてると嬉しいな…」
一人歪んだ笑いを口元に貼り付けながら銀の道化は二人が行き着く場所へ向かった。