三:錆びる銀、怒り輝く金
妙に重い足取りでリアは歩いていた。彼のいつもの歩行なら、それだけで銀糸のような髪が風に漂い揺れ踊るはずだが、今はそれがない。『サーカス館』の誰が見てもわかるほど彼は体調が優れなかった。
一緒に買い物をしていたリズ曰く、彼は『サーカス館』に帰ってきてから調子を悪くしたのではないという。リズの顔が不安で塗りつぶされていった。
「おいリア。大丈夫かよ?」
あくまでぶっきらぼうに筋肉質の男、アイアン・ラッサムはリアに訊ねる。だが、返答は決まっていた。青ざめた顔を振り向かせ、微笑のつもりが苦笑に変わりリアは口を開いた。
「だ、大丈夫ですよ……」
この台詞にアイアンはそうか。とは答えなかった。心配する素振りも見せずに酒を飲み始めた。それを見ていた赤髪で長髪で目立ち、さらに極めつけは右腕に巻きつけた包帯がその存在をいっそう際立てている女性、レンナ・ノルイはカウンター席の奥から声をかけた。
「大丈夫なわけないだろ? 店の掃除はいいから奥で休んでな」
レンナの気配りにリアは微笑とはいえない苦笑を浮かべ首肯し、店の奥に消えた。
その直後、店の奥から物音が聞こえ『サーカス館』の仲間は急いで店の奥へ向かった。
* * *
「シャル!」
男に持ち上げられたシャルトリューを助けようとアラシは腰の小剣を抜き去り、男たちに駆け寄る。が。
「動くなよ気が強ぇねぇちゃん。そうしねぇと……」
シャルトリューを持ち上げた男は空いていた左手を彼女の腰元にしのばせ尻を触っていた。
尻を触られたシャルトリューはビクリと体を震わせ頬を赤らめていた。その直後、目を見開いた。
「あっ……! その刀…」
「更にこの女を辱めることになるぜ」
その一言にアラシの足は止まった。男がシャルトリューの腰からもう一振りの刀を抜き、胸の辺りに切っ先を突きつけた。
男は胸の辺りに突きつけた刀を縦に引き、シャルトリューの服を切り裂いた。
「ちょっと!! 何すんのよ!」
右手だけをバタバタと震わせ自身の胸を隠す気もないシャルトリューはかえって男らしかった。そしてその胸もまた年頃の少女のものではなかった。
そして、男は破滅の言葉を言ってしまった。
「なんだよ、胸ねぇな。ガキくせぇ顔にガキみてぇな胸。マジでガキだなこの貧乳!」
どこかでブチッと音がした気がした。アラシには聞こえたのか剣を納め数歩後ろに下がった。
「だぁれぇがぁ……」
男の右手を掴んでいた彼女の左腕の力が強まるのが男の手に感じられた。
次の瞬間、シャルトリューの外套がバサリと男の顔に覆いかぶさった。
「だぁれぇがぁ〜〜〜…………」
左腕を少し曲げ、すぐに伸ばす。その反動で男の背後に跳躍。右手に持っていた刀を水平に振り男の背中を浅く斬りつけた。その痛みに耐えかねたのか、男は持っていた刀を手から落とした。
「ヒンニューだって……」
男の目の前に瞬時に移動し、落ちた刀を完全に地面に落ちる前に掴み刀を鞘にしまう。そして、一瞬で男の背後に跳躍し男の頚椎を蹴り飛ばし着地。シャルトリューは崩れ落ちた男に覆いかぶさってた外套を剥ぎ取り胸の辺りで巻いた。胸が隠れ、怒りが収まったと思っていたもう一人の男は怒りが収まらない様子のシャルトリューを見て逃げ出そうとしていた。
「ひ、ヒンニューだって……貧乳だって…」
俯きながらブツブツと呟いているシャルトリューを見て逃げられる。と思ったのか男はその場から逃げた。しかし、彼女の目は蛇のように鋭くなり、狙った獲物は逃がすことはなかった。
男は女達が―――金髪の貧乳女が―――追いかけてきているのかを確認するために走りながら後ろを振り返る。女は俯いたまま動いていなかった。男はその場から姿を消した。
だが、男は安心してはいけなかった。怒り狂う金髪の悪魔はその男を目の端で捕らえ続けていたのだから。
* * *
『サーカス館』のメンバーが廊下に倒れているリアを発見するのに時間はかからなかった。背中越しではあるが、胸の辺りが忙しなく上下しているところを見ると呼吸はしているようだがその呼吸の間隔がおかしい。上下はしているものの、間隔が一定ではない。なにかに苦しめられているか、もしくは他の要素がリアの体を蝕んでいるのだろう。
リズが駆け寄りリアの体を起こす。顔は脂汗を浮かべ右手は蒼白色を超え、もはや完全なる白。どう見ても普通じゃない症状が逆に『サーカス館』のメンバーを冷静にさせた。
黒のボロボロのローブを羽織り、とんがり帽子を深くかぶり、左手には先端が渦を巻いた樫の杖を持ったいかにも『魔法使い』といった容貌の老人、ワイズ・コローファは顎鬚を撫でながらしゃがれた声を出した。
「『ブラット』じゃな」
その一言に繋げるようにレンナは言葉を吐く。
「『ブラット』!? 昨日の今日だよ? なんだってそんな……もしかしてリア、あんた『ブラット』に触ったのかい!?」
レンナは強引にリアの胸倉を掴み引き寄せた。リズが止めようと手を伸ばしたが、レンナの目が恐ろしかったため伸ばした手を戻した。
「どうなんだい!? ええ!?」
今にも噛み付きそうな勢いでレンナはリアに問いただす。だが、容易に答えられる容体ではない。それでも無理やりに口を動かしリアは答えた。
「買い物の帰りで会ったんですよ……。右手が…ほんの少し触れ、た。だけ…です」
「………リア。俺にそんなこと言わなかった…」
座り、俯いたままリズはぼそりと呟いた。リアの胸倉を掴んだままレンナも俯き、そのまま隣にいたアイアンにリアを渡した。
「寝かせてやって。『ブラット』を殺してくる」
「待てよ。リズの判断がまだだ。まぁ、寝かせてはくるがな」
リアを抱え奥の休憩室に消えていった。
「リズ。どういうことだい? 『ダルク』や『ブラット』に触ると危険だってリアに教えたんだろ……?」
「教えてないよ。こんなにすぐ『ブラット』とかに会うとは思わなかったし…」
その言葉を聞いたレンナはリズに近づき彼を持ち上げる。服が引っ張られ、体が重力とレンナの腕の引力で一瞬だけ鬩ぎ合ったがレンナの腕力が勝ちリズの体は宙に浮いた。
「あんたはいつもそうだよ。問題を先送りにする悪い癖。だからリアがこうなった! 違うかい?」
「………せぇな。」 リズの右手がレンナの腕を掴む。その刹那、レンナとワイズは体感温度が下がった気がした。体感温度が下がった理由はリズから発せられる殺気だった。怒りからリズは『神秘』を使い、室内に暴風が吹き荒れていた。
リズの口から出た一言は二人を戦慄させた。
「うるせぇんだよ。少しは黙れ小娘。」
口調が違う。いつもの少し子供っぽい口調ではなく攻撃的な口調はリズに似つかわしくなかった。だが、似つかわしくはなくとも、明らかにリズは怒っていることだけは2人はその身に感じていた。リズから発せられる容赦のない殺気は、鋭い針のような物で全身を刺している感覚を錯覚させた。
リズの変貌にレンナは怯えたのか、リズを持ち上げた手を開放しリズはストン。と床に着地した。
「……俺が何も教えなかったのはリアのため」
俯きながらリズはぼそりと言った。仲間には優しいリズのことだ、もしまた『ダルク』や『ブラット』に遭遇すればリアには危害を加える前に、一瞬でそれらを葬ろうと考えていたのだろう。しかしその考えは行動に移ることはなかった。事実、今回遭遇した『ブラット』はリアや自分に危害を加えていなかった。ただ『偶然』、リアの右手に『ブラット』が掠ってしまった。ただそれだけのことだった。
いつの間にかリズから発せられていた殺気はなくなっていた。
「でも…教えなかった俺にも責任はあるよ…」
「…………なら」
レンナは急かすようにリズに詰め寄った。彼女の髪がリズの目の前で揺れていた。
「うん。わかってる。俺はギルドの長だからね」
少しだけ口角を緩め何かを決意したかのようにリズは勢いよく前を向き直った。丁度リアを運び終えたのか、アイアンが休憩室のドアを開けて戻ってきた。精悍な瞳は血に飢えた肉食獣のように爛々と輝き、口角を歪ませている。 ギルド『サーカス館』の館長兼ギルド長であるリズは口を開いた。
「ギルド長権限は嫌いなんだけど…レンナとアイアンは俺と一緒に『ブラット』捜索。特徴は男で右手がないってことだけだけど探して。ワイ爺はリアの看病と店を守ってほしい。俺は空から探す。アイアンはダブルディー区域を中心に捜索。レンナは自由市場を探して。見つかったら不用意に戦いはしないで。相手は一応『成り立て』ではありけど『ブラット』なんだ。見つかり次第『これ』を上空に投げて。そうすればすぐわかるから」
そう言ってリズは両手に『創った』高速回転する風の塊を2人に渡した。
「これは?」
アイアンは何も言わずに受け取っていたが、レンナはこの不思議な物体を手に取った瞬間に問うた。
「俺が創った風の爆弾。敵にぶつければ爆音と一緒に破裂するけど、周囲にも爆音は行き届くから周りの人の鼓膜は破れる。もちろん自分もね。だから上空に投げて。一定気圧でしかそれは形状を保てないから上空に投げれば破裂して居場所を知らせてくれる。結構上まで投げなくちゃいけないけど2人なら大丈夫」
「お前はどうすんだよ? 見つけたら俺等を呼ぶのか?」
その言葉に一瞬だけレンナは眉をひそめる。リズのことだ。間違いなく他の2人は呼ばないだろう。自分ひとりですべてを引き受けようとするのがリズの悪い癖だ。見つけようとすればリズの欠点は見つけることができる。欠点の集中するところは全て、仲間が関係しているのだがリアだけはそのことに気づいていない。
レンナの考えは見事に当たった。リズの口からは彼女の考え通りの台詞が出た。
「いや。俺は一応ギルド長だから。皆に助け求めてもあれだからさ…」
案の定。リズは誰の助けも借りないつもりだった。だが、リズはすぐにそれが間違いだと気づかされた。
リズの頭に置かれた手はアイアンのものだった。
「お前はいつもだな。助けは呼べ。それがギルドだろ」
そう言って、強引にリズの頭を撫でるアイアンはまるで気の強い兄のようだった。
「そうだね。じゃ行こうか。ワイ爺、リアのこと頼んだよ」
その言葉にワイズは頷き部屋の奥に消えていった。
「さて…と、行くか」
アイアンは気だるげに首をパキパキと鳴らした。
「そうだね。リアを助けないと」
包帯が巻きついた右手を、レンナは強く握り締めていた。
「『ブラット』を見つけたら…殺してやる」
恐ろしいことを呟き体に微弱な風を体に纏いつつ、リズは『サーカス館』を後にした。
* * *
「はぁ…はぁ…。ここまで来りゃ大丈夫だろ…」
男はダブルディー区域の路地裏まで逃げていた。相方がたかが小娘2人―――主に貧乳の女―――にコケにされた。しかも自分はそれに恐れて逃げてきたのだ。「ったく…あいつ、あんな女に倒されてんじゃねぇよ! せっかくの媒体もおじゃんだぜ…」
顔に伝う汗を拭いながら肩で呼吸する男は安堵しながら会い方の悪口を言っていた。男は小娘たちを完全に振り切ったと思い込んでいた。後ろを振り向くまでは。
「貧乳って言った罪は重いわよぉ〜…」
ビクリと肩を震わせゆっくりと後ろを振り向く。そこにはツインテールの女が腕組みして立っていた。「あたしはあんたを絶対に許さないわよぉ〜……」
ビクリと肩を震わせゆっくりと前に向き直った。そこには誰もいない。だが、確かに誰かいたのは確かだった。砂が巻き上がっている。
「許さないわ…貧乳だって…貧乳だって…貧乳だってぇ!!」
カチャリと刀に手を伸ばし、抜刀。男の背中に刃を突きつけそのまま押し込む。
「が……あ…」
鋭利な切っ先は骨を避けて男の体内を貫き、腹から突き抜けた。俯いたままシャルトリュ―は刀を引き抜いた。
「貧乳はレアなのよ…感度だってある…成長すればナイスバディになる希望がある。それを馬鹿にするものは…あたしに斬られて逝っちゃえ…」
振り上げた刃は男を切り裂かんと煌めいていた。それを見ていたアラシがシャルトリューの腕をつかんだ。
「もういいですわ。行きましょうシャル、アーバスの館が近いんですから」
「関係ないわよ……全世界の貧乳の怒りは今、私の中に沸きあがってるのよ…」
制止した腕を振り払うように自身の腕を振り下ろしたシャルトリューは男の鼻先で刀を止める。恐怖に耐え切れなかったのか、男は意識を手放した。それに満足したのかシャルトリューは刀を納め男に背を向けた。
「今度あったらマジで殺すわ。っと、ねぇアラシあれって…さっきのナンパ男?」
シャルトリューが首でアラシの背後にいる男に意識を向けさせる。それに促されるようにアラシも後ろへと振り向く。
そこには先ほど二人をナンパした一人の男が立っていた。
「あなたが右手を落とした男ですわね?」
「何かしら? またナンパ…じゃないわね雰囲気が普通じゃないし。右腕変だし」
シャルトリューの言うように男の右腕は普通ではなかった。斬られた右手からは黒い霧のようなもので覆われている。だが、それ以外に変なところは見受けられない。男はニヤリと笑い口を開いた。
「曲芸師…」